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第15話 夏祭り 一

「なぁなぁ知っとる? がさ、受かったんじゃって。軍人の試験」


幼馴染の女の子の一人が道端会議で知り合いの名前をあげた。私は食べ過ぎで腹痛になった間抜けな弟の代わりに久々に朝の水汲みへ来ている途中で、その辺を走り回ってる妹のフーちゃんを目で追いかけつつ、家事の息抜きをしつつ、話に花を咲かせているところだった。


「へぇーそんなん受けとったん……」


私の足にしがみついて登ろうとしてくるフーちゃんの頭を押さえながら適当に返事をする。正直言うと、彼に対して私はあまり関心がなかった。


「しかも上官になれる何かになるんじゃってさ、でけぇーもんな」

「ええー!出世頭って事なん? すげーが!」

「母さんが言うとったけど、顔も大事なんじゃってー」

「ほんじゃーブサイクは兵隊でも出世できんのか。可哀想じゃの〜……きゃはは!」


でも友達は違う。私達みたいに暇を持て余している女にとって、それは貴重なおしゃべりの種だ。そういえば人伝に、麓の学校で勉強に励んでるって聞いた事ある。家業の農家は継がないつもりなのかな。最近は全然話してないけど、そういう職業を目指していたのは意外だった。

……だって、どっちかっていうと悪事を暴かれる方じゃないか。冷たく心の中で吐き捨てながらそのまま立ち話を続ける。


「あーあいいな、ブルーズは。だって――――じゃが?」

「……ちょっと、昔の話じゃけーやめてーほんま」

「えーだってー、昔はあんなさぁ――――」


女友達の顔に急にもやがかかったかと思うと、水音が突然頭に響いた。

……頭痛がする。重い水音に耳を塞ぐと、いつの間にか私は実家の裏にある湖の淵に立ち尽くしていた。———あぁ、静かだ。山に囲まれてできた湖ではせせらぎと鳥のさえずりしか聞こえない。爽やかな風がうなじに涼を届けて、私の汗を乾かしてくれる。


「ルーちゃん」


その静寂を壊す様に、背中側から声がする。


「――――き、なんだよ。だからさ」


そのまま、真っ黒い雨雲が山を覆い尽くす様に覆いかぶさった。つま先から太もも向かって蛇が絡みつく。私を嘲笑う様に湖のかさが増して足元が揺れていく。

あぁ嫌だ。どうしてこんな時、私には力がないんだろう。すごく嫌で吐きそうなのに腕に力が全く入らない。震えて声が出ない。足が丸太になったかの様に動かない。


「お姉ちゃん!!」


でも、泣いている弟の声がしたところで目が覚めた。


早朝の柔らかい日差しが部屋を照らしている。小鳥がちゅんちゅんと鳴いて、朝食を探しに飛び立つところみたいだ。

ひどい寝汗をかいていて喉が乾いた。熱が出た時みたいに布団が湿って、前髪もびしょびしょに濡れている。顔にへばりついた髪を取りながら荒くなった呼吸を正すために深呼吸した。

懐かしい顔ぶれがたくさん夢に出てきてくれた。下衆な話が好きな友達、言葉がきついけど人当たりのいい友達、ちょっとバカだけど優しい弟。みんな元気かな。

……それにしてもひどい夢だった。思い出したくもない。臭い物には蓋をしろというから素直に蓋をしてるのに、臭いものというのは少しの隙間からでも悪臭が容赦なく漏れ出てくるみたいだ。べとべとの顔を洗って寝巻きを脱いだら、前日から準備していた普段着に着替える。


「……大丈夫」


寝巻きを確認して布団と一緒に片付けると頬を叩いて気合いを入れた。


「大丈夫大丈夫!ただの夢!」


自分に言い聞かせると鏡に向かって全力で笑ってみたら、ほら、いつもと何も変わらない十六歳のブルーズが笑顔で映ってる。今夜の事を想像したら単純な私はすぐに浮かれる。だからほら、さっきの事なんて忘れてしまおう。

しゃっきりした気分になったら鼻歌を奏でながらネックレスと指輪とピアスをつける。もう一度鏡を覗き込んで最終確認をしたらご機嫌な私は台所へ走って向かって、先にお鍋に火をかけていたハルさんのお母さんにいつも以上に元気な声で挨拶した。


「お母さんおはようございます!」


だって、今日は夏祭りだ!


「ブルーズおはよー!」


ご飯を食べてすぐ、みんなとお風呂屋さんに行って準備をした。ベルのたわわにまた少しだけ卑屈になりつつも、みんな、特に私は念入りに体を綺麗にしてもらって、お風呂から出たらお揃いの髪型に結い合った。


「緊張してる?」

「……だ、大丈夫」


固まった顔を見てカナが心配してくれる。強がってみたけれど、私の様子を見れば誰だってそれは嘘だとすぐわかるはずだ。

緊張はしてる。夏祭りは楽しみだけどの事を考えると流石に指が震えそう。


「練習見たけどすごく上手だったじゃない〜!歴代一位狙えるわよ」


カナは私の肩をポンポンと優しく撫でてくれた。同い年なのに、お母さんみたいな包容力を持つカナだと不思議と心が楽になる気がする。ほっとすると、彼女は優しく微笑んでくれた。


「それにしてもあんなに踊り得意だったなら去年も出て欲しかったわねぇ〜リードできる人って少ないじゃない?」

「ベルなんて下手すぎてもはや別の踊りだったもんね」

「う、うるさいわね」


ハーナが意地悪っぽくベルをいじる。私達は昼過ぎから踊りの舞台に出演する予定だ。本当は街出身の女の子しか出ちゃだめな演目らしいけど、夏祭りの委員会が厚意で仲間に入れてくれたので私も踊り子として参加させてもらえる運びとなった。振り付けは難しくなくて、踊りが得意な私は途中からは教える側に回った事もあって、よそよそしい雰囲気のあった他の女の子達とすぐ打ち解ける事ができた。通った事ないけど学校ってこんな感じなのかなと思いながら毎日二、三時間の合同練習に参加した後、私はまた別件で二時間練習をこなして、くたくたになって家に帰る生活を二週間送った。

毎日体力が尽きて帰ってもすぐに寝てしまうような日々だった、それはそれで本当にこの街の女の子になったような気持ちだ。心地よい踊り疲れも今日までかと思えば寂しささえ感じる。


「———頑張らなくちゃ」


みんなに聞こえない様に呟いてから、軽くほっぺたを叩いて気合いを入れた。


更衣室になってる集会所の一室で着替えて化粧をしてもらったら、出番が来るまで中庭で暇を潰した。鮮やかな赤色の衣装を着せてもらった私達はスカートの裾の広がりを楽しんだり、差し入れのお菓子を食べたりしながら時間をつぶす。特に髪飾りにつけられた鈴をわざと揺らして鈴の軽やかな音を楽しんでいる女の子が多かった。私も三つ編みの先に付けてもらったから、踊る時チリンと鳴って可愛いだろうなとか考える。


「ブルーズ!」


荷物を置きに来たハルさんが私を呼んだ事に気付いたら、みんなと話の途中だったのに私は彼の元へ一目散に走った。鈴が鳴って犬みたいって揶揄われるのは恥ずかしかったけど、今は一瞬でも多く一緒にいたい気持ちの方が強いんだから、そんな声を気にしてる暇はない。

自分でも知らなかった。私は恋をすると、好きな人と少しでも長く一緒にいたくなるみたい。ハルさんにも「走らなくたっていいのに」と笑われつつ、一緒に近くの涼み台に腰掛けた。


「その服かわいいね」

「ほんとですか?」

「髪はやってもらったの?」

「ハーナが結ってくれたんです」

「いいじゃん鈴もついてるし。……あ、口紅塗ってる? 大人っぽいじゃん。かわいいね」

「そうですか? へへ」


ちょっとばかっぽいのは恋をしてるからという事で許してほしい。ハルさんの何でもないはずの一言一言が宝物みたいに嬉しくて、人目もはばからず頬を緩めまくった。


「ハルさんもその服かっこいいですよ」

「そう? オジサンみたいじゃない?」


彼は私の華美な衣装とは正反対の野趣的な刺繍の入った服を着ていた。この辺りで古くから伝わる民族衣装だそうで、ハルさんが今日参加する弓の大会では全員着用しないといけない決まりだ。ダサいから嫌だと家では文句を言っていたけど、実際に着ている姿を見たら想像以上に似合ってる。いつものちょっと儚い雰囲気とは打って変わって男らしさが増したハルさんはいつもよりも色気が出ているから見る度にどきっとした。


「弓って私達の次ですよね? 終わったらそのまま応援に行きます」

「ありがと。俺今年優勝したら殿堂入りだから期待してて」

「うん、楽しみ」


「……なんか距離近くなってなーい?」

「髪まで触って、怪しいわぁ〜」


私の三つ編みの鈴を揺らして遊んでいたハルさんと、構ってもらえて犬みたいに喜んでた私の真横にいつの間にかハナとカーナがいた。私達の会話を聞いてニタニタして、からかいがいのある光景を発見した事にうずうずしている様子が隠せていない。


「ねえねえ、ハルと何かあったらすぐ私達に言うのよ?」

「もうやだハーナったら」

「これくらい普通だよ」

「えー? そうなのかなー」

「普通だよ。だからお前もこっそり付き合う彼氏くらい作れよな?」

「なっ⁉」


予想外の返しだったのかハーナが少したじろいだ。家が厳しいせいで、ハーナにはまだお婿さん候補がいない。ハーナは元々彼の妹の親友の一人だったんだからハルさんはそれを知っててわざと意地悪言ったんだろう。反応を見て少し楽しんでいるようだった。


「じゃあ俺そろそろ行くね。裏から見てるから頑張って」

「はぁい」


ハルさんを見送ったあとも振りの確認をしている途中で委員会の人が呼びに来たので、みんなで一斉に広場の舞台へと移る。出演者がたむろしてる付近をチラ見したら、人と人の隙間からハルさんが手を振っていたので、私もこっそり手を振り返すと、真後ろに並んでいた真面目な性格の女の子が咳ばらいをしたのですぐに止めた。浮かれっぱなしじゃダメだと自分で釘を刺すと、笑顔を作り、最前列へと並ぶ。


「人より踊れるから」という理由で一番前の目立つ場所に私は立っていた。飛び入り参加だし、個人的には後ろの目立たない所で全然良かったんだけど、踊りが不安だと前々から嘆いていた複数の子達が「後ろで背中を見ながら踊りたい」と言い出した結果、この位置になった。だから振りを間違えるわけにいかない。別の意味でも緊張する。

さすがに真ん中は目立つし今夜の事もあるから避けてもらったけど、それでも一番前というのは目立つし、一人だけ炭みたいな髪色のせいでちょっと悪目立ちしている様な気になった。一部のお客さん達からは「誰?」という声が聞こえてくる。そもそも今日は他所の街からも人が来てるから知らない人ばかりだ。それに、いつもより男の人が多い。変な目線を感じるのは女の子だけで踊るからそのせいかな? と思いつつ、瞼を閉じて神経を尖らせる。

そして、そっと始まった音楽に合わせて私達は一斉に舞いだした。


この街では大昔は八月三一日に一年を締めくくっていたそうで、正月は春に移動した今でも夏祭りだけが慣わしとして残っている。今年もみんなが無事に過ごせた事と、これから迎える冬に向けて神様に感謝と祈りを捧げる舞は古くから大切にされてきた演目の一つだそうだ。

夏の暑さと踊りのせいで身体中から汗が溢れ出てくる。おでこから流れた汗は首まで伝って鎖骨のくぼみに溜まっていく。

髪飾りの鈴の音が辺りに響いて音楽と手拍子いつの間にか同化していった。水浴びでもしたかの様な汗を垂らしながら、数十人の乙女達は二週間みっちり練習した踊りを一生懸命踊った。

いつも以上に華美な服を着て舞う私達はきっと圧巻だったはずだ。観客の目は私たちに釘付けになって、一瞬も目線を捉えて離さなかった。

無事に踊り終えるとそこら中から拍手と歓声をが聞こえた。みんな満足そうに笑って手を振ったら、段取り通りに広場から退出する。だけど私達四人組は踊り子の輪からこっそり抜けて、前々から狙っていた花壇まで派手な衣装のまま走った。


「ここなら見える見える!人がごみの様だ~」

「なぁにそれ」

「どっかの国の、事わざ!」


見やすい場所はもう観客でいっぱいだけど、この花壇に立てば背が低い私でも舞台を見る事ができる。同じく背が低いハーナも遮るものがない見晴らしの良い景色に声を弾ませた。

今から行われるのは弓の大会だ。広場に選手が並ぶと反対側に大きな鳥かごが置かれた。中にはペンキで番号の描かれた鳥が数十羽、ぎゅうぎゅうに閉じ込められて鳴き叫んでいる。今からあれを一斉に放ち、飛び出た鳥を弓で狙って多く得点を得た人が勝ちという単純なルールだ。

人が多い広場で行われる上に本物の矢じりがついた矢を使う関係から、この試合に出るには一定以上の弓の技量が必要だそうだ。(そりゃそうだ危ないもの)

ハルさんは十六歳からこの試合でずっと優勝していて、三年目の今日も勝てば殿堂入りできるらしい。優勝したら高級なお肉が貰えるから楽しみにしててと言っていたから、気が早いけど楽しみだ。

女の子からの黄色い声援を浴びながら、彼は真面目な顔で弓を空に向けて構えた。他の人たちも同時に構えると、合図の爆竹の破裂音とともに一斉に鳥達が飛び出てくる。名人ばかりとはいえ、狙いが外れた矢が雨みたいに地上に落ちてくる。それをキャーキャー言いながら避ける人の声と、鳥が射られるたびに観客のおおーという関心する声が湧く中、ハルさんはそれら全てが雑音だと言わんばかりにまた一本、また一本と矢を構え、無駄打ちする事なく鳥をどんどん落としていく。


「すごいすごい、二桁行くかしら?」


私達も遠くから声援を送った。特に私は他人の目線も気にかけず大声で応援し続ける。ハルさんが少しでもいい成績を残して欲しくて神様に祈りながら、瞬きも忘れて試合を見守った。胸がドキドキして張り裂けそう。喉が渇いて、緊張で手汗がびちょびちょだ。そして矢の嵐から逃げるように一番空高く飛んでいった鳥に、ハルさんが放った鋭い氷のような矢から逃げきれなかった鳥は細い首にとどめを刺され、終わりの合図と共に空から力なく落ちてった。


観客席に落ちた鳥をお客さん同士が奪い合う中、ハルさんは何かを探すようにあたりを見渡す。そして花壇に立ってる私と目が合えば少年みたいに微笑んで、握り拳を天に掲げた。

勝者が誰なんて火を見るより明らかだった。「殿堂入りだ!」と誰かが叫んだら拍手と歓声が飛び交い始め、私は人波を掻き分けて彼の元へ走る。

仕事で忙しい中、今日のために時間を見つけては弓の練習をしていた事を私は知ってる。努力が実った事が自分の事みたいに嬉しくて、少しでも早くおめでとうと声をかけたくて、彼の喜びの声を聞きたくて、垂れる大粒の汗を拭うのも前髪が乱れるのも忘れて走った。大勢からの歓声を受けて手を振っているハルさんは私の姿に気付くと最後に胸に手を当てお辞儀をすると広場から離れて、お互いに早足で近付くと人前にも関わらず、興奮で我を忘れてお互い抱きつきあう。


「すごい!ほんとにすごい!」


ぎゅっと抱き合うとハルさんは私を持ち上げて一回転させた。結果を出して満開な笑顔のハルさんを見ると私も嬉しくてもっと笑顔になって二人とも赤ちゃんみたいに笑った。

でも周りの大人の咳払いに気付いたらお互いに顔を赤らめてぱっと離れる。「青春ですなぁ」とクスクス笑う声が聞こえてきて恥ずかしい。ついつい常識外れな事をしてしまった。


「ハルさんすごい、すごいすごい本当にすごい、おめでとう、おめでとう、ほんとにすごい」

「へへ、勝った勝った」


大人の目線を気にしつつも私達は小声で喜びを分かち合った。ハルさんの友達も声をかけに集まってみんなが代わる代わる声をかけるから私は一歩下がってその様子を見守る。ハルさんの努力が実ってよかった。弓の事以外にも、仕事と、例の練習もあったのに、全部に手を抜かずに頑張っていたのを私はずっと近くで見ていたから私まで感動で泣きそうだ。


「……本当にかっこいいな」


できる事なら仲間に囲まれる彼をこのままずっと見守り続けたい。こんなに平和で楽しいひとときが永遠に続けばいいのになとか、私はぼんやり考えいた。風が吹いて私の赤いスカートと黒髪を靡かせ、三つ編みの先に付けられた鈴の飾りがチリンチリンと鳴り響いて風と踊る。

今日は晴れていてよかった。風は強かったけどせっかくの晴れ舞台なんだし、雨なんて降っていたら嫌だもの。ついでに夜は星が綺麗ならいいな。

でも、今日の楽しみがまた一つ終わってしまった。時間は当たり前のように流れていくし、永遠にこの時間が続くわけがない。この後の事を考えたら少し不安になるけど、きっと二人なら大丈夫。きっと乗り越えられるはずと自分を信じて奮い立たせる。

そう思う事に集中していて、足元の影が不自然に大きくなってもただ単に雲が太陽を隠したんだろうと思った。風はより一層強くなって、鈴をうるさいくらい響き渡らせる。ハルさんに声をかけようか、いや、それよりもベル達を誘って一度着替えに戻ろうか、どっちにしようかと迷いつつも私は明るい気持ちで一歩、みんなの傍へと駆け寄ろうと思って、足を一歩前に踏み出すところだった。



「ルーちゃん?」


なのに、淀んだ水音が聞こえてくる様だ。

急に手首を強く掴まれた私は慌てて振り返る。真後ろに立っていた男の人は、どの人よりも頭一個分背が高くて、見下す様な今にも泣き出しそうな瞳で私の顔をまじまじと見ていた。


「ルーちゃん」


真っ黒な髪に真っ黒な瞳の、今朝、夢に出てきたあの人。


「……なんで」


幼馴染だけど、世界で一番大嫌いな、


「なんでカグラバがいるの……?」


が。

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