街の人にお願いされて、月に一度の蚤の市に出店する茶屋で店番をする事になった。お母さんと一緒に市場まで出かけている時に会った役場の人に、
「女の子が売ったら売れるから」
と一日だけ売り子をして欲しいと主催者にお願いされたからだ。
客寄せ感に一瞬うっとなったけど、お母さんに
「みんなに顔を覚えてもらいなさい」
と背中を押された事もあって、せっかくだし参加する事にした。少しだけどお駄賃も出るらしいし、悪い話じゃない。
蚤の市もこの街なら規模が大きいだろうし、きっとお祭りみたいなものだろうと、当日を浮かれた気持ちで待ち侘びていた。
「どーも、ハルの新しい彼女さん?」
見覚えのある栗毛のくりくり髪の女の子を見るまでは。
「私シトラよ」
「……ブルーズです、よろしくお願いします」
間違いない、以前私を裏道まで連行して問い詰めようとしてきた三人組のリーダー格の女の子で、ルスタムさんと繋がりのあるめんどくさい子だ。
「……ぷっ、変な名前」
挨拶をしてすぐ、望んでもない戦いの火蓋が切られた。馬鹿にするような笑い方に初っ端から気分が悪い。
――――確かにここらじゃ聞かない変わった名前だけど、私はお父さんが付けてくれたブルーズという名前に誇りを持っている。だからそれを貶されるのは不愉快だ。
とはいえ、この子と顔を合わせるのは今日だけだし、まさか一日中嫌味を言い続ける事もないだろうと思って聞こえなかったふりをした。
想定していたよりも引っ切りなしにお客さんが来たので、私達は手際良く売り捌いた。すると昼過ぎまで持つはずのお酒が早いうちに無くなってしまいそうだと言う事で、夏なのに冬毛の羊みたいにまん丸な店長が急いで酒屋さんへと向かった為、私たちは二人きりになってしまう。
ベル達が言うには「ハルさんに何度も告白しては振られてる人」という話だけど、嫌味を言ってくるという事は、まだ好きなんだろう。
あのベルと婚約してる時から諦めがつかないのなら、私なんかじゃ本気で逆転を狙ってくるかもしれない。そう思うと背筋が少しゾッとする。今日は絶対にハルさんの話はしないと決めた。
「そういえばぁ、ハルくんとはいつ結婚されるんです?」
まぁ、それを許してくれる人なら私を袋小路に追い込んだりしないよね。
時間を潰すのに雑談するのは不思議でも何でもないけど、私だって別にお人好しじゃないし、性格だって良いわけじゃない。
もし向こうが嫌味を言って少しでも気を晴らそうと考えてるならそんなのは億劫だ。
「……そういう事は全部、父に任せてますので。まだ何とも言えないんです」
「……あっ、そう」
隙を見せるとこういう人は付け込んでくる、だから私は笑顔を振りまいて気丈に見せる。ちょっかいをかけたって私は泣いたりしないから、ブルーズなんていじめてもつまらないと早く諦めて欲しい。
「ハルくんがあなたに一目惚れしたって本当の話なんですかー?」
「えぇ? 何の事ですか?」
「暇なんだからァ、教えてくださいよ〜。街の女の子の噂になってるんですよぉ?」
その噂っていうのは、例の下世話な話の事だろうか。あの噂だって、出所はどこか分からない。この子かもしれないし、この子じゃないという確証も持てない。私は引き続き警戒心を解かず、気丈な態度を続ける。
「そういうのは二人だけの話にしときたいので……」
とびっきりの作り笑顔だ。見透かされないように目じりを思いっきり下げて、幸せでいっぱいみたいな演技をする。だけど、話を逸らすのに必死になっているからか、私が私じゃないみたいで何かいやだ。
「おや、あんたあの時の」
そんな密かな火花の中、お客のおじさんに話しかけられた。白髪に帽子をかぶって、夏用の深緑色の上着をかぶっている。
この人は私を知ってるみたいだけど、えっと、誰だったっけ。
記憶の糸を辿り、私の中の少ない知り合いの顔と認証していった。
五、六秒考えながら顔と、服と、足元を見てから最後におじさんの指につけられた大きな指輪で私はこの人の正体にやっと気付いた。
「…………あっ!アクセサリー屋さん?」
お酒を買いに来たのは、以前ハルさんと一緒に買い物をしたアクセサリーの露店のおじさんだった。私が言い当てると目じりのしわをさらに深くして、テストで「正解」と印を付けるようにホホホと笑った。
「覚えてたかい嬉しいねぇ。ここで売り子さんしてるんだね」
「わー!お久しぶりです。おじさんも今日お店出してるんですか?」
「今日もあっちで出してるよ。友人から可愛い売り子がいるって聞いて飛んできたんだ」
「やだ、お上手ですねぇ、ありがとうございます〜」
お世辞を明るく返してからお酒を注いでる最中、おじさんは私の耳たぶを見て何かに気付いた様で、嬉しそうににんまりと笑ってから指差して言う。
「今日は真珠の方つけてるんだね」
「あ、今日はおしゃれしてきちゃいました」
私がそう返すとちょいちょと指を曲げて耳を貸す様にいうから耳をおじさんの傍へ寄せた。すると別に小さくもない音量で、
「それ、坊ちゃんが『バレないように包んで』ってこっそり買ったんだよ。大事にしてあげてね」
と明るい声で言ってきた。
若いっていいの、としみじみしながら微笑むおじさんの前で私は顔が赤くなる。少しだけ世間話をしてから、おじさんはお酒を片手に「仲良くなぁ」と言いながら自分の露店に戻って行った。
アクセサリーを売ってくれた時は少し強引だなと思ったりしたけど、普通に話す分には明るくていい人だ。知らなかったハルさんの事も知れたし、久々に会えて良かった。いつか自分のお金で、あのおじさんからハルさんに贈り物ができたらいいななんてぼんやり考えもした。
「アクセサリーって、それの事?」
振り返ると鬼みたいな顔したシトラさんが私を睨みつけてる。
しまった、雑談楽しさに忘れていたけどハルさん関連の話は今日は絶対にしたくないと決めたのにまたしても破ってしまった。彼女はやっかむ目で私の耳たぶを見ている。
「えっと、そうですね」
笑顔を作りながら「話を変えなきゃ」と頭を巡らせたのにシトラさんは逃げる隙も与えてくれなかった。
「さっきのオッサンの話を聞くに、へぇー……買ってもらったんだ?」
「……まぁ、はい」
言い訳するような事じゃないけど、上手い返し方が思いつかなくて正直に答えてしまう。
「ハルにしては随分安上がりに済ませたのね」
……確かに何百万とする物じゃないけど、私から見れば充分高級品だ。そもそも、贈り物は値段で価値が決まるものじゃない。
「私はこれが気に入ってるんです。似合うからって
どうせやっかみだ。堂々としていればいい。
私は自信を持って返事をしたら、気に入らないというオーラを出したシトラさんが明らかにイラつき出す。
「ふぅ~ん、でもそおね。それなら、なくしたって痛くも何ともないですものねぇ~そこら中にあるものぉ」
「こう見えても一点物なんですよぉ。だから、
いつの間にか帰ってきていた羊店長は不穏な空気を感じ取って、後ろで冷や汗をかいていた。うーん、店長が羊ならこの子は癖毛の狼と言った所だろうか。
「まぁ~? そう思う人もいるわよね。謙虚で羨ましいわ~。ベルだったらそうはいかなかったもんね、あの子いつも高いアクセサリー身に付けてるもん」
ベルは確かにお嬢様だからいつも綺麗なアクセサリーを身につけている。でも先祖代々引き継いでる物が多くてベル自身が非常識なレベルの贅沢をしてる訳じゃない。
「色んな男からプレゼントをもらってるみたいよ? 可愛く産まれると得よねぇ。……でも、ハルが結婚を断ったって聞いた時はハルも見る目あるじゃないって思ったわ」
お酒の入った甕を掻き回しながら、舐め回す様な視線を送ってくる。
「でも勘違いだったみたい」
シトラさんは嫌味ったらしく笑い、羊店長はさらにあたふたしていた。
「……でもぉ、ベルには誰にも勝てないんじゃないですか? この街で
流石に反撃に出る。意図を理解したのか、むっとした顔になった。
「そうね、あなただって、みんなが言うほど可愛くないし」
「えぇ、だから早めにお相手が決まって安心してますぅ〜」
「いったいどんな手を使ったのかしら? ぜひ教えてほしいわ~」
「そんなぁ何もしてませんよぉ~ハルさんとはたまたま
「へぇ~~~~? ? ?」
私達は表面上、ずっと笑顔を保ち続けていた。でも私のこぶしには力が入り始めていたし、甕をかき回すシトラさんは杓の柄が少し曲がりそうだ。大人の対応を心掛けていても、以前、袋小路に追い詰められた事と、段々荒っぽくなってきた嫌味に流石に青筋が立ってくる。売り言葉に買い言葉なんて大人気ないなんて事分かってるけど、言い返さずにはいられない。
「シトラちゃん、休憩行っておいで!うちのバイトって言ったらどの店でもタダで食べれるからね!はい!いってらっしゃい!」
お互いにあと少しで手が出そうだった私達を見かねた羊店長は、強引にシトラさんの方を店から追い出した。文句を言いつつ休憩に向かった彼女の姿が見えなくなったら羊店長は汗をかきながら大きくため息をついたから、自分の幼稚な言動を振り返って少し冷静に戻る。
「……すみません!」
気を使ってもらった事が申し訳なくて真っ先に謝った。
「シトラちゃんとは仲が悪いのかい?」
「……えっと、一方的な感じです。ちゃんと話すのも今日が初めてだし…言い返したのは良くなかったですけど……」
「あの程度でめげる子じゃないでしょ。しかし、それはそれは……女の子の世界は大変だ」
タオルで顔と帽子の中の汗を拭ったら同情する様な顔で、あの子が戻ってきたら交代ですぐ休憩しておいでと声をかけてもらった。
店長さんの優しさに甘えて、一時間ほどしてシトラさんが戻ってきたら速攻で交代で休憩に入り、適当な屋台で貰った焼き飯を食べた。嫌味を言われた後でも出来立てのご飯は身に染みるほど美味しい。ちょっとだけ店に戻りたくないなと思いながら、約束の時間より少し早めに戻った。
戻った後のシトラさんは案外ご機嫌な様子で店番をしている。
もしかして私がいない方がこの店はうまく回転するんじゃないかとも思った。でも恋敵に子供みたいな嫌がらせをしてくる人に遠慮して私が退場するのもおかしな話だし、普段家の手伝いだけしてお小遣いをもらってる私にとって、労働で得られるお金というのは非常にありがたいお金だ。
今日はこのお金で日頃のお礼を兼ねてみんなにお菓子を買って帰ると決めてるんだ。ユリウス家の一員として、信じて送り出してくれたお母さんの顔を思い出したら、こんな馬鹿らしい事で帰るわけにはいかない。笑顔で店頭に立つと、午前中と同じ様に笑顔を振りまきながら私はお酒を売り始めた。
たまに聞こえてくる嫌味にも私はよく耐えた。聞こえなかったふりをして無視をしたり、適当にへらへらして攻撃をかわした。
だから彼女にとって、それは面白くなかったのかもしれない。
家族連れがお酒と子供用のジュースを買っていくのを接客した私に、またしつこく話しかけてきた。
「あぁいう家族っていいわよね。憧れない?」
「そうですねぇ、仲良し家族って感じで」
珍しい、まともな会話だ。私は身構える。
「憧れるんじゃない? あなたなんて特に」
「え?」
「だってあなた、孤児なんでしょ? 天涯孤独って聞きましたけど」
やっぱりまともな話じゃなかった。
羊店長は見兼ねて叱ろうとしてくれているけど彼女はそのまま話し続ける。
「うんうん、男見る目あるんじゃない? だって、この街で一番お金持ちのおぼっちゃま捕まえるんだもの。そういう生まれの人って強いわよね。尊敬しちゃう」
本当は実家があるといっても、それでもあんまりな内容に言い返そうかと思った。
「森で迷ってたっていうのも、フフ、計算だったりして」
……何がおかしいのか分からない。私は誘拐されてから保護されるまでの三日間、本気で死にかけた。あの日以来、私は山育ちのくせに、一人じゃ山の中を歩ける気がしないし、元から得意じゃなかった犬が大の苦手になって、道を野良犬が歩いていたらすぐ隠れるようになった。彼女はそんな事情知らないとはいえ、こっちの事を何も知らないで好き勝手言ってくるのは不愉快だ。
でも羊店長は、私よりも彼女の発言に快く思わなかったんだろう。手がわなわなと震えていたので逆に冷静さを保とうと思えた。
「親がいなくても、立派な人はたくさんいますよ。私もそうなりたいって思ってます」
私は羊店長の優しさを無駄にしない様に気丈に振る舞う事にする。だから絶対に泣いたり逃げたりなんかしてあげない。
「そう? でも女なんて金持ちの男についとけばどうにでもなるものね。あ、これね、嫌味じゃないのよ。すごいなぁって思ってるの」
「シトラさんはそう思ってるんですね?」
私はふっと笑うと、その反応が意外だったのか彼女は少し驚いた顔色になる。
「私は違います。女の価値は、男の人とか家族とかそんなので決まる訳じゃないと思います。その人の努力が全てなんじゃないですか?」
「急に真面目ちゃんぶって何?」
「シトラさんは私に何もないから、お金持ちに嫁ぐのは良い事だって考えてるんでしょ? ……それって、じゃああなたも一緒なんじゃないですか」
「はぁ?」
「だってあなた、さっきからお金の話ばっかりしてるから。お金がないのかなって思って」
「…はぁ?」
「あ、だからアルバイトしに来てるんですよね? ヤな事言っちゃってごめんなさい」
「……いーえ? 父の繋がりで仕方なく来てあげてるんです」
「あぁ、そうなんですかぁ?」
「色々頼まれちゃうんですよねぇ~たまたま参加できた人と違って、本当は町内会の
「…へぇ~」
「結構人気があるポジションなのに、どうしてあなたが頼まれたのか不思議だわ。その黒髪が目立つからかしら? 孤児なんて普通、この街に住めもしないのに」
「シトラちゃん、いい加減にしなさい。それはこの子への侮辱だよ」
羊店長が荒っぽく叱る。シトラさんはその声にひるむ事なくひょうひょうとして、くすくすと笑いながらかわした。
「やだ、私達仲良しなんですよ? 女の子同士の会話なんてこんなもんですよ?」
子分みたいな子とは、そういう話をしてるんだろうか? 私ならそんなギスギスした女子会、絶対に行きたくない。お菓子とおしゃれの話と恋バナしかしないベル達に急に会いたくなってきた。
「でもあんまり分かってないみたいだから、ブルーズちゃんのために常識を教えてあげようと思って」
彼女は笑顔を崩さなくなった。杓を握る手を止めて、店先に背を向けたら口元を隠す様に手で押さえ、上品ぶった口調で私に笑いかけてくる。
「結婚したいのは分かるけど、ちゃんと身の丈にあった相手を探し直した方がいいんじゃない?」
そして一歩私に近づいて、耳元で囁いた。
「
眉間に皺がよった。
不愉快だ、不快だ。でも、紛れもない事実だ。
動揺した私は思わず一歩後ずさる。
彼女はその後ろ歩きに勝ったと言いたげな顔をして口角を鋭く上げる。
「家族がいない人がお金持ちに嫁ぐなんて、苦労するわよ。生まれ持ったものが何もかも違うんだから。見た目が物珍しいだけの人なんて、飽きたら捨てられちゃうんじゃないですか?」
立ち眩みに似た景色が広がるようだった。急所を的確に針で突かれたみたいに私は息ができなくて、言い返す言葉もすぐに見つからない。
私は貧乏な家の生まれだ。確かに普通に生きてたら、ハルさんと縁談の話なんて上がるはずがない。不釣り合いだと言われれば、言い返すはずがない。
そんなのは私が一番わかってる。
「孤児のくせに」
誰にも聞こえない様な声でつぶやくシトラさんの声が頭で反響した。真夏の日差しが作る幻に惑わされるように私はそれ以上何も考えられなくなって、だんだんと息苦しくなっていく。手の先がだんだん氷みたいに冷たくなって、力が抜けていくようだ。
「へぇ? そういう事言うタイプだったんだね」
でも、急に店先から男の人の声が聞こえた。シトラさんは声の主に気付いてサァーっと青ざめていく。
「こんにちは、シトラちゃん」
彼女の愛しのハルさんが、お客さんとして店先に立っていた。
『終わる頃に迎えに行くから一緒に帰ろうか』
朝にそう約束していたので、突然の登場に私は特に驚きはしなかった。
でも、声がいつもよりもピリピリとしていて低くて、いつもの優しいハルさんじゃない。少し怖い。
「……ハルくんいらっしゃい!お酒買いに来たの?」
「しらばっくれないでくれる?」
何事も無かったかのようにシラを切ろうとするシトラさんに釘を刺すかの様にハルさんは強い口調で遮った。
「全部聞こえてたんだけど」
付け足すと彼女は石みたいに黙る。ハルさんは固まってしまったシトラさんを見て呆れさらにため息をついた。
「……ブルーズってさ、俺の奥さんになる子なんだよね。女の子同士仲良くしてくれたら嬉しいんだけど」
それを聞いたシトラさんの顔はみるみるうちに赤く染まっていく。ハルさんはめんどくさそうに顔を歪めると、それが気に食わなかったのかシトラさんは言い返した。
「……何? 私が悪いって言いたいわけ?」
「ブルーズが何か失礼な事でも言った? 悪いけど、そうとは思えなかったんだけど」
「あなたがこの子に肩入れしてるからそう思うんでしょ? 私は、ちょっとこの子の為を思って言ってあげただけよ」
「じゃあ聞くけど、君、ブルーズと俺との関係についてあれこれ言うのおかしいと思わないの。それって独りよがりなんじゃない?」
「あら気に障ったならごめんなさい。言い過ぎたかしら」
「うん。だから、ブルーズに言った事、謝ってくれないかな?」
「……はい?」
「言ったでしょ? 全部聞こえてたの。ブルーズに孤児だって言ってばかにした事、謝って」
シトラさんは黙り込んだ。そんな彼女の姿もお構いなしにハルさんは彼女を隅へ隅へと詰めていく。
「ブルーズの悪い噂流してたのもシトラちゃんでしょ? こっちだって調べさせてもらってる。もし謝らないなら、君のお父さんに訴えたっていいよ。どういう意味か、分からない歳じゃないよね?」
いつもは優しい目元が、今日は蛇みたいに鈍く光っていた。シトラさんは歯を食いしばると、はむかむように怒鳴り声をあげる。
「……ハルが悪いんじゃない!ベルと別れたと思ったらすぐ女作ってさ!しかも、こんなぶりっ子女!」
ぶりっ子と言われた事に私は内心、一番ショックを受けた。
「だとしても、それ君に関係ある?」
「……っだって!」
淡々と言い返すハルさんにシトラさんはどんどんヒートアップしていく。ハルさんは大きくため息をついて、はっきりと答えた。
「俺、ブルーズの事本当に好きだよ。親がいないからって何? それが見下す理由に、どうしてなるの? じゃあシトラちゃんは俺が貧乏人なら好きじゃないって事なんだね」
「違……」
「俺、君みたいにうわべしか見れない子は嫌いだよ」
それは、恋する女の子にとってはキツすぎる言葉だ。
シトラさんはぽかんと口を開けている。
いつもは愛想のいいハルさんだけど、今だけは氷みたいに冷たい目だ。
少ししたらシトラさんの瞳から涙が滲み出て、今にも消えそうな声で呟く。
「私、ほんとに、あなたの事が」
そのまま、頬を伝って、一粒の涙が床に落ちた。
鼻まで真っ赤になった時、彼女はハルさんの頬を思いっきり引っ叩いた。音があたりに響き渡り、羊店長は思わず目を手で覆い隠している。
突然の暴力に私がぶん殴ろうかと思った。だけどハルさんが大丈夫だからと手で遮ると、私は行き場の無くした拳を納得がいかないままゆっくりと下す。
「……何よその目」
止まらない涙を拭ったシトラさんは私の事を睨む。
「調子に乗るんじゃないわよ、あんたなんて、ただ物珍しいだけじゃない!なのにずるい!ずるいずるいずるいずるいずるい!急に出てきて全部持ってくなんて、あんたなんて、あんたなんて」
「シトラちゃん!」
羊店長が嗜めると、騒ぎを聞きつけて人混みに気付いたシトラさんは急に怒鳴るのをやめてしまった。
ずるっと鼻水をすすって、また流れ出る涙を片手で拭ったらそのまま店を飛び出して人混みの中へ消えて行った。
追い掛けようとは思わない。自業自得だとしか思えなかった。
だけど、何度も告白するほど好きだった相手にハッキリと断られた事だけは同情する。
ハルさんは叩かれた頬を摩りながら、そのまま代わりに店番をしてくれた。
追加されたお酒を想定より早く売り切った私達は、羊店長の奢りでジュースで軽く打ち上げをした。羊店長には私達の関係をいじられて、先ほどとは打って変わって和やかな時間を過ごす事ができた。
ただ、誰もシトラさんの事には触れなかった。私達は早々に解散すると、決めていた通り自分のお給料でお菓子を買って、家に帰った後、夕食のデザートとして家族みんなで食べた。
少額でも労働で得たお金で人に奢るというのは初めての経験だったので誇らしい様な気持ちだ。お父さんとお母さんも喜んでくれてるし、ハルさんも嬉しそう。私もみんなの笑顔を見ると心が温かくなる。
それでも、もやもやが心から離れてくれない。
もしハルさんの事がなければ、きっとシトラさんは私に対してあんな態度は取らなかった。
気が合わなくても今日一日くらいは仲良くできたのかもしれない。
もし配属されたお店が違えば、そもそも喧嘩なんて怒らなかったかもしれない。
私が我慢してれば、シトラさんは無駄に傷つく事も無かったかもしれない。
そんなタラレバが頭を支配する。
でもやっぱりあの子は間違ってる。いくら誰かの事が好きでも、恋していても、殴ってしまえばそれはただの暴力だ。
本当に相手の事が好きだったら傷付ける事なんてできないはずだ。だから同情するのはやめる事にする。
――それでもあの子は一つだけ正しい事を言った。
浮かれて周りが見えなくなっていた私にとって、それは痛い所を突く事実である事に間違いなかった。
そんな事を考えているとお菓子の味もよく分からなくて、いつもの勉強にも身が入らない。
様子のおかしい私を気遣ってハルさんが中庭の涼み台に誘ってくれた。二人で夜風に当たって、風で揺れる葡萄棚の葉擦と虫の鳴き声を聞く。
七月下旬の夜風は爽やかで、寒い夜空で迷っていた時の冷たい強風とは違う。月明かりは変わらず綺麗だけど、今は一人きりじゃない。
「シトラに他に何か言われた?」
隣にはハルさんがいる。そんな彼が、心配そうな顔をするから申し訳ない気持ちになってしまう。
「……別になんでもないです」
「俺には話したくない?」
「そうじゃないですけど」
お母さん達は寝る支度を終えてすでに自室だ。だから中庭には私達しかいない。広い庭の真ん中でハルさんを独り占めしている事実に、どこか優越感を覚えている嫌な自分に、私は気付いていた。
『あんたなんてずるい』
シトラさんの叫び声が頭から離れてくれない。
ハルさんは素敵な人だ。
一度でも隣にいる事を許されたいと願ってしまったなら、そりゃあ諦めるなんてなかなかできっこない。
恋ってきっとそういうものだ。
私だって偶然出会わなければ、こんな関係にならなかった。
髪が黒くなかったらきっと人攫いなんて合わなかったし、ハルさんとベルが破局しなかったらハルさんがあの日に森を訪れる事も無かった。
本当なら私達が出会うはずがなかった。
偶然の重なりが二人を巡り合わせただけだ。
「……シトラさんの気持ちも私には分かるんです。ずっと好きだった人にすぐ女ができたらそりゃ納得できないですよ」
「……でも俺の事は俺が決める事でしょ」
「そうだとしてもですよ」
「何度も断ってたんだよ。でももっとはっきり言うべきだったのかも」
「……モテる男は言う事が違いますねー」
「いやだって、俺だって毎回困るんだよ? でもどう断ったって傷付けちゃうじゃん」
普通の顔でハルさんの顔を見ていたつもりの私だったけど、お願いだからそんな目で見ないでよと懇願されたので、誤魔化すために洗う様に顔をぐしゃぐしゃに触る。
「シトラさんは自業自得だとは思います。でもあの子の気持ち考えたら、私までモヤモヤしちゃって」
「ブルーズが気に病む事じゃないって」
「……そうかもしれないですけど」
そういうふうに慰められたっていつもみたいに返事ができない。
何か言おうと考えても、言葉が全部喉で詰まってしまう。
後ろ向きな言葉ばかりが頭を巡って全部ぶちまけてしまいたいのを、我慢していた。
姿勢を直そうと動いた拍子に私の肩掛けが崩れてお尻までずれ落ちた。ハルさんはそれをそっと持ってふわっと広げ直す。
ありがとう、と伝えようと思って口を開こうとした瞬間、私の体はそのまま引き寄せられて布越しに抱きしめられていた。
「ハルさん?」
この前のハグとは違う力強さに動揺して、思わず反対側に体が動いた。でも彼は力は緩めないまま、腰に回した腕と、私の頭を自分の方へ寄せて、完全に体の自由を奪ってしまった。
「少しだけ、こうさせて」
彼の体から少し速い心臓の音が聞こえる。ハルさんと私の体温がじんわりと混じり合っていく。
肩越しに感じる腕の重さとゴツゴツした身体を意識した事で、照れ恥ずかしさで頭が真っ白になった。私にはこの腕の中から抜け出る事なんてとてもじゃないけどできやできない。
いくら問いかけてもハルさんは無言を貫くから、ずるい。
この人は今どんな顔してるんだろう。
何を考えているんだろう。
色んな事が脳裏を巡ったけど、この温もりはちっとも嫌じゃないから参ってしまう。
「俺は、ブルーズと会えて嬉しかった」
彼は風邪をひいた時みたいな声で呟く。
「ブルーズと会ってから、毎日が楽しいんだよ。もしあの日会えてなかったとしたら、俺は俺として生きる意味に気付かないまま生き続けたと思う」
顔が見えないまま話し始める。心臓は相変わらず速くて、血流も聞こえそうな程周りが静かに思えた。
「俺たちは確かに、生まれ育った環境は違うよ。偶然かもしれないよ。何か一つ違えば、会う事なんてなかったかもしれないよ」
そして私の髪を撫でた。まるで赤ちゃんにでも触れるかのような優しい触り方が髪を伝ってくる。
「でも、俺は、ブルーズ以外、いらない」
甘い声とは呼べない、震えた声で囁いた。
ハルさんは私の頭にかかった毛布をめくり、冷たい空気にさらした。
私はというと、ゆっくり顔を上げて彼の顔を見た。緊張した面持ちのくせに、目が合うと穏やかに笑いかけてくる。
きっとお互いの瞳に、お互いの姿が写り込んだ時だった。
「ブルーズと離れたくない」
大真面目な顔で、そんな事を言ってきたのは。
あぁ、本当にずるい。
そう言ってくれた言葉が、気持ちが、嬉しくてたまらない。私だって離れたくなんかない。
熱っぽい体も、体の重みも、たまに聞こえる苦しそうな呼吸も、このまま抱きしめ返したら全部私の物にする事ができる気がする。
不安があってもこの人なら怖くなんてなかった。
子供に何がわかるんだと言われたとしても、人生で一番幸せな瞬間は今だ。今すぐにでも私の真っ白な全てを、この人に差し出してしまいたい。
そしたら私達はきっと幸せに包まれる。
直接触れ合えればきっとそのまま一緒になれる。
「……ごめんなさい」
だから私はもう、駄目なんだと思った。
「私、帰ります。
だって、きっと私は恋に狂わされてる。