「それで? あんたってハルの何なわけ?」
街の人通りの少ない道で、知らない女の子三人に詰められていた。同い年か、下手したら年下の女の子がどうしたらこんなに殺気立つ目ができるのか分からない。
人工的な街で育ったらこういう風になってしまうんだろうか。少なくとも私の田舎にはいなかった。
鶏卵をカゴいっぱいに買って家に帰る途中だった。
最初は親しげに「あなた、昨日の結婚式に参加してたわよね?」と声をかけられたから、何も疑わずに「そうですけど」と正直に答えてしまったのが運の尽きだった。割れ物を大量に持っていた私は下手に暴れられずそのまま裏路地の袋小路へ連行されてしまったのだ。
そして今の状況だ。女の子三人に睨みつけられながらハルさんとの関係性を問われている。真ん中にいる可愛らしいくりくりの栗毛の女の子はこの前結婚式の会場で、私をじぃっと見てきた子だ。
「ハルの新しい彼女ってあなたっていうのは本当なんですかー?」
明らかに苛立った声で敵意を感じる。ハーナも最初は私の事を歓迎してなかったけど彼女はベルを思っての態度だったから、目の前の女の子からの本物の敵意に私は少しビビっていた。
「えっと…………」
こういう時、本当にその立場なら堂々と振る舞える。だけど事実は違うので、どう答えるか迷っていた。
何故ならハルさんのお母さんは私について、「知り合いの子を預かってる」と近所の人に話していた事を私は偶然耳にした事がある。最初の頃と比べればずいぶん仲良くなったとは思うけど、お母さんはに心の底から信頼してもらえてるのかは分からない。そもそもいつかこの村を去る身としては、無責任に肯定する事自体に抵抗がある。
「———それでどうやって逃げたの?」
「隙見て走って逃げたぁ……」
ハーナの家でのお茶会に招いてもらった私は机に突っ伏してうなだれていた。人より足が速い事にこれほどまでに感謝した事はない、女の子達は私の後を追ってきたけどすぐ引き剥がした。そもそも、途中で振り返って様子をみたら彼女たちは結構すぐばてて道の途中で止まっていたので、鶏卵を持った状態で走っても余裕で逃げられたかもしれない。
「調子に乗らないでくれるぅ~? ハルってこんな感じの子が好きだったんだ〜?」
とか言われたよ。と疲れた顔で物真似しながら伝えると、ベル達は可哀想と同情しつつ爆笑している。私の苦労が話のネタになったなら、まぁ良しとしよう。
ハーナの家は宝飾品や珍しい輸入品を扱うお仕事をしてるらしく、ハルさんやベルの家にも引けを取らないくらい豪華な家だった。古今東西の豪華な代物がいたるところに置いてあるので、私は家に足を踏み入れた瞬間から、テーブルのお菓子以外は絶対に触らないようにしようと決めている。
「栗毛のくりくりちゃんなら多分分かるわ。あの子、ハルに何回も告白して振られてるのよ」
ベルが、私もよく突っ掛かられたわよ、とため息をついた。ベルの美貌に臆さないとは相当気の強い女の子みたいだ。何回も告白してるという事は、だから私に対してあんなにも殺気立ってたのかと一人納得した。結婚式で私の事をじろじろ見てきたのも多分あの子のはず。
「玉砕覚悟で告白してた子って多いのよね。ベルがいるんだから振られるに決まってるのに」
ハルさんってやっぱりモテるんだなと、みんなの話の流れから察する。最近はすっかり慣れてしまったけど綺麗な顔してるし女の子がほっとくはずがない。
「そーいや、ハルって割とベルに一途だったの?」
うんうんと頷いていたら、ハーナのふとした疑問に、耳がうさぎみたいに動いてメロンを噛もうとした口が固まった。
そういえばこの二人の関係性について深く知ろうとした事がない。結婚したくなかったって聞いてるけど、実は私が知らないだけで過去にはそんな関係だったりするんだろうか?
だけど、ベルはそんなわけないでしょと一蹴すると、自分の分のメロンを食べながら言った。
「ハルは適当に女の子に手出して変な噂流れるのが嫌だっただけ。責任持つのが嫌いなんだから。前も言ったけど私達、手も繋いでないわよ」
ベルの言葉に胸を撫で下ろして、安心して柔らかいメロンを噛んだ。――いやいやいや何安心してるのよ。別にベルに一途でも関係のない話だ。
「分かっとったけど、んんっ、分かってたけどハルさんってそんなモテるんだね」
何も気にしていないふりをしようとしたのに噛んだ。ほっといてくれたらいいのにめざといハーナが見えっ張りに気付いたのか、ニヤニヤしている。
「ハルは今はブルちゃんに一筋っぽいから大丈夫じゃない~?」
「べ、別に気にしてないし」
ハーナは私を揶揄うのが好きみたいで隙あらば何かしらでいじろうとしてくる。ハーナは同い年だし、身長だって同じくらい小さいくせにお姉さんぶろうとしてくるからそこは嫌だ。
でももしかしたら私も顔に出やすいのかもしれない。表情筋を自由自在に操る訓練でもしたほうがいいのかもしれない。
そのやりとりを微笑ましく見ていたベルは、突然何か思い出したかの様にハッとした後、カナに耳打ちした。それを聞いたカナは「あー」と心配する様な声を漏らすと私の顔を見る。
「ブルーズちゃん、この前の結婚式で絡んできた茶髪の方覚えてる?」
ベルがメロン用のフォークを皿に置いて深刻そうな顔をする。私もハーナとの言い合いをやめて、ベルの方へ振り返った。
「茶髪? 二人組の人?」
「そう、その片っぽの茶髪の方ね、ルスタムっていうんだけど」
あの時の光景を思い出す。怖くて俯いてたから顔はぼんやりとしか思い出せないけど、片方は確かにそんな感じの見た目だった気がした。
「私、すっかり忘れてたんだけどあの人粘着質だから気を付けた方が良いと思って」
「は? ルスタムがどうしたの?」
ハーナが一気に不機嫌そうな声になって話に食いついた。
「ブルーズちゃんに絡んでたのってルスタム達なのよ」
「はー? 何それ気持ち悪いっ」
突然耳を塞ぐ動作をして汚物でも見るかのような目つきに変わった。思い出すだけで吐きそう!と悪態までつく。
「うわーブルちゃん、あいつに目つけられたの?」
「な、なんかあるの?」
「あるわよ!」
そう言って机をドン!と叩くと苛立った声で事の詳細を語り出した。
「あの人、一回私に告白してきたの。でも全然興味ないから断ったらさぁ、最終的にストーカーされたわけ。」
「ストーカーって何?」
「……えっーっと……」
私はまた日常会話で使う部類の言葉を質問してしまったらしくてハーナが困っていた。村にいた頃と比べればだいぶ外国語の語彙が増えたとは思うけど申し訳ない。
「分かりやすく言うと付きまといかしらね」
カナが助け船を出してくれる。
「そう!付きまといよ!最終的にお父さんに一言言ってもらって、その後もずっとお父さんと外に出るようにして、やっと諦めてくれたの。ブルちゃんも気をつけなよ? あいつ、背が低い女がタイプなの。ブルちゃん小さ可愛い系だからお気に入り枠に入ってたらまた来るかもよ」
「えーそうなの? ありがとう、気をつけるね」
どこにでも厄介な人はいるんだなと話半分に受け取った。同時に地元の嫌いな人を思い出して若干の不快感が込み上げてくる。
「チビな男ってほんといや。自分より小さい女にしか強く出れないくせに」
「でも来ないかもしれないから」
「そーだけどさぁー!」
荒ぶるハーナを宥めつつ、嫌な昔話を思い出すなんてよくないと掻き消したら、他の話に花を咲かせてみんなで楽しく過ごした。
けれども私はもっと真剣にみんなの話を聞いておくべきだったんだ。
お暇して同じ方向のベルと別れると、角を曲がったところで誰かにうっかりぶつかってしまった。反射的に謝って相手の顔を見ると、相手は茶髪で青い目の少し背の低い男の子だった。
この如何にも作ったような笑顔は見覚えがある。結婚式で隣に座ってきたあの人だ!
「こんにちは、また会えたね」
…………何だっけ、名前がすぐ思い出せない。でも多分、さっき話題に上がった人だ。
「ごめんなさいぶつかって。それじゃあ」
まさか、家の近所で待ち伏せしてた? いや考えすぎかなと思いながらも、悪評を聞いたばかりの私はすぐにその場を去ろうとした。
でも右前に歩き出そうとしたら右方向を遮られ、左前に行こうとしたら左方向を遮られる。やっぱり、ぶつかってきたのもわざとなんじゃないかと思うと気持ち悪くて鳥肌が立った。
「結婚式で会ったんだけど覚えてる? 俺、ルスタムって言うんだけど」
「ごめんなさい分からないです」
そうだルスタムだ。あなたの事は知ってますと思いつつシラを切る。
「そんなに邪険にしないでよ。ねぇ君ってさぁ女の子らしい雰囲気でかわいいよね。どこから来たの?」
「ごめんなさい、急いでるんです」
あと数歩で家なのにこの人のせいでその数歩が遠い。
ニヤニヤ顔に嫌気がさした私は、右側に行くと見せかけて一歩だけ右側に踏み出したら、すぐに左前に跳ねるように走り出した。
まんまと引っかかったルスタムさんの横を走り抜ける事に成功したので、後ろから呼びかける声を無視してそのまま玄関に飛び込んで扉を閉めた。
大きな音を立てて帰ってきた私にお母さんは驚いていたけど、
「お腹が限界で」と誤魔化してトイレに慌てて駆け込む。あぁ気持ち悪かった。あんな風に無遠慮にぐいぐい来る人は人として得意じゃない。
息を整えながら「さっきの出来事は大した事ではないし、大騒ぎする事じゃない」と片付けて、誰にも言わないでおいた。
しかし、これはちゃんと相談すべきだったとあとから後悔した。それ以降、ルスタムさんに偶然だねとたびたび声を掛けられるようになったからだ。
最初は偶然、たまたまだと思うようにしていたけど、数日続くとさすがに気持ち悪さを覚える。
ベル達に相談すると「やっぱり」と青ざめて、一緒にいる時は家の前まで送ってくれるようになった。それでも一人だとお構いなしに声をかけてくるから心労が溜まる。
「いい加減にしてくれませんか」
つきまといが始まって二週間。
家のすぐ横の裏路地を歩いている時、壁をもたれるように行く手を遮られた私は流石に苛立っていた。
「本当に迷惑しているんです」
「じゃあさ、一回遊んでくれたらどいてあげる」
めんどくさいめんどくさい、本当にめんどくさいなこの人。
無言で突然じゃんけんを始めると、反射的に向こうも手を出した。無事に私が勝ったので「それじゃ」とそのまますり抜けようとしたけど、やっぱり肩をつかまれる。
「遊びに行こうって事なんだけど?」
「結構です」
しつこさに思わず舌打ちが出そうだ。
体格的に人に舐められがちな私だからどうせ今回も舐められてるんだろうけど、私はなるべく冷たく突き放すように心がける。
こういう時、なぁなぁな態度で接するとダメだって私は過去の経験から知っている、それでもルスタムさんは突っかかってくるのを止めようとしてくれない。
「君がハルの新しい彼女ってのは本当?」
関係者である事は知ってるとは思ってたけど、また返答に困る事を言われて動揺を隠しきれなかった。
「……あなたには関係ないです」
興味を無くしてもらう為に出来るだけ怖い声を出して威嚇したかった。でもその威嚇もどこ吹く風でルスタムさんは話し続ける。
「シトラ達に、ハルとの関係聞かれた時も逃げたらしいじゃん。何で? もしかして人に言えない様な関係なの?」
知らない名前は多分絡んできた女の子の誰かだろう。
そ事そこが繋がってる事を把握した私は「めんどくさいとめんどくさいって繋がるんだ」と、どうでもいい人生の学びを得た。
どうにかここから逃げ出せないだろうか、とルスタムさんの動きを色々予想して何度か騙し打ちしたけど対策されてなかなか逃げる事ができない。蟻地獄から逃げられない蟻を見る子供みたいに彼はご満悦な表情を浮かべている。自分のペースで揶揄うのが楽しいみたい。
いい加減にしてほしい。人目がなければ怒鳴って股に蹴りを入れるところだ。
でもここは家の真横だし、私はここじゃ目立つ容姿をしてるから下手な事してユリウス家の評判を下げる事なんてできない。
「そーいえば、あの噂って本当なのかな。君に、子供ができたら結婚するってやつ」
「…………はぁ?」
そして、突拍子のない下世話な話題に、私の声が荒くなった。
「ベルが
「……何言ってるのか理解できてますか」
こんなに馬鹿馬鹿しい噂話、本人に伝えてくるなんてどんな神経をしてるんだろうか。あまりにもふざけた内容に耳が遠くなる。それを聞いた私の顔はどんどん鬼みたいになってるはずなのに、ルスタムさんはそんなのお構いなく話を続けた。
「君の地元の文化なの? 初めて聞いたからびっくりしたけど、まぁ、効率的だよね」
ヘドロみたいにイライラが積もっていく。
そりゃ、一緒に住んでるんだから多少そう思われるのは仕方がない事だと諦めていた。でもそれを直接言ってくる事はただの無神経なだけで、それは赤の他人が面白がっていい事なんかじゃない。
でも無神経な人は言っていい事とダメな事の見分けがつかない。しかも、注意されたってへらへらして、大ごとだと捉える事ができない。
だからこういう人は存在する事自体、罪なんじゃないかって思う。
「それにあそこのおばさん、もっと若ければたくさん子供生めたのにって嫁いできた時言われてたらしいじゃん。だから子供に苦労かけない為に早めに結婚させたがってたのは有名な話だよ。だから君の存在って、そういう事なのかなって」
――私は育ちはいい方じゃない。田舎者だし、教養も無い。上品な立ち振る舞いとか、上流階級の立ち回り方とか、常識も分からない。
知らない人も行き交う路地裏で、年頃の女が感情を表に出すなんて、もっての他かもしれない。
「ええ加減にせぇや!」
でもそれが何よ。
突然の怒鳴り声に通りがかった人たちがぎょっとした目で見て来たけど、でもそんなのに気を配ってる余裕なんてない。
ブチ切れ状態の私は田舎言葉全開で罵り始めた。ルスタムさんは豆鉄砲喰らった鳩みたいに目を丸くして驚いている。
「ほんまいい加減にせぇ言うとろうが!そんなでたらめ、誰が言うとるんじゃ⁉ ええ年した大人がそんなやっちもねー《ばかばかしい》事本気にしょうるんか⁉ ええ加減にせぇ!お義母さんに謝って!ベルにも!あんな素敵な人ら侮辱するような事言わんで!ちゃんと心から謝れ!今すぐ!」
ルスタムさんの真正面から睨みつけた。付き纏われた苛立ちはすっかり怒りに塗り替えられている。あれだけ私に親身になってくれている人達を侮辱されるなんて私には到底耐えられる事じゃない。
「やだな、怒ってんの? 仲良くしたい子に挨拶しただけなんだけど」
神経を逆撫でするのが得意みたいで反省の色も見せずにヘラヘラしてるのもさらに気に障った。まぁ、怒鳴りつけると呂律が怪しくなるのと田舎言葉すぎて理解できなかったのかもしれない。聞こえなかったならはっきり伝えてやるまでだ。
「おめぇ頭悪ぃんちゃうん? しつこい言うてるのがわからんのこのバカったれ!あんごう《馬鹿》が!」
「待って待って、怖いな……」
「うるさいチビ!!!!!!」
思わず飛び出た低レベルな悪口に野次馬の一人が吹き出した。
自尊心が傷つけられた男って何でみんな同じ顔をするんだろう、気付いた時にはルスタムさんに胸ぐらを掴まれて片足が宙に浮いた私は冷静にそんな事を考えていた。
女のくせにとか言われていた気がする。視界の端で野次馬のおじさん達が動き出しているのがゆっくり見える。あー殴られるんだなと察して奥歯を食いしばった。
でも、数秒経っても何も起こらない。浮いた足はいつの間にか地面について、胸元に込められた力が抜けた。
何故だと思いそっと瞼を開くと、ルスタムさんの腕を掴みながら激昂する紫の瞳が視界の真ん中に映った。
「あんたうちの嫁に何すんのよ!」
白い肌を真っ赤にしたハルさんのお母さんが、ルスタムさんに怒鳴りつけていた。
突然手首を掴まれ驚いたのか、放心した隙に野次馬のおじさん達にルスタムさんは引き剥がされた。何か言い返すかと思ったけど口をモゴモゴするだけで、恥と怒りの混ざった複雑な顔でこっちを見ている。
お母さんは私を彼から遠ざけるように自分の方へ引き寄せて、そのまま唾を飛ばす勢いでまくしたてた。
「ルスタムくんだったかしらね、あなたのお母さん、昔から知ってるわよ。似てるわね」
服越しにお母さんの体温がいつもより高いのが伝わってくる。
「どんな事吹き込まれたか知りませんけどね、この子は正真正銘、うちの息子の婚約者なの。今は事情があってうちに住まわせてるだけで、普通の女性と何も変わりません。だからあなた方が喜びそうな下品な事なんて一切ありません!……それ以上恥晒しな事するってんなら、あなたのお爺様に話をつけてもいいんですからね⁉」
ルスタムさんは怒られた子供みたいにばつの悪そうな顔をすると、野次馬のおじさん達に諭された。でもそれも恥ずかしかったのか、おじさん達を軽く突き飛ばすと野次馬の山をかき分けるようにその場を離れ無言のまま逃げる様に走り去っていった。
その姿が見えなくなるまでお母さんは睨み続けた。
そばにいたおじさん達も大丈夫かいと声をかけてくれて、すっかり落ち着いた私は、人前で何て恥ずかしい事をしたんだと急に恥ずかしくなって穴があれば入りたい気持ちになる。
あんな汚い言葉を大衆の面前で怒鳴り続けるなんて、ここが都会じゃなくても恥ずべき事だ。
嫁入り前の女なのにやってしまったと顔を青ざめていたら、お母さんは大きくため息をついて、強い口調のまま私を叱りつけた。
「あんなのに付き纏われてたなら何でちゃんと言わないの!ご近所さんに聞いて驚いて駆けつけたのよ!」
「……すいません。心配させたくなかったんです」
私の言葉は本心だったけど、結果的にこんな事になって迷惑をかけたのだから申し訳なくてしゅんとなる。
お母さんの紫の瞳が私を睨みつける。
だけどそれは厳しい目線じゃなくて、母親が子供を叱りつける時の慈愛に溢れる時の感情に似た目線だと私は感じた。お母さんは私を軽く抱きしめると涙腺を震わせた様な声を出して言う。
「あなたはもう、娘みたいなものなの。家族なの。だから心配させないで」
「……でも」
――この話はだめだ。私はこの話の続きは聞いていけない気がする。だって私はこの人の娘にはなれない。そうだって分かっているのに、私はそのまま彼女の言葉の続きを期待する様に待っていた。
「前も言ったじゃない、あなたはもう家族なの!どれだけ私達の支えになってるのか分からないの? サラがお嫁に行ってから寂しかった家が、あなたが来てからお花が咲いたみたいに明るくなったのよ。あなたの事が好きなのはハルだけじゃないの、私も、夫も、あなたの事好きになってる。みんな、あなたもそうなればいいと思ってる。このまま変わらず、あなたがハルに飽きずにずっと、一緒にいれればいいってね」
「でも、私本当はこんな所にいていい存在じゃないんです」
「なんでそう卑下するの!」
「わ、私の事は知り合いから預かってるだけだって他所の人に、前に、お、お母さんが言ってたから……」
口に出してはいけない心情が、本物のお嫁さんしか言ってはいけない様な言葉が、勝手に溢れ出るみたいに、ついに外の世界に出てしまった。
私の言葉を聞いたお母さんは過去の過ちを後悔するように眉をひそめると、そのまま私の目線に合わせ直して力強い声を出す。
「……最初は突然の事で、私も意固地になってたわよ。でも今は違う。あなたの事を大切に思ってる」
そのまま両腕でしっかり私を抱きしめてくれたら、そのまま頭を撫でた後に呟いた。
「だからブルーズ、私達を心配させないで」
家に帰ったらルスタムさんの母親の話を教えてくれた。
昔からハルさんのお母さんに何かと因縁をつけてくる女の子だったそうで、婆になった今もそれが続いているんだと溜息をつく。
手前味噌だけどとハルさんのお母さんは謙遜しながら、「自分は小さな頃から天才肌気質で何をしても人より優れていた。才色兼備の完璧女と評されて人からもてはやされた」と教えてくれた。
でもそんな少女時代のお母さんを、よく思わない子が数人いた。そのうちの一人がルスタムさんのお母さんだった。
何をしても完璧女に勝てなかったルスタムさんのお母さんは、少女時代から一方的に嫌味を言ってきたらしい。相手にしないようにと思っても同世代の女の子社会ではどうしても関わらざるを得ない事も多くて大変だったそうだ。
だけどルスタムさんのお母さんにとって嫌な意味で転機が訪れる。順風満帆な人生を送っていたハルさんのお母さんだったけど、結婚は人より遅かった。
私塾の先生をしていたお母さんは、仕事にのめり込んだらつい行き遅れてしまったと笑い飛ばしていた。先生という職はお母さんにとっては天職だったからその選択に後悔はないらしい。
それでも結婚してから子供をなかなか授からなかった事もあって、早くに結婚して子供をたくさん産んでいた彼女は、完璧女の鬼の首を取ったようにこき落とす様な噂を流したり嫌がらせ行為を続けた。
なかなか子供を授からない事はお母さん自身も気にしてて、その時は大変辛かったと語ってくれた。
他にもたくさんの謎の言いがかりエピソードを教えてもらうと、人間の嫉妬心を煮詰めたような性格に私でさえ辟易する。
「あそこの息子がブルーズさんにちょっかいかけてきたのもハルの嫁だからかもね。そもそもルスタム君がハルと同い年だったのが良くなかったのかも」
疲れた顔をしてそう呟いていた。
ハルさんも普通の人と比べると優秀な部類に入るはずだ。勉強も運動もできて性格も悪くないから人にも好かれる。
もし私が男で同世代だったなら、ハルさんと優劣を比べられたら嫌な気持ちになるかもしれない。きっとルスタムさんも母親から何か吹き込まれて育っただろうから、もしそうだとしたら才色兼備に嫉妬した女性の怨念が親子で引き継がれてるのかもと思った。
もしそうならそれはそれでかわいそうな人達だ。早く断ち切れればいいと思う。
娘だと言われ、胸の奥を直接撫でられた様な気持ちになった私はそれを隠してしまいたかった。でもそれを見透かした様にお母さんは溜息をついて、私の頭をぽんぽんと叩く。
「……もういいわ。念のため、しばらく一人で外出するのは止めておきなさいね」
優しく触れてもらった手のひらに安心感を覚えた。小さい時にお父さんやお母さんに撫でられたら嬉しかった時の記憶を陽炎みたいに思い出したら一気にむず痒くなる。
こんな気持ちにならなければいいのに。こんな気持ちに気付かなければ良かったのに。
お母さんの優しい言葉を素直に受け止める事ができないのは辛い、そう多くない未来に私はこの人も置いて村に帰るのに、優しくしてもらって申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
だけどそれを悟られない様に精一杯元気な様に振る舞って「はい」と返事をしたら、いつもの日常に戻った。
———後日談。というほどじゃないけれど、その夜、何も気付いていなかったハルさんはお母さんにこっ酷く叱られるという理不尽な仕打ちを受けた。
お母さんの話じゃ学生時代のルスタムさんはハルさんに嫌がらせをしていたはずなのに、当の本人は何も感じず全く眼中に入っていなかった様で
「あぁ、そんな奴いたね」くらいの反応しか見せなかった。
別に見下していたとかじゃなく本当に視野に入ってなかったみたいで、哀れなルスタムさんにちょっと同情する。
「あんながそんなボーッとしてるからブルーズさんに目つけられたんでしょうが」
と怒鳴られるハルさんが流石に可哀想だったので、簡単に作れるお菓子を作って部屋に様子を見に行った。ハルさんはお菓子に喜びつつも、付きまといに気付かなかった事については落ち込んでいたようで、謝罪までしてくれた。
だけど叱られた事については
「母さんも怒りすぎだよね」
と軽く元気に流していたので、ハルさんの肝が据わってるのか、単純に締まりのない性格なのか判断しかねる。
まぁ気にしてないならいいかと思って、一緒にダラダラ過ごしてその日は終わった。