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第8話 いけないダンス

 この度、ハルさんの古くからの友人がお嫁さんをもらったらしく、近所で大掛かりな結婚のお祝いが執り行われる日がやってきた。

 朝から街中ざわついて、まるで王様でも来たかと勘違いする程、賑やかな楽器隊が大通りを練り歩く。

 黄金のラッパを吹く男達の後ろに馬に乗った花婿と花嫁さんが人々から祝福されながらゆっくりと進んでいくのを、二階のベランダから私は眺めていた。

 家族のみの儀式は終わっていて、あとは客を招いてお祝いをするだけ。最低でも三日は宴会が続くらしい。私の地元じゃ一日しかやらないのに凄い差だなとぼんやり思った。どうやらこの街は全体的に豊かみたいだ。

 宴会には誰でも参加しできるから私もハルさんに連れられて行った。宴会場には食べきれない程の食事が並び、数え切れない人で溢れかえっている。羊を丸々焼いた物とかお菓子も山盛りに置いてあって、何かが無くなればすぐに補充される隙のなさだった。お婿さんは食料品店の息子さんだから料理に関しては手を抜く事なんてできないのよ、と後で教えてもらった。

 私の村でも結婚式はするけどこんなに派手じゃない。家族だけで結婚式をしてご馳走を食べたら、そのまま女の人が男の人の家に輿入れするだけだ。私の一番上の兄は結婚したので一度だけ結婚式に参加したことがあるけど、甘いお菓子が食べられて、みんなで踊ったりする以外は思ったより地味だなと思った覚えがある。


 ハルさんは一緒にご馳走を食べていたのに友達に度々呼ばれるから、私は途中からは一人ぼっちで黙々と食べていた。ご飯は美味しいけど周りに知り合いはいないし、隣の人に声をかける勇気も出ないし、さっきから誰かにじろじろと見られてる気もして落ち着かない。

 つい先ほども、くりくり頭の女の子がわざとゆっくり私の前を通って睨みつけてきたし、居心地の悪さを感じていた私は、一人で先に家に帰ってしまおうかなと考え始めていた。


「ねーえ?」


 雑踏の中、男の声がした。

 ここで私の事を呼ぶ人なんて一人しか居ない。だから「あぁ、あの人やっと帰ってきた」と思って振り返ったけど、そこにいたのは虫も殺さなそうな笑顔を作った知らない若い男の二人組だ。余りの馴れ馴れしさにびっくりして固まっていると、その人達はへらへらとしながら私の上着をわざと踏んづけるように座って、両隣に陣取った。



「どこの子? さっきからかわいいなぁって思ってたんだよね」


 そのまま、馴れ馴れしい口調で話しかけてくる。逃げられないようになのか、二人で押し合うみたいに私を挟んで、口実を作らせない為かお代わりのお茶まで注がれた。

 こんなふうにニヤついた知らない男の人にこんな強引な事をされると、人さらいにあった日の事が走馬灯のように過った。無理やり連れていかれて、頭を押さえられながら首を絞められた時の死の恐怖が蛇になって私の足に絡みつく。怖い、逃げたい、寒くないのに、体が猫に追い詰められたネズミみたいに縮こまる。

 幻覚だと言い聞かせた。ここは幸せでいっぱいの宴会場でみんな楽しくおしゃべりしてるだけ。ここは共同井戸じゃない、ここは森の奥じゃない。方角を見失う様な山奥じゃない。凶暴な野犬なんていない。

 無視していたら、いずれは飽きて何処か行くだろうと言い聞かせて、私は顔を下に向け、自分の太ももと力の入った拳だけを見続けた。早く諦めてくださいと、神様にお祈りしながら背中に伝う冷や汗を感じた。

 でも両隣の男の人達はずっとずっと話しかけてくる。調子に乗って勝手に腕を触ってくるのも気持ち悪い。周りにはたくさん人がいるし、酷い事は流石にしないはずだ。大丈夫だ。自分に何度も言い聞かせた。お願いだから早くハルさん帰ってきてと心で叫ぶ。だというのにあの男はこんな時に限ってハルさんは全然帰ってこない。

 目があっちこっちに泳いだ、冷や汗で下着までぐっしょり濡れてる。不自然な方法で良いからこの場から早く離れたい。でも、一人で帰るよりはハルさんの帰りを待つ方が得策なんだろうか? 頭の中がチカチカ鈍く点滅していて、落ち着いて息ができない。


「ブルーズちゃん?」


 だけどそんな極限状態の最中、間違いなく世界で一番綺麗な声が、私の名前を呼んでくれたのだ。青ざめた私に声をかけてくれたのは、間違いなく世界一美少女のあの娘だった。


「やだ、ブルーズちゃんじゃない! 来てたのねぇ~!」

「……! ベルしゃぁん……!」


 天空から、真っ赤な花びらと純白の羽がゆらゆらと舞い落ちてきた(のが私には見えた)。

 掃き溜めで震えていたネズミが、急に天国に住む女神から手が差し伸べられたみたいだった。ベルさんは翠玉色の瞳をこっちに向けて、宝石箱みたいな笑顔をこっちに向けると、もう一度ぱぁっと明るく笑った。私へと近付くと、鈴みたいな声で軽やかに話し出す。


「ねぇねぇ、私ね、お友達とあっちの方で駄弁ってるのよ! 親友なの! せっかくだからブルーズちゃんを紹介したいんだけど、良かったらこっちの席に来てくれないかしら?」

「あれぇ、ベルちゃんじゃん! 良かったら一緒に」

「どなただったかしら♪?」


 男は親しげに声をかけたのに、ベルさんは美しい顔のまま首をかしげる。かわいい子って、首をかしげたらもっとかわいいんだな。

男の人はまるで親しいと思っていた野良猫に逃げられた顔をしていたけど、ベルさんは全く相手にせず、私を両隣の男から引きはがす様に間に入ったら、そのまま私の手を取った。


「うふふっ♪ ごめんなさーい、この子ね、私のお友達なの! ごきげんよう♪」


 ベルさんは返事を聞く前に私を自分のカバンみたいに引き上げると、困惑する男の人達を置いて、さっさとその場から連れ出してくれた。


「ねぇ、ナンパされて困ってたんでしょう? 大丈夫だった?」


 彼女は優しい声で声をかけながら、私の目の下をちょんっと軽く突く。


「目が助けて~って言ってたわよぉ~?」


 ベルさんの優しい笑顔で、あの人達から離れられた事をやっと実感できた私は、安心するとだんだん涙目になって、目の前の美人に思わず抱きついてしまった。




「んで? その子がハルの新しい女ァ?」


 新しい席に着いた私は別の意味で泣きそうになっている。派手なピアスと指輪をたくさんつけた小柄な女の子が、イライラした顔で私を睨みつけていた。明らかな敵意を感じる。


「やだぁハーナ、怖い事言わないでって! あっちで絡まれてて、ずっと怯えてたのよこの子」

「あ~、ごめんごめん。つい口が滑って~」


 口先だけの謝罪をした後、葡萄を口にしながら、私を頭から爪先まで舐める様に見てくる。

 怖い。


「ハーナったら失礼でしょ! やめなさいよ」


 けれど、もう一人の女の子がその態度を叱った。ハーナと呼ばれた女の子は「ごめんってば」と口では言いつつも不服そうな表情をする。


「ごめんなさい、この子ハーナっていうんだけど良くも悪くも素直な子なの。私はカナです、よろしくね」


 カナさんは背が高くて、のんびりした雰囲気の女の子だ。おっとりした顔つきはベルさんとは違った雰囲気の美人さんで、初対面の私でも何故か甘えたくなる雰囲気を醸し出している。


「あの、はじめまして。ブルーズです」

「何歳なの?」

「十六、です」

「あら! 私達みんな同い年じゃない! 敬語なんて止めましょうよぉ!」


 そうして私は三人の輪に混ぜてもらった。

 今日の結婚式ではお婿さんがみんなの昔から知り合いらしい。あの人、顔もスタイルも良くないのによくあんな可愛らしい人と結婚できたわね、とか、顔はあれでも真面目で優しいから結婚までいけたってお母さんが言ってたわよ、とか情報が行き交って、挨拶をしただけのお婿さんの知識を私はどんどん増やしていく。そういえば、あまり歳の変わらない人の結婚式に参加するのは初めてだ。既婚者である兄に結婚に関して深い話を聞く機会はないから、結婚を決める時ってどんな気持ちになるんだろうと気になった。


「そういえばブルーズちゃんに、前から聞きたかった事があるの」

「何ですか?」


 ベルさんが改まって私に何かを尋ねようとしたので、ベルさんの方へと体を向き直した。だけどベルさんは急にもじもじし始めて、「あっでもやっぱり恥ずかしい……でも……」と体をくねらせている。


「ハルとは……そのぉ……」

「何でしょう?」

「………ど、どこまでいってるのぉ⁉」


 顔を真っ赤にしたベルさんに、「ちょっとやだぁ何聞いてんのよ~!」と他二人が注意しつつも、急に色めき立った。一方の私は、何を聞かれてるのかよく分からなくてぽつんと孤立している。


「ドコマデ?」


 一度、自分だけに聞こえる音量で繰り返す。みんなから何に盛り上がっているのかが分からない私は、絡まった紐を解くかのようにじっくりと考えた。


 ――あっ、そうか。出かけた場所を聞かれてるんだ。きっと、この街には住み慣れたのか気にかけてくれてるんだ。もうっ、ベルさんって本当に天使みたいな人。優しくって気遣いができる素敵な女性。何て素敵なんだろう……☆

 そして同時にハルさんって本当にわがままな人だなと思い、彼の株ががくんと下がった。


 ――ハルさんとは市場までなら行きましたね。


 そんな感じで返そうかなと思った。市場なら二人で何度か出かけたし、別に隠す事でもないから話題に挙げても問題はないだろう。でも、何でベルさんはそんな事を顔を赤らめながら言うんだろう? まるで恥ずかしい話でもしてるみたい。ちょっと変わった子だなぁ。


 ――そう考えた二秒後。


 やっと、それが「」だと気付いた私は、油を浸みこませた古紙を燃やすみたいに、一気に顔と耳が真っ赤に染まった。


「なんもしとらんけん!」


 必要以上の大声で慌てて否定した。一瞬、周りの人がこちらに振り返ったけど、すぐに自分達の話題へと戻っていく。


「うそ! だって同じ家に住んでるんしょ?」

くらいしたでしょ? ねっ?」

「何もしとらん! ほんまに何もしとらんって!」


 しまった、私は恋愛に関しては一番そういう話を振られる立場なんだった。そりゃそうだ。みんなそう思うに決まってる。だっていきなりこの街に現れた女が婚約者のいる男を奪ったなんて事件は話題になって当然だ。そりゃもうぐっちゃぐちゃでねっちょねちょでべったべたな事になっているはず。私だって、私みたいな人がいたらそうだって決めつけて陰口を言う位する。冷静に考えたら嘘で誤魔化せばよいのに、この時はそんな事思い付かないくらい恥ずかしくてそれを思いつく余裕がなかった。


「一緒に住んでて何も無いってそんなのありえんの? じゃあ何? ハルはヘタレなの?」


 ハーナがニヤニヤと、新ネタを掴んだと面白がっている顔をしている。


「何もしとらん! です!」

「えーうっそーつまんなーい。ベルと婚約してる時も一切手出してなかったんでしょ?」

「本当に真面目なのねーハルって」

「違うって! だからそういう男子をヘタレって言うの! 根性なし、意気地なし、腑抜け、腰抜けとも言う。どうせ、ドーテ」


 何か言おうとしたハーナをカナが「下品!」と一刀しながら口を押さえてそれ以上何も言えないようにされていた。


「ハルは私と婚約してる時も何も無かったわよ。一緒に出かけた事はあったけど、それも親に言われてイヤイヤだったし」

「あったね! 結局あんたらすぐ解散して私達と遊んだもんね!」


 キャッキャっと騒ぐ横で体温の上昇でぽかぽかに熱くなった体から汗が噴き出そうだ。


「そ、そうですか」


 手をうちわにしてパタパタと仰いで気を落ち着かせようとした。


「でも私の家でチューしてたわよね」


 落ち着きたかったのに休む間もなくベルの一言で他二人がギャーッと黄色い叫び声を上げ、何何、どういう事なの? とさらにぐいぐいと詰め寄られた。

 「口じゃないおでこだから」と言い逃れようとしたけど「逆におでこの方がイヤらしい」とぎょっとするような意見まで帰ってくる。確かに恥ずかしかったし嫌だったけどそこまで言われるいわれがあるんだろうか? 


「そんな事ないそんなこと考える方がやらしいよ!」と言い返しても「じゃああれは?これは?」と押し問答するみたいに姦しくなっていくうちにどんどん追い詰められた私は困って小さくなっていく。隙あらば「照れてるのね?」「誰にも言わないから教えて?」「ハルのどこが好きなの?」と質問攻めにされ、私はさながら三匹の猫に追い詰められた黒い鼠みたいだった。


「だってだって……」


 もう降参して全て吐いてしまいたい。私とハルさんは本当はそんな関係じゃない、いわばそういう約束を交わしてるだけの偽装彼女。というか、本当は赤の他人なんだと。その事をベルさんは知ってるはずなのに、どうしてこんなに私を困らせてくるんだろう。ハルさんが言っていた通りやっぱり性格が悪いのかな……、と考えた時、ある事にハッと気付いた。


「……ちょっと」


 何よぉと言うベルさんを少し離れた場所へと連れ出して、背伸びして私は耳打ちをした。


「ハルさんと私は本当の恋人じゃないです」


 そう伝えると、彼女は大きな目をパチクリと見開きながら明らかに困惑した。


 やっぱり。


 ベルさんは私とハルさんが本物の恋人で本当に結婚したい同士なんだと思ってる。


「……どういう事?」


 戸惑うベルさんに手短に全て伝えた。そして「二人が結婚しないでいい様に手伝っただけ」と伝えると、ベルさんの顔がすーっと青ざめていく。


「私は、あなたがハルの彼女なのは本当の話だと……そ、そんなとんでもない事になっていたの?」

「私も、本当は非常識じゃ思ってます」


 ベルさんに事のいきさつを事細かに話した。


 死にかけた所を助けてもらったお礼は本当にしたいと思った。望まない結婚は可哀想だと同情もできた。そして、この作戦に第三者を投入するなら、いずれこの村を立ち去る私みたいな人間がうってつけだと分かるとも伝えた。でもベルさんは納得できないと言わんばかりに顔をぶんぶん横に振り、感情的に言い返す。


「でもそんなのってないわ! あなただって家に帰りたいでしょ? それに……!」


 ベルさんは取り乱すみたいに声を荒げたけど、すぐに冷静さに欠けた事を自覚したのか胸に手を当てて落ち着いて深呼吸をした。


「ごめんなさい、私が悪いのよ。私が……私がハルと結婚するのが嫌だって言い出したから、私が悪いの。ごめんなさい……。でもまさか他人のあなたを巻き込むだなんて思わなかったの。お嫁さんのふりをして知らない家で過ごすなんて、そんなの嫌よね? 怒ってない……?」

「怒るなんて! ユリウス家の方には本当に良くしてもらってて、毎日楽しいです」

「でもあなたご実家に帰れるのがいつになるか分からないわよ? だって私とハルって本来結婚するのは二年後の予定だったんだから」

「あ、大丈夫です。多分そろそろ喧嘩して別れるはずなので」

「そ、そうなの? ならいいんだけど……」


 ちょっと理解できないわ、と言いたげな顔を浮かべながらも、彼女はこれ以上話が進まないと思ったらしい。

 慣れないタメ口で今の話は内緒ね、と約束してからみんなの元へ戻った。二人の元に戻ると、ハーナがカナと向かい合って、座布団の上に何かを配って遊んでいた。


「また占いやってるの?」

「それ何ですか? ……あ、それ何?」


 太陽とか女性の絵の描かれた絵札を不思議そうに見る私に、ふふんと得意げな顔でハーナが見せてくれる。これは舶来品の七十八枚の絵柄が描かれた「タロットカード」という物だそうで、これを使って占いができるらしい。


「……さっきのお詫びにやったげよっか」

「えっ、ええの?」

「いいよ。だから許してね」


 意外と当たるのよ、というカナの横でハーナがカードをまとめ直しながら誘ってくれる。占いに心が躍らない女の子なんていないので私はウキウキして真向かいに座ると、ハーナは慣れた手つきでカードを切り始める。いくつかの質問に答えたり、カードを選んだらハーナがふむふむと納得して、にやにやしつつも頭で答えをまとめているようだった。


「……うん!明るい未来が見えるよ。壁はあれども、幸運が待ち受けてるでしょうって。あと今勉強とか、何か努力してる事ある? それも続けなさいってさ。恋愛は……もう出会ってるでしょうって。ハルの事かにゃあー? あと、嘘はやめて素直になりなさいそうすれば道は開けるでしょうって」

「……わ、わぁ〜良い結果〜!」


 他はともかく最後の結果にどきりとした。当たるを超えて全て見透かされてる気持ちになる。それと気のせいだろうか。ハルさんとの話について絶対に逃さないぞという気概も感じる。


「嘘って何? やっぱり何もしてないなんて事ないんじゃないの~?」

「だからぁ何もしとらんって~」


 もぉ~! ここまでくると執念じゃ!


「でも二人って仲良いわよね。前、市場で買い物してるの見かけた事があるわ」


 カナに尋ねられた時、ハーナは私の手を取って手相占いをしていた。「やばい、健康線が全然ない!」と呟いていたのも気になるけど、私は市場の話は隠す事でもないので深く考えずに答える。


「あ、ノートとか買いに行った時かな……?」

「ノート?」

「ハルさんが日記用にって可愛いノートを買いにつれてってくれたんです……くれたんよ」


 なかなか訛りが抜けない。ため口で普通に話すのってこんなに難しいのかと思いつつ返事をする。カナはこれまた優しそうな顔をしながら私を誉めてくれた。


「へぇ、日記毎日つけるなんて偉いわね! 私なんて書こうとしてもいつも三日坊主になっちゃって」

「あ、ううん。私文字が読めんけん……読めないから、今習っとるんよ。日記は字の練習になるからって」


 私をまめな人だと思ってくれるのはとても喜ばしい事だけど実際はそんないいものじゃない。真顔でそう言い放った私に三人は心底驚いた顔となり、同時にハーナの爪が突き刺さって痛かった。


「今時ありえないよ! どんだけ田舎に住んでたの?」


 たじろぎながら「地元では女の子は勉強する習慣がない」と伝えたら、とんでもなく古臭い考えのところなのねと軽蔑した様な顔をされた。

 ユリウス家の皆にも同じ事を伝えた時だって驚いてはいたけど、ここまで大きな反応はなかった。あの時は傷付かないように気遣われていたんだと日を跨いで理解する。


「私の村……、そんなにおかしかったんですかね……」


 自分の生まれ育った村に自信がなくなってきた。愛する我が村だけどちょっと泣きそうだ。


「おかしいっていうか、まぁお婆ちゃんくらいの世代ならありえた話だし……ね?」


 反応を見てカナが気遣いながら話してくれているのが分かる。でもお婆ちゃんって、私まだ十六歳なのに。


「それじゃあブルちゃんが書いた日記をハルがまるペケする感じ?」

「……うん。それでハルさんも日記で返事くれるの」

「返事?」

「今日の仕事怠い、昼にうどん食べた、とか」

「「「いやそれ交換日記じゃない⁉⁉⁉」」」


 三人の声がせーので息を合わせて楽器でも鳴らしたかの様に綺麗に揃った。


「交換日記って、ちょっと、どういう事? いくつなの?」

「じゅ、十六……」

「いくら何でも成人してるのに清すぎるわ」

「奥手って話なの? これ」


 世紀の大発見でもしたかのような騒ぎっぷりについていけずに何も言えなくなる。カナが興奮しながらあっと大きな声を上げた。


「思い出した! 私が見かけたのノートとか小さいものを買いにいった感じじゃなかった、服持ってた! それに、アクセサリーの店見てたわよね⁉」

「多分今つけてるやつ買ってもらった時……」

「「「アクセサリーまで⁉」」」

「そういえば服が新しくなってる、前はサラの服着てたのに!」


 ベルの名探偵ぶりにどんどん激しくなる嵐の様な三人を止める術なんて私は知らなかった。


余計な事喋っちゃったと反省しながら、どうにか他の話に変わらないかと他の話を捻出してみたけど彼女たちの様子はなかなか変わらない。今すぐ相性診断をすると張り切るハーナに困り果てていると、遠くの方からおーいおーいと私の名前を呼ぶ声がしてたので振り返る。青ざめてこっちに向かってくるハルさんだった。


「ブルーズ、帰ろう!こいつら話し出すと止まんないんだから!」


 脇から羊を持ち上げるみたいに私を連れて行こうとするハルさんだったけど、女子たちは腹や太ももに巻き付く蛇みたいに抱き着いて逃がそうとしなかった。


「ねぇハル、交換日記してるの?」

「ねぇねぇピアス買ったげたの?」

「ねぇねぇねぇ、これが似合うぜ?子猫ちゃんって言いながら服選んだの?」

「うるさい! 黙りなさい!」


 恥じと苛立ちが混ざったような感情をむき出しにしたハルさんに引っ張り上げられる。何か今日引っ張られてばっかりだなと思いつつ「楽しかったです、またね、さようなら」と慌てながら別れの挨拶して、ハルさんと帰り道を歩いた。







「あいつら昔からサラ目当てに俺ん家来てたから、特に俺に遠慮がないんだよ」

「そうなんですか?」

「年上を敬う気持ちが足らない」


 宴の賑やかさで気づかなかったけど、いつの間にか夜になっていた。街灯の炎に照らされる帰り道には、宴会場の音楽がこっちの方にも漏れている。それを聴きながら私は鼻歌を歌って、たまに音楽に乗って指先を動かした。


「そういえば何で移動してたの?」

「知らない人に声かけられて困ってたら、ベルがこっちおいでって誘ってくれました」

「えっ大丈夫だった?」

「大丈夫ですよ。ベルが助けてくれたんで」


 ハルさんが申し訳なさそうな顔をしている。


「ごめんね早く戻んなきゃとは思ってたんだけど、友達が全然離してくれなくてさ」

「別にぃ。こっちも楽しかったですよ。こんなに賑やかだったのは久しぶりだったし」


 最初ハーナに睨まれた時は怖かったし、みんなにハルさんとの事を追求されたのは困ったけど、久々に同世代の女の子同士でお話できて楽しかった。食事も美味しかったし、満足感と心地よさから今は少し眠い。あくびをごまかすために伸びをした。


「そっちこそ何をしてたんですか?」

「……みんなで酒飲んで踊ってた」

「えっ、ハルさんって踊れるんですか?」

「そんなに意外?」


 ハルさんが踊る印象がないから踊る彼を想像すると少し面白い。運動はできるだろうけどお坊ちゃまには素早く動いている印象がないのでこの時は半信半疑だった。


「じゃあほっとかれたお詫びに見たい!」


 ハルさんは私のお願いに迷っていたみたいだったけどそれでもじっと見て「お願い」と訴え続けたら観念したらしい。道外れに移動してから「一回だけだからね」と念押しされると、小さく聴こえる音楽に折を合わせて地面を跳んだり、そのまま何回転かして音に合わせて踊り出した。生まれてから見た事のない身体能力を生かした男性らしい大きな振りの多い踊りだった。回ったと思ったら立ち上がるとそのままステップを踏む。私が手拍子をすると興が乗ったのかそのまま曲が終わるまで踊り続けた。

最後に大きく地面から跳ね上がって土埃をわざと起こしながら足を滑らせながら踊りを終えるとペコリと頭を下げる。私はわーっと拍手した。


「凄い!」


ハルさんは頭をぽりぽりとかいて少し照れ臭そうだったけど、激しい踊りだったのに息ひとつ切らさず涼しい顔をしていたので意外と体力があるんだなと感心する。


「これは地元のじゃないけどね、最近流行ってる外国のやつ……」

「私も踊れるんですよ!」


説明を始めようとした彼の言葉を待たずに、私は勝手に踊り始めた。

さっきの迫力のある踊りと比べたら見劣りするかもしれないけど、村に伝わる伝統的な踊りはみんなで同時にクルクルと回転してスカートの裾や飾りをなびかせながら踊る。お祭りのときにみんなで披露するんだけど、この時は村の外からお客さんも来て、馬乳で作ったお酒が子供にも振る舞われる。これが美味しくて私は好きなのだ。

それに私は踊るのが大好きで人より上手な自信がある。これはちょっとした自慢だけど、お祭りで最前列の真ん中を任された事だってある。

ちょうど街明かりと月明かりに照らされるこの位置は即席の舞台みたいで気分が高揚した。裾が綺麗に広がる様に計算し、手の先の伸ばし方まで意識しながら私は踊る。できる事なら曲の終わりが来るまで踊りたかったけど、一人で満足するのもどうかと思ってキリの良い所で止めようかと迷った。


でも、ハルさんの方をちらっと見た時に目が合った。真剣なまなざしで私の方を見てくれてるもんだから、そうしたら自分でも驚くくらいすっと自然に手が伸びてハルさんの手を取った。

一瞬ためらう素振りを見せる彼だったけど私はそのまま強く手を引っ張った。最初はぎこちなくても聞こえてくる音楽が全部正しい方向へ導く。踊りが好きな同士だもの、ほっといても私達は自然と音楽に身を任せてはじめて、気付けば笑いながら踊りつづけた。

知らない音楽に勝手に歌詞をつけて歌うとたまに彼が噴き出したら、そのまま調子に乗って口ずさんだ。こんな道端で踊るなんて少し非常識かもしれないけど止めるのなんて勿体ない。誰も見てないのに踊りたい気持ちを抑える方がバカらしい。

何曲も踊ってるうちにそのうちハルさんが「も―ギブアップ」といって笑いながら地面に転げたから私もお腹を抱えながら地面に座ると、息を整えるために何度も深呼吸をした。


「どうでした?」


私は地面のハルさんへ問いかけた。でも胸元をばたつかせながらなぜかちょっと間抜けな顔をしてこっちを見ていたから聞こえなかったのかもと思って、もう一度「どうでした?」と近付く。するとハッとしたのか慌てながら顔の前でブンブンと手を振って何かをごまかすみたいなそぶりを見せる。


「もしかして疲れました?」

「そ、そんな事ないよ。楽しかった、それにかわいかった。あ、いやかわいい踊りだった。うん、かわいい…」


舌がもたれてる時みたいな話し方で何か変だ。

あぁ、もしかするとハルさんは今日結構酔ってるのかもしれない。顔も赤いし、さっき踊ったから酔いが回ってしまったのかも。そうだとしたら悪いなと思った。


「ごめんなさい、もしかして酔ってました?」

「いや今日はそんなに酔ってないけど」


そうではないらしい。


「ハルさん即興で踊れるんですね、最初に踊ったやつも、思ってたより踊り上手で驚きました」


私はおしりの土をはらいながら話す。でもハルさんがまるで何かを隠したいみたいな顔をするから「どうしたんだろう」と思って顔を覗き込むとさらに気まずそうな顔をしていた。一度咳ばらいをしたら立ち上がって「行こ」と言うから、今日の出来事をご機嫌な口調で話しながら家まで長くない道のりをのんびりと歩いた。ハルさんはうんうんと頷いて話を聞いてくれていたけど、「ベルがね」と言ったとたんに無言になって妙な空気を作り出す。


「……ねぇ、あの、ベルと何か話した?」


そしてまた言い辛そうに重い口を開いた。

私達は横並びになって歩いていたから、このまま歩き続ければお互いの顔を見なくても不自然じゃない。だから今聞いたんだろう、それでさっきから少し挙動がおかしかったんだと一人で合点がいく。

ははん、探りを入れてきたな、と一人納得して、何て返そうか迷った。

そりゃ、何でベルに私達が本当はそういう関係じゃないときちんと伝えていないのかとか、私が困ってる時に戻ってこなかった事に対しての苛つきとか、私達はいつ別れる予定なんだとか、色々言いたい事があった。


でも、今日は結婚式だった。

せっかくおめでたい結婚式の幸せな雰囲気をお裾分けしてもらった上にさっきまで私達は楽しく踊っていたのに、そういう事を言うのは何だか野暮な気がする。

私はきっと、本物の結婚をする。その時、今日の事を絶対に思い出す。それなら、変な喧嘩になりそうな出来事なんて忘れて楽しい思い出で今日を終えたい。楽しかった一日に水を差すような真似、わざわざしなくていいじゃないか。


「何も?」


だから私はすっとぼける事にした。


「それより私、みんなと仲良しになれる気がします。占いもしてもらったんです。ハーナちゃんに。あとカナちゃんも……」

「……あ、そう。それならいいんだけど」


気の抜けたような声でハルさんが呟いた。


「ほっといてごめんね。本当に抜け出せなくて」

「だから大丈夫ですよ」


本当に反省しているのか、声が弱弱しい。必要以上にしおらしくされても対応に困る。


「本当に申し訳なく……」

「株はちょっと下がりかけましたけど」


だからちょっとだけ意地悪した。その後は珍しく私が「どういう事?」と慌てるハルさんをいじりながら帰路についた。

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