目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第3話 美人な許嫁

 結婚するなら歯が浮くような台詞を吐かない人にしようと思いながら目覚めた。足の腫れはマシにはなったけどまだ赤いし痛みはある。流石に歩けそうにない。

 白けて影のない時間帯。窓の外を確認してから杖をついて台所へ向かうと、ハルさんのお母さんが既に朝食作りを始めていた。


「おはようございます、手伝います」


 朝の挨拶をすると動ける範囲で手伝った。朝食はそんなに力を入れてないのよと謙遜していたけど主食とおかず以外にも副菜が並んでいる。

 食事内容だけではない、お皿は全て新品みたいに綺麗で欠けの一つもない。芸術品みたいにお花や植物の模様が描かれていて、うちの食卓より明らかに豪華だ。


「ブルーズさんは、料理はよくしてたのかしら」

「あ、はい。毎日十人分作ってました」

「まぁそんなに? お世話になっていたお宅って大家族だったのね」

 養子先じゃなくて実の家族にだけど、毎日作っていたのは本当の話だ。

「じゃあお得意なのね?」

「得意かはよぉ分からん……、分かりませんけど、料理は好き、です」

 ぎくしゃくしながら会話をしてるうちに、ハルさんと眠そうな目を擦って起きてきたお父さんが朝食を食べに来た。

「後でティカの世話するけど見に来る?」

「ティカ?」

「一昨日乗った馬だよ」

「あっ、行きてぇ、行きたいです」


 ハルさんの誘いに乗った私は朝食の片付けが終わってから庭へと出た。厩舎では森で私を乗せてくれた青毛のもう一頭が仲良く寛いでいる。青い方がハルさんの馬で、もう片方はお父さんの馬だそうだ。


「この子ティカってゆうんですね」


 艶のある青毛を撫でるとブルルッと鳴いて、そのまま私の頬をべろっと舐めた。

 目がくりくりしていて、凄く可愛らしい顔をしている。人懐っこい子で大きな顔を私の頬にすりすりと寄せてきた。


「怖くない? 馬には慣れてるの?」

「お兄ちゃんが昔、迷子になっとった赤ちゃん馬を勝手に連れて帰ってきてからずっと飼っとっるから平気じゃ。私も世話しとるし。走らせたら凄ぇ速ぇんよ」


 ティカちゃんを撫でながら答える。片足が使えない私を気遣ってか、驚かしたり鼻先で押してくるような事はしてこない、本当に頭が良くて優しい子だ。私はすっかりティカちゃんが気に入ってずっとすりすりと撫でていた。


「こいつオスでさぁ。人間の女の子が大好きなんだよね、すけべなんだよ」

「えっ、女の子じゃ思っとった。ティカって可愛い名前じゃけぇ」

「サラが、あ、俺の妹ね。サラが勝手に命名したの。俺が買ってもらった馬なのに」


 不満そうな愚痴をこぼす姿に、上の子あるあるだなぁと思うと少し笑ってしまう。


「私もお姉ちゃんだから分かりますよ。下の子に譲らんとおえん時ってありますけぇ」

「あ、お姉さんなんだ? 意外。何人兄弟なの?」

「六人じゃよぉ、私は四番目」

「へぇ……」


 そのままティカちゃんの世話をするハルさんを椅子に座って眺めた。


「……そういやぁ私って喋り方おかしいですか?」

「え?」

「なんか、ここの家の人らと喋り方が違う気するけぇ」

「……まぁちょっとだけかな」

「ゆうて、そげん変わらんじゃろ?」

「うん。変わるな。だいぶ訛ってる」

「えぇ~?」





 しばらくすると仕事のためにハルさんは家を出たので部屋に戻ると、息をつかぬ間に布と刺繍針を持ったお母さんが「好きな模様でいいから何か縫ってみて」と怖い顔をしてやってきた。

試されてる……と思いながらも、別に縫い仕事は嫌いじゃないので二人で話しながら昼過ぎまで刺繍をして過ごす。方言を矯正してもらいもした。

 そして昼食にしましょうかと話をし出したころだった。お父さんが暗い表情をしながら帰ってきた。どうしたのだろうと思っていたら、淀んだ声で私に告げる。


「夜、チアンウェイさんの家に謝りにいくから、ブルーズさんも来なさい」と。






 頼むから、動けないほどの腹痛に襲われないかなと神に祈ったけど無駄だった。鈍くて頑丈な体が憎い。私は今から男を奪った(本当は何もしてない)悪女として、相手の女性に謝りに行かないといけないのだ。

 本気で嫌だ、だって私は何もしてないんだもの。暴言を浴びせられたり、水をかけられたり、殴られたりしたらどうしよう。泥棒猫なんて言われたら辛くて数日は泣いてしまうかもしれない。

 怒られ損なんて腑に落ちないし納得もできないけど、この感情をぶつける相手もいないので布団に横たわってジタバタしていた。


「ブルーズ、いる?」


 部屋の前でハルさんが呼びかけてくる。少し考えてから、どうぞと返事すると心配そうな顔をしながら入ってきた。


「ベルも別に酷い事はしないと思うから」

「だって、女の子ってこういう時、えれぇ怖ぇんじゃもん! 嫌じゃ、嫌です~!」


 涙目になりながら訴える私を彼は困ったような顔で見ている。男を盗られた女は悪魔より怖い。そんなの女の世界では常識なのだ。

 自慢じゃないけど私は地元だと真面目な方なので怒られた経験がほとんどない。大きな声で怒鳴られでもしたら、慣れてないから本当に泣くかもしれない。


「俺が悪いんだし、責任は全部俺が負うから。ごめんね巻き込んで。ブルーズは何も気負わなくて大丈夫だから」


 ハルさんは仕事に戻ると言い残し去っていったので、私はまた布団に横たわって思いのままじたばたする。そして、はぁ、とため息をついて、三発程度は殴られる覚悟をしておいた。






 夕方、ハルさんとお父さんが再び帰宅したので、私達は揃って元婚約者のチアンウェイ家に心して(特に私は殴られる覚悟をして)向かった。と思ったら玄関を出た一、二分も歩けば着く距離で少し拍子抜けした。幼馴染と言っていたな。そういえば。

 大変立派な白い石造りの家で、見た事もない大振りな花が庭いっぱいに咲き誇っている。話は既に通っているのかすんなりと家の中に招かれた。

 ハルさん一家が頭を深々下げ、向こうのご両親に、ユリウス家の都合で婚約破棄となる事を真っ先に謝罪していた。私もと一緒に頭を下げて少しでも悪目立ちしないように心がける。相手のご両親は、「まぁ、若いですからそういう事もあるでしょうがね……」と言ったものの不満な顔を隠してはいなかった。

 相手のお家のご両親と思われる方は綺麗な赤毛だ。顔つきまでお金持ちそうな顔をしている。赤毛の夫婦は私の怪我している足を見るなりギョッとしていたけど、私はというと、色んな髪色があるのねとぼんやり考えていた。

 でも、ある事に気付いた。この場にはハルさんのお相手らしき若い女の子がいない。


「あの、ベルちゃんは?」


 ハルさんのお母さんが赤毛のお父さんへ声をかけたときだった。


「お待たせしてしまってごめんなさい」


 鈴みたいに綺麗な声が扉越しに聞こえてきたのだ。私は声のする方へ振り返る。途端に、素晴らしい景色を見た時みたいに言葉を失った。


「おじさま、おばさま、お久しぶりです」


 まるで琴を奏でるような話し方をする豊かな赤毛の女の子が、女神みたいな微笑みを浮かべながら部屋に入ってきたからだ。

 腰が細くてすらっと伸びた手足なのに豊満な胸元は女の私でもくらっときてしまいそう。人形みたいに小さな顔に、零れ落ちそうなほど大きな翠色の目が私に向けられて、女神は優しく微笑んだ。女の私でもこの人の色香に迷ってしまいそうな美貌。これは、私がこれまでに出会った人の中で一番美人と断言できるくらいの美人さんだった。

 私は、こんなに綺麗な人からハルさんを奪った女を演じないといけないのか。ちんちくりんで女らしくない痩せた体つきなのに、これじゃ説得力がない。きつい、こんなのきつい。力不足なんてものじゃない。

 ……そういえばハルさんが最初「こんな事、村の子に頼めない」なんて言っていたけど、それは美人すぎるベルさんに慄いて誰もやってくれないという意味だったのかもしれない。ベルさんを知らなくて、いずれいなくなる余所者の私しかこんな事引き受けないという意味だったのだろうか。苛立ちを込めて彼を睨みつけておいた。


「おじさまたち、悲しい顔をなさらないで。元々は幼馴染だからという理由だけで決まった話だったじゃないですか。結婚ももっと先の予定でしたし、どちらもまだ準備をしてなかったでしょ? ハル君が真実の愛を見つけたのなら、それはとても素敵な事だと思いますよ」


 想定と違い、彼女は至って穏やかな反応だった。怒ったり泣き出したりするわけでもなく、大人な対応をしているように思える。

 こんなに美人で、性格が良さそうな人と結婚したくないだなんて、急にハルさんが凄くわがままな人に思えてきた。


「えぇと、ブルーズさんだったかしら。初めまして、ベルです」

「あ……初めまして」


 ベルさんが話すだけで周りにお花が咲いてる気がする。


「お話はお伺いしてます。エキゾチックな雰囲気が素敵ですね」

「エ、液?」


 知らない言葉だったので、これが褒められてるのかは分からない。


「危ないところを助けてもらったんですって? それで恋に落ちるなんてロマンティックだわ。恋愛小説みたい」


 ベルさんはニコニコしながら話を続けた。天使みたいな微笑みから敵意なんて感じる訳がない。


「きっと運命の出会いなのね。神様が二人を引き寄せてくださったんじゃないかしら?」


 それなのに、私も女の端くれだからか、少し嫌な予感がした。


「でもね、私も少なからずショックは受けてるんです」


 そう、ベルさんは話の主導権を逃さない。一度も私に引き渡してくれない。自分の意見を出すなんて許さないとばかりに話すベルさんの微笑みがどんどん怖くなってきて、私は段々と身が縮こまっていった。


「二人が愛し合ってる証拠を、見せて欲しいんです。ここでキスしてくださいますか?」


そして翠色の瞳が、まるで獲物を見張る蛇みたいに、私を睨みつけていた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?