以前の慰問以来、スラム街では炊き出しも行われるようになっていた。
今回はエシュニーと護衛コンビに加え、サルドとモリーも手伝いに駆り出される。
スラム街の広場跡地──現在は諸々が吹っ飛ばされて、単なる焼け野原状態だ──にテントを設営し、その準備に取り掛かる。
皆が慌ただしく動き回る中、サルドはノリノリだった。
鼻歌混じりに、超高速で玉ねぎの皮を剥いたり、みじん切りにしたり、ニンジンやジャガイモも丸裸にしていく。
「なんだか楽しそうですね」
使い終わった調理器具を回収しながら、エシュニーがサルドへ声をかける。彼女は料理に不慣れなため、辛うじて残っていた水場にて、洗い物を担当しているのだ。
エシュニーの方へと振り返り、柔和な顔をますます優しくして、サルドはうなずく。
「そうですね。料理をするのは、いつだって楽しいものです」
「あら、いつも以上にウキウキしていますよ」
「お嬢様にはお見通しでしたか。実は……皆さんがとても楽しみにしてくださっているので、柄にもなく張り切っておりまして」
そう言いながら、彼の糸目が持ち上げられて周囲を見渡す。エシュニーもそれにならった。
絶賛調理中の炊き出しの匂いにつられたのだろうか。開始前から、老若男女問わずの行列ができている。
その行列をしばし眺め、二人は次いで視線を交わして。そして笑い合う。
「待ちきれない様子ですね。サルド、よろしくお願いしますよ」
「ええ。もちろんです」
力強くうなずいたサルドが、大鍋を大きくかき混ぜた。今日のメニューはシチューだ。
サルドがやる気満々である一方、モリーは涙目だった。
実は、それなりに恵まれた環境で育った彼女は、荒くれ者たちに不慣れであった。
給仕の担当となったものの、その手がカタカタと小刻みに震えている。
「ふえぇぇぇぇ……あっちにもこっちにも、ギャングみたいな人がたむろしてますぅ……」
機械ゆえの観察力でもって、等分にシチューを盛っているトーリスが、彼女をちらりと見た。
「怖いのなら、帰っても構わない。モリーの穴は僕が埋める」
彼の言葉に、モリーは目を見開いた。そしてまくしたてる。
「皆さんが頑張ってるのに、お嬢様も頑張ってるのに、一人で帰れるもんですか!」
「無理はよくない」
「無理と
鼻息荒く、彼女は次に並んだ刺青だらけの若い男性に、震えつつも笑顔を作り、器を渡す。
その男性もシチューを嬉しげに見つめ、次いでモリーにも自然な笑顔を返した。
「ありがとうな、べっぴんさん」
「ほあっ!」
予想外の賛辞に、モリーの頬が赤くなる。
ウィンクして去って行く男性を陶然と見送り、彼女はぽつりと言った。
「ここの皆さん、心は天使のように清らかですねぇ……」
喜色満面としか形容しようのない、いい顔になっていた。
「モリーは幸せ者だな」
赤い瞳がしみじみと、そんなモリーを眺めている。
そんな彼に、次に並んでいた老人が声をかけた。
「なあ、あんた……」
「なんだ」
「本当に魔剣……なのか?」
その目は先ほどまでのモリー同様、怯えに揺れていた。
魔剣でありながら、トーリスは怖がられた経験が少ない。
エシュニーと使用人トリオも、神官や信者たちも当初から友好的であった。もっとも特に女性信者からは、それはそれで危険な視線を注がれているけれど。
いずれにせよ、ほぼ未経験である怯えの態勢を不思議そうに眺めつつ、トーリスはこくりとうなずいた。
「ああ、そうだ」
肯定に、男が息を飲む。
かすかに動いた喉を、別の意味でとらえたらしい。トーリスが、すかさずシチューの入った器を差し出す。
「……え?」
ぽかん、となる男性。
「シチューだ。あなたは、お腹が空いていると思った」
「あ、ああ、そうだな……」
素直にそれを受け取った男性は、小さく肩をすくめた。
「……髪と目が突拍子のねぇ色だってこと以外、まんま人なんだな……ちょっとトボけてやがるけど」
「外見上は人に似せて作ってある。中は違うが」
淡々とそう言うトーリスに、男性は笑った。
「そうかい。ま、外見が一緒なんだから、だいたい人ってことだな」
笑う男性に、今度はトーリスがきょとんとなる。
「そういう考え方もあるのか」
「まあな。炊き出し、ありがとよ」
「ああ」
トーリスにもう一度笑いかけ、男性も軽い足取りで去って行く。
続く中年男性──以前エシュニーに、下卑た言葉を投げつけた三人組の一人だ──は、どこかなれなれしくトーリスへニヤリ。
「で、魔剣サマは聖女サマのいい人でもあるんだよな?」
初めて聞くフレーズに、トーリスは首をひねる。
「悪い人ではないと思う」
「トーリス、何を言っているのですか」
隣の列の給仕を手伝っていたエシュニーが、会話を聞いて駆け寄る。そして、トーリスの額をつん、と突いた。
次いで中年男性へ視線を向ける。その顔は、ちょっと怖い表情を取り繕っていた。
「この子は素直なんですから、変なことを教えないようにお願いしますよ」
「へーい」
くすぐったそうに笑う中年男性の後ろに並んでいた、年若い青年が身を乗り出す。
「なあなあ、それじゃあ俺なんてどうよ? 聖女様、俺の女になってくんない?」
分かりやすい口説き文句に、エシュニーは困ったように微笑む。
「残念ながら、私は神の代行者ですから。誰ともそういった関係にはなりませんよ」
と、彼女は言おうとして、言えなかった。
そう言う前にトーリスに絡み取られ、抱きしめられていたのだ。
(ちょっと待て。どういう流れでこうなったんだよ!)
「トっ、トーリス! 今は寒くありませんから、離し──」
「エシュニーはみんなのものだ。独り占めはよくない」
男性へ向けて、トーリスは抑揚少なく言った。
中年男性が、のけぞって笑う。
「たしかにそうだ! 抜け駆けはよくねえぜ、兄ちゃん」
男性にバシバシ肩を叩かれ、青年も笑う。
「悪い悪い」
中年男性とエシュニーたちを見渡し、彼は頭をかく。
追加の食糧を運んで来たギャランが、ぬっとトーリスの背後に現れた。
「そう言うお前も、お嬢を独占しちゃいねぇか?」
隣の列の応対をしていたモリーも、ここで会話に参戦。
「トーリス君は、けっこう独占欲が強いんですねぇ」
にやつく一同に囲まれても、トーリスは涼しい顔だ。
「僕はいい。友達だから」
(どんな理屈だよ!)
真っ赤になるエシュニーだったが、周囲はドッと笑いだす。
「犬も食わねぇとは、このことだな!」
ギャランが楽しげに言った。
しかし幸いにして、この一件が話題となり、トーリスを遠巻きにしていた一部の住人も警戒心を解いたのであった。