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32:司令官は平謝り

 いつかのように、神殿の裏庭の芝生には、小型飛行船が停泊していた。

 軍からライエスの迎えと、魔剣二人を修理するための技師が訪れているのだ。

 トーリスとライエスの二人は現在、別館の浴室で修理──水を流せる場所の方が、修理にはありがたいらしい──を受けており、そしてエシュニーたちはアリバスと共に応接室にいた。

 そう。司令官自ら、迎えに来たのだ。彼はどれだけ魔剣に、愛情を注いでいるのだろう。


「皆には迷惑をかけてしまった、本当に申し訳ない」

 応接室のソファーに座るや否や、そう言って平謝りのアリバスに、むしろエシュニーたちは居心地が悪くなってしまった。

 軍の超重要人物であるオッサンが、使用人にも平等に頭を下げているのだ。気まずくなって当然であろう。

 モリーなど顔を真っ白にして、卒倒寸前である。


 また彼女が気を失う前に、と彼の向かいに座るエシュニーが、謝罪の鬼と化したアリバスをなだめにかかる。

「アリバス司令官、謝罪はどうぞ、それぐらいで……そんなに謝られては、かえって申し訳なくなってしまいます」

「や、そうだったか……すまなかった」

 最後に一つ軽く頭を下げ、どうにかアリバスも落ち着きを取り戻した。


 モリー手ずからのお茶を飲んで、彼は長々と息を吐く。

「……実はライエスが問題を起こすのは、これが初めてではなくてね」

「はい?」

「以前にも同僚と喧嘩をしたことがあったのだよ。あの時に、もっと厳しく叱っておくべきだった、と今になって後悔している次第だ」

 なんとも勝手な言い分である。


(そんなやつに、よく休暇を出したな、あんたら!)

 罵声をどうにか、紅茶と共に飲み込んで、エシュニーは引きつった笑みを浮かべる。

「失礼ですが、ライエスの教育係の方はどうされているのでしょう?」

「上官が担当しているが、ライエスはああ見えて、実戦ではとても優秀でね。そのため軍も彼を重宝しており、上官も対応が甘くなっていた。その結果、ああやって調子に乗ってしまったようなのだよ」


 そんな軍の事情など、喧嘩に巻き込まれた挙句、廊下を破壊する羽目になったエシュニーからすれば、「知っちゃこっちゃない」である。

 おまけで、修繕費の見積もりを見た時の、あの絶望感を追体験させたいぐらいだ。


「本当、いい迷惑だ。怒ることも教育には必要ですよ」

 そのため若干素に戻って、そうプンスカ主張した。

 外では見せない彼女の荒々しい口調に、アリバスは目を丸くし、使用人トリオはぎくりと固まる。

「お嬢、もう少し穏便にですね……」

(どうせ司令官には裏の顔、バレちゃってるんだし。関係ないね、ふんだ!)


 そして慌てる使用人たちに、そんな気持ちをこめて、ふてくされた視線を送る。

 ぽかんとしていたアリバスだったが、ややあって困ったようにも見える、苦笑いを浮かべた。

「いやいや、エシュニー殿のおっしゃる通りだ。年若いあなたにも分かる道理を、いい年をした親父どもが見失っている……実にお恥ずかしい限りだ」

 父と大差ない年齢にある男性の、弱った笑顔がなんだか不憫で、見ていられなくて。

「ですが、ライエスは素直な子でした。これからの軌道修正も、難しくはないかと存じます」

 エシュニーはつい、そんな助け船も出した。


 ぱちぱちと、アリバスは灰色の目をまたたく。

「素直……でしたか」

「ええ。ここのサルドとモリーに、特に懐いておりました。そうですよね?」

 後ろに控える三人へ振り返ると、こくこく、と小刻みのうなずきが返って来る。

「私の仕事を、手伝っていただいたこともありました。彼はとても、素直で賢い方です」

とサルドが微笑むと、モリーもにっこり続く。

「無邪気で、とてもよい子でございましたぁ」

「そうだったか」

 二人の優しい笑顔につられ、くしゃり、とアリバスも顔を崩した。

 完全に、父親の表情である。


「あなたがたのおかげで、あの子も成長できたのか……いやはや、トーリスの教育係に、エシュニー殿を選んで正解だったよ……本当にありがとう」

「恐縮です」

 少々照れつつも控えめに、聖女の皮を被りなおしたエシュニーは微笑む。

 と、そこで彼女は気付いた。

 彼との初対面時には気付かなかったが、幸いにして今日は察知できた。


 彼女を見つめるアリバスの目が、どこか虎視眈々と、獲物を狙う肉食獣のものだったのだ。端的に言えば、「ぎらついて」いるのである。

 嫌な予感に、彼女が内心で身構えていると。

「どうだろうか、聖女エシュニーよ。トーリスのついでに、ライエスの教育も請け負っては──」

(来たー!)


「断る!」

 力いっぱい、エシュニーは即答した。

 しかし断られると、薄々勘付いていたらしい。アリバスはあっさりと引き下がった。

「ですよね……うん、本当にすみません」

 おまけに敬語である。

 ムキムキ司令官はそう言って、再度平謝りをするのであった。そこまで下手に出る必要もなかろうに。

 案外卑屈な御仁ごじんである。

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