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30:魔剣はすりすりを覚えた

 気怠い体を伴って、エシュニーの意識は覚醒しつつあった。

 お守り作りで消耗した状態での奇跡の執行は、やはり無理があったらしい。

 限界を越えて力を使ったため、体は重いが空腹だし、のども乾ききっていた。

 そういえば夢の中で、「あんまり無理し過ぎるなよ! 飯食って、歯ぁ磨いて寝ろよ!」と、太陽神から神託という名のお説教をいただいた気もする。それにしても、雑な神託だ。


「うう……歯を、磨かねば……」

 うなりながら目を開けると、いつかのようにトーリスがそばにいた。

 ただし今は、額や手足に、真っ白な包帯を巻いている。見慣れぬ姿を、エシュニーは呆け顔でしばし眺めた。


(なんで怪我して……あ。原因、私だ)

 ようやく、意識や記憶がはっきりして来る。

 痛む頭をおさえ、エシュニーは身を起こす。彼女の背中に腕を回し、トーリスがそれを支えた。

「大丈夫か、エシュニー?」

「ええ、ありがとう……それから、ごめんなさい。あなたに怪我をさせてしまって……」

 からからの喉からどうにか声を絞り出すと、違う、と彼が首を振る。


「損傷は軽微だ。僕たちこそエシュニーを、ひどい目に遭わせた」

「そんなことは……」

 否定しようとして、ふと、我に返った。これでは、単なる謝罪合戦である。実りがなさすぎる。

 眉をひそめる彼と目を合わせ、エシュニーは微笑む。


「それじゃあ、おあいこですね」

「おあいこ?」

 トーリスが赤い瞳をまたたいた。

「お互いに謝ったんですから、ね?」

 じっと彼を見つめると、まだ少々根に持っていそうであるが、不承不承ふしょうぶしょうとうなずきがあった。


「分かった」

 そんな彼の頭を、一つ撫でる。

「でもね。トーリスがあの時守ってくれて、嬉しかったですよ。ありがとうございます」

「嬉しかった?」

「ええ」

 うなずこうとして、失敗した。頭に鈍痛がしたのだ。

 低くうめいて、彼女は頭をおさえる。


 するとトーリスが、彼女を抱きしめた。ギョッとするエシュニーに構わず、彼はそのまますりすりと、頬ずりをぶちかました。

 仰天を通り越して、エシュニーはめまいすら覚えた。

「トーリス! 何をしているのですか!」

「以前、エシュニーがモリーとしていた。だからやってみた」

「やってみた、ではありません!」

 全く抱擁を解く気がない腕を、ぺしぺし叩く。もちろん、包帯部分は避けて、だ。


「あれは、親しい者同士だから行ったのです!」

 ついでに言えば、エシュニーもモリーも同性である。

「……僕とは親しくないのか?」

 辛そうにぐっと眉根を寄せ、トーリスはそう問いかけた。

 こちらの庇護欲を、全力でくすぐるご尊顔そんがんである。

「うう……そういうわけでは……」

(ちゃんと言わなくては。今後の教育に支障が……しかし! 拒みがたき顔である!)


「それに、エシュニーは柔らかくて、いい匂いがして、とても気持ちがいい」

 純粋そのものの目でそう言われ、再び頬ずりされ、エシュニーは爆発しかねない勢いで真っ赤になった。

 くったりと彼の腕にもたれ、されるがままとなる。人工皮膚もサラサラで気持ちがいいなんて、言えるはずもない。

「……トーリス。さっきのことは、外では絶対に言わないように」

 ただ、この釘だけはきちんと刺した。

「なぜ?」

「私が恥ずかしいからですっ」

「分かった」


 素直な彼に、ふう、とため息をついて続ける。

「それから。他の人には、こんなことはやってはいけませんよ」

 ポンポンと、彼の背中を叩きながら。むっつり言った。

「もちろんだ。エシュニーだけにする」

「いえいえいえ、本当は私も駄目なんですって……こ、こらっ」

 しかしうっとり陶然とうぜんと、人間離れした美青年に頬ずりされて本気で拒めるだろうか。

 おまけに、なんだかんだで諸々の情が移った相手なのだ。

(……ネコに、大型のネコに頬ずりされていると思おう……くそう、相変わらずいい匂いしくさって……!)


 されるがままのエシュニーだったがその時、扉がノックされた。数拍の後、それが開かれる。

「トーリス君、お嬢様は……あ」

「あ」

 グラスと、水差しを持ったモリーが顔をのぞかせて、固まった。エシュニーも彼女と目が合い、ぎくりとなる。

 しばしの見つめ合いの後、

「はぁぁぁぁぁ……」

モリーが長々としたため息をつく。

「お嬢様……目が覚めたと思ったら、トーリス君に何を教えているんですか……」

 エシュニーは、青くなったり赤くなったりした。しかし、ひどい誤解である。


 焦りに焦ったエシュニーは、痛む頭を押し殺して叫ぶ。

「違いますから! これは、その、この子の自主学習の賜物たまものと言いますか……あ、あなたも同罪なんですからね!」

「なんですか、それぇ!」

 わけも分からず共犯者に仕立て上げられ、モリーも素っ頓狂な声を上げる。

 ピーピー言い合う二人を、エシュニーを抱きしめたままのトーリスが、感慨深そうに見つめていた。

「エシュニーが元気になって、よかった」

 無表情をかすかに緩め、そうつぶやく。

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