昼食の後、いつもより少し早く別館を出て、エシュニーとトーリスは文具店に立ち寄った。
そこでトーリスは、水色のレターセットを購入した。髪色と併せて、「同系色」と思ってしまったのはここだけの秘密だ。
ついでにエシュニーも、インクを購入。こちらはこげ茶色である。
おまけで藍色のインクも購入し、トーリスへプレゼントした。断っておくが、決して親の扶養義務ではない。
これで準備万端、万事において抜かりなし──と思いきや。
夕食後の自由時間中、風呂も終えてこざっぱりしたエシュニーは、寝室でのんびり過ごしていた。
昨日の今日で、少し法力を使い過ぎたかもしれない。疲れがたまっていた。
軽くのびをする。
「明日は慰問がお休みでよかった。のんびりして、法力を回復させなくちゃ」
若さに任せて、少し無理をしている自覚はある。たまには自分を可愛がるのも、必要なことだろう。
本を片手にベッドで腹ばいになっていたが、なかなか内容が入ってこない。体だけでなく、脳も相当疲れているらしい。
(もったいないけど、今日は早めに寝るか)
そう考えて、唯一灯していた枕元のエーテルランプへ、手を伸ばした時のことだった。
扉をノックする音が聞こえた。
モリーだろうか、とエシュニーは夜着の上にガウンを羽織って立ち上がった。部屋の明かりも点ける。
こんな夜更けに、未婚女性の部屋を訪れるほど、男性使用人コンビは無知でも無謀でもない。
「どうぞ」
両開きの扉が開かれ、姿を見せたのはトーリスだった。
(そうだった、こいつは無知と無謀の極みだったんだ)
「トーリス……何をしているのですか」
額をおさえ、エシュニーがため息。首もふりふり。
こちらの
「手紙の書き方を知りたい」
額から、手を離して彼を見る。
「どういうことです?」
「手紙を知らない。書き方が分からない」
「ああ……そういえばそうでしたね」
こちらの手落ちだ。彼は手紙という単語すら、おそらく今まで耳にしたことがなかったのだ。
「ごめんなさいトーリス、気付かなくて。でも、今までずっと悩んでいたのですか?」
うなずく彼を見て、
(そういえば今日、どこか上の空だったような気もするかも)
と遅れて気付く。
もっとも表情は、いつも通りの「虚無」であったため、一見すると変化がないのだが。
それにしても、とエシュニーは開け放たれた扉にもたれる。
「けっこう容赦なく、女性の部屋に来ましたね」
「友達でも、いけないのか?」
「だめと言えばだめなのですが……まあ、いいか」
天井をにらんでうなるも、エシュニーは諦めたように笑う。肩もすくめた。
そして扉から離れ、彼を招き入れる。
「言っておきますが、私以外の女性の部屋に、ホイホイ入るのは駄目ですからね?」
「何故?」
エシュニーが指し示す、窓際に置かれた来客用の丸椅子に座って、トーリスは首をかしげた。
向かいの椅子に座って、エシュニーは両手を広げる。
「トーリスは綺麗ですから。ついて行ったら最後、まるっと食べられて終わりですよ」
「中身は機械だ。食べる部分はない」
「あー、そこからかー」
そう嘆いて頬杖をついた彼女は、わざと怖い顔を作る。
「とにかく危険ですから、入らないように」
「分かった」
無邪気にうなずくその姿は、
もっとも、彼が何もせずに「食べられる」なんてことはない、とも信じているが。十中八九、苛烈な反撃待ったなしであろう。
二客の椅子の間にあるテーブルに便せんを広げ、彼女は即興の「魔剣でも書けるお手紙講座」を開く。
「トーリスは、どなたに送ろうと思っているのですか?」
両手を膝に乗せ、トーリスが姿勢を正す。
「司令官と、他の魔剣に」
「お父さん代わりと兄弟宛て、ということですね。よく知った間柄ですし、かしこまった挨拶はいりませんね」
「なるほど」
本来であれば、アリバスには時候の挨拶云々も必要であろうが、書くのはトーリスである。少々無作法でも、問題ないだろう。
「お手紙には、最近あったこと等を書いてみてください。あ、箇条書きは駄目ですからね? その時自分はどう思ったのか、といった、感想も添えて書くように」
「分かった」
エシュニーの教えにも、トーリスは素直にうなずく。
「ついでに、お相手の近況も伺うようにすれば、受け取った方の心象もなおよくなりますね」
そう言いながら、エシュニーは席を立つ。
「一度、書いてみてください。その間に、お茶を淹れて来ますから」
「分かった。ありがとう」
答えるや否や、トーリスはペンを握りしめ、便せんへ向かった。
(この素直さは長所よね。というか兵器が素直って、どうなんだろう?)
しばらく考えるも、まあいいか、と雑に結論付けて部屋を出る。
階段を下りて、厨房へ向かった。
廊下から食堂に入ると、その奥に厨房がある。しかし、手前の食堂に見知った人影が二つあった。ギャランとサルドだ。
二人は酒盛りをしていた。今夜のつまみは、夕飯に使われたハムの残りのようである。
「お、珍しいな。どうした、お嬢?」
「眠れないのですか?」
筋肉モリモリのギャランと、縦にとにかく大きいサルド。容積の大きいコンビだ。
(暑苦しいコンビでもあるなぁ)
などと考えながら、エシュニーは肩をすくめた。
「ただいま寝室で、トーリスに手紙の書き方を教えているのです」
きょとん、と二人は目を丸くした。次いで、顔を見合わせつつ、ちらりとエシュニーを──寝巻姿のくつろいだ様子の彼女を見る。
「……その格好で、トーリスを部屋に入れたのか?」
もっともな疑問を、無作法の見本図のようなギャランが口にした。つい、エシュニーは笑う。
「相手はトーリスですよ?」
「それもそう、ですね」
サルドが苦笑する。ギャランも彼を見て、一つ息を吐いた。
「ま、相手がトーリスなら、ある意味一番安全だな」
「そうそう」
気楽に笑うエシュニーへ、ただし、とサルドが指を立てる。それを自分の口元へ当てた。
彼の糸目は、どこか楽しそうである。
「モリーさんには、内緒にしておいた方がよさそうですね」
ギャランも強面を緩めて笑う。
「だな。絶対うらやましがるぜ」
その可能性は、高い。
「また卒倒されても困りますし。そこはもちろん、内緒にしておきます」
エシュニーも笑って、軽やかに応じた。
そしてサルドに手伝ってもらいつつ、二人分のお茶とお菓子──サルドの試作料理らしい、カヌレの余りだ──を用意して部屋に戻る。
心配する二人を言い聞かせ、自分でマグカップ二つとお菓子を運ぶ。青いトーリスのマグカップを見つめ、ふと気づいた。
(私物に、青色が多いな、あの子。やっぱり親近感でもあるんだろうか)
詮無いことを考えながら、部屋の前に到着すると、ノックをする前に扉が開かれた。
開けたのはもちろん、無表情魔剣だ。
「足音が聞こえた」
「ありがとうございます。トーリスも、気が利くようになりましたね」
笑いかけて、中へ入る。そしてテーブルの中央に、カップとカヌレの載ったお盆を置く。
便箋は、すでに二つ折りにされて、テーブルの端に置かれていた。
しかしトーリスの視線は、お菓子に釘付けであった。
「これは、甘いものだな」
「ええ。カヌレというそうですよ」
すっかり甘党になった彼へ笑いかけ。
「何を書いたのですか?」
何気なく、そんなことを訊くと。
「エシュニーの声が大きくて、驚いたと書いた」
「それは書くな!」
予想外の地雷に、自慢の大声で制止をかける。
すっかりその声量にも慣れたトーリスは、困ったように顔をしかめる。
「何故だ。今までで最も驚いたのに」
「それでも! 私が恥で死ぬ!」
「人は恥で死ぬのか?」
びっくりした顔が、しげしげとエシュニーを眺めていた。