エシュニーが目を覚ますと、見慣れた天井と、そして触り慣れた感触があった。
寝返りを打ち、自分が寝室のベッドの上にいるのだと、遅れて気付く。
室内は薄暗く、ベッドサイドにあるエーテルランプだけが、柔らかな暖色の光を灯している。
枕に頭を預けたまま、腕だけ上へ伸ばす。
「あー……ぐっすり寝たぁ……」
「たしかに。よく寝ていた」
「うわっ」
他に人がいるとは思いもしなかったので、素っ頓狂な声を上げた。心臓も飛び跳ねる。
胸を押さえて慌てて起きると、ベッドの横に椅子が置かれ、そこにトーリスが座していた。
ずっとこちらを見ていたらしい。
「あなた、何をしているのですか……?」
(ここは一応、乙女の部屋だぞ。そこに無断侵入は、さすがにイケメン無罪とはならないからな……いや、無罪かも……いやいや、有罪!)
じっとりにらむと、トーリスの無垢な瞳がこちらを見返す。
「ギャランに頼まれた。法力を使い果たして死ぬかもしれない。見張れ、と」
「いや、そういう時は医者! 医者呼ぼうよ!」
実のところ、エシュニーが法力を使い果たして倒れたことは、一度や二度ではない。
その度に元気に復活しているので、「一応見張っておこう」程度でも、間違いではないのかもしれないが。
しかし毎度、「このまま死ぬのかもしれない」と思われていたとは。落ち込む。
「あなたたちは、私のことをなんだと思っているのですか?」
「聖女」
「そうじゃなくて……うん、もういいや。とりあえず、見張ってくれてありがとうございます」
ベッドの上で膝を抱え、深々とため息をつく。
うん、と素直にトーリスはうなずく。
「司令官が、エシュニーは変わり者だと言っていたのは、こういうことだろうか」
「悪かったですね、変わり者でっ」
かみつくように言っても、トーリスは動じない。さすがだ。
「だが、今日のエシュニーはすごかった」
「え?」
「とてもいいと思う」
そして真正面から、褒められる。頬が赤くなった。
銀髪を指に絡め、くしゃり、とエシュニーは微笑む。
「……ありがとうございます。それから、私のために怒ってくれて、それもありがとうございます」
「エシュニーは、僕を褒めている?」
首をかしげる彼に、うんとうなずく。
「ええ、そうですよ」
「撫でるのは?」
「は?」
目が点になった。
呆気にとられるこちらに構わず、トーリスが身を乗り出し、己の頭を指し示す。
「エシュニーはサルドの頭を、撫でていた。ギャランから、褒める時に頭を撫でると聞いた」
「うう……変なことを覚えやがって……」
真っ赤な顔で、歯ぎしりしながら彼をにらむも、期待に満ち満ちた目が返された。ランプの温かな光を映すその瞳は、相変わらず鮮やかな赤だ。
おまけに、膝の上でちょこんと手を揃えている。可愛い。
観念したエシュニーは深呼吸をして、なんとなくシーツで手を拭い、そして差し出されているトーリスの頭へそれを伸ばした。
初めて触れる青い髪は、見た目通りサラサラとした感触だった。優しく、二度三度と撫でる。
トーリスは嬉しそうに目を細めていた。
陶然とした、人間らしさすらあるその表情に、ますますエシュニーの顔は赤くなった。目が離せない。そして、鼻血が出そうだ。
「は、はい、おしまいです!」
このまま撫でていたら本当に鼻血を噴き出しそうだったので、両手で鼻を覆いながらあとずさった。
物足りなさそうな顔が、ちろりと向けられる。
「そうか。残念だ」
(嬉しいことを言ってくれるな!)
鼻をおさえて倒れた彼女は、うらめしげに彼を見上げる。
と、どうしてエシュニーは自分をにらんでいるのだろう、と不思議そうな顔が返された。
その純粋な眼差しをにらみ──見つめていると、今まで薄っすら気になっていた疑問が、ふと顔を持ち上げた。
「ねえ、トーリス。一ついいですか?」
「なんだ?」
「どうしてトーリスは、市井に交わる道を選んだのです?」
トーリスは目をまたたき、しばし固まった。身を起こし、エシュニーは答えを待つ。
しばらく経って、彼は口を開いた。
「僕に命はない。だから、命を奪うべきではないと思った」
平坦な口調だからこそ、かえって苦々しさを伴っていた。彼の内なる劣等感に、エシュニーは胸を押さえる。
「あなたたちが終戦に導いてくれて、救われた人は多いのですよ?」
「そうか」
静かにつぶやく彼の頭へ、もう一度エシュニーは手を伸ばした。両手を。
そして、勢いよく髪をかき回す。トーリスが黙ったまま、目を見開く。
ぎょっとする彼に笑いかけ、エシュニーは言った。
「それに私は、トーリスに命がないとは思いません」
「そうなのか?」
首をかしげる彼の頭を引き寄せ、額同士を重ねる。触れ合った額越しに、彼のぬくもりが伝わった。
(やっぱり、命がないだなんて思えない)
「ええ。だってこんなに温かくて、一緒にいると楽しいんですもの」
「エシュニーが言うと、本当に思える」
エシュニーの言葉とぬくもりを噛み締めるように、トーリスが瞳を閉じる。長いまつげだ。
「本当です。だって私は、聖女ですよ?」
「そうだった」
「そうだったって、何ですか」
エシュニーは額を離し、目を細めてうなった。
「あなた、段々ギャランに似て来ていませんか?」
(だとしたら教育のためにも、あの筋肉バカから引き離すべきだ。うん)
目を開いたトーリスが首をかしげる。
「エシュニーとギャランの方が似ている」
「やめてよ! なんであんな筋肉だるまに似てるんだ!」
ピギャーッスと吠える彼女に、トーリスは淡々と答えた。
「生き様が」
「生き様ぁ!?」
一番似てほしくない部分である。