目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
19:聖女はスラムで奮闘した

 たとえ戦地であろうとスラムであろうと、平等に注がれる太陽神の恵み──陽光が、純真と清貧の象徴である、神殿の白い祭服に降り注ぐ。

「きれいな服着ちゃって……嫌がらせかよ」

 ぼそり、とスラムの人々からそんな声があがった。だが、神殿からの来訪者たちは聞こえなかった風を装い、笑顔を浮かべて立つ。もちろんトーリスだけは、いつもの表情筋が死んだ顔つきである。


 また彼らを守るべく、一団の外縁に立つ、警察機構の人々も忌々しげな顔となっている。

 日差しは純白の祭服を印象付けると同時に、エシュニーの艶やかな銀の髪もきらめかせた。

 その滑らかさと輝きに、集合住宅に集まった人影から、口笛や歓声が上がる。美人の受けがいいのは、ここも変わらずであるらしい。


 特に、最前列に立つ中年男性三人組が、ことさら目立つ野次を飛ばした。

「マジでいい女だな!」

「聖女さまー、俺らのアソコも癒してよー!」

「ヤらせてくれー!」

(想像以上に、ストレートな下品さだ!)

 社交界での、婉曲えんきょくした野次やお誘いには慣れっこのエシュニーだったので、このド直球な物言いには頬を引きつらせつつも、ある意味感動を覚えた。


 しかし、そんな風にのんきでいられるのは、聖女ぐらいなものであり。

 警察官たちはすぐに盾と警棒を構え、ギャランも腰に吊るした銃へ手を伸ばした。揃って臨戦態勢である。

 またトーリスに至っては、無言で警察官たちを押しのけて、慰問団の先頭に躍り出る。

 次いで影から生成したナイフを、野次めがけて投擲した。止める間もなくの、不言実行だ。

「ぅわあぁっ!」

 下卑げびた言葉を投げつけた男三人から、似たり寄ったりの悲鳴が上がる。

 全員の足元すれすれに、投げ放たれたナイフは刺さっていた。


「エシュニーに何をさせるつもりだ」

 いつになく冷え冷えとした声音で、トーリスが群衆をねめつける。戦意と殺意みなぎる視線によって、彼らは凍り付いていた。

(お前こそ何するつもりだよ! ここ、スラムだから! 火気と暴力厳禁!)

 エシュニーが冷や汗をかきながら、彼の隣に並ぶ。そして、トーリスの肩へ手を添えた。

「トーリス、過激な行動は慎みなさい」

「何故だ。あいつらはエシュニーを馬鹿にした」

 強張った声音と共に、険しい顔が向けられる。怒っている、のだろうか。


 予想外に短気だった魔剣に慌てふためく慰問団であったが、威嚇されて黙っているほど、スラムの面々も温厚ではない。凍らされた勢いはたちまち溶け、そして熱を帯びだす。

「何が慰問だよ……」

「殺る気マンマンだってんなら、こっちだって油断しねぇぞ」

 不穏な空気が、周囲からも発せられる。

 荒事に不慣れな神官長と神官たちは、早くも真っ青だ。

 そしてそれは、エシュニーも似たり寄ったりである。


(まずい。これは終わったかも)

 気の早い彼女は自身の終焉を、覚悟した。

 その時であった。

 右目に汚れた眼帯をした少年が一人、のんきな小走りで群衆から飛び出た。人々と、慰問団の狭間に立つ。


 彼の乱入により、緊迫した空気に混乱が混ざった。

 だが、そんな空気を読み取る子供ならば、そもそも群衆から出て来たりしない。息を飲む大人たちなどお構いなしに、地面に刺さったナイフをしげしげ眺める。

「これって、魔法? お兄ちゃん魔法使い?」

 躊躇なく漆黒のナイフをつついた少年が、屈託なくそうトーリスに問うた。

「違う。僕は魔剣だ」

「へー」

 無邪気に笑顔の少年と、魔剣という単語に後ずさる群衆。しかし、魔剣への圧倒的「かかわったらヤバい」イメージが、束の間殺気を和らげてくれた。


 それをエシュニーは、見逃さなかった。彼女も慰問団から飛び出す。

「エシュニー、危ない!」

「おい、お嬢!」

 慌ててトーリスとギャランが後を追うも、彼女は構わず少年の前へしゃがみこんだ。

 次いでニッと笑いかける。


「魔法なら、私も使えますよ」

 その言葉に、少年は目を大きくした。

「ほんと? みせて、みせて」

「ええ、もちろんです」

 血で汚れた眼帯の上へ、エシュニーが手をかざす。そして、太陽神へ祈った。

 淡い金色の光が、少年の右目とその周囲を包み込む。少年は歓声を上げ、群衆からはどよめきが起こった。


 光は、しばらく後に消えた。

「……あれ?」

 異変に気付き、少年が眼帯を外す。そして、今まで血の塊に覆われていた右目をゆっくりと、開閉した。ぱちぱちと、辺りも見回す。

「目が、見える……お姉ちゃん、すごい!」

 歓喜にきらめく両目が、エシュニーを映した。彼女も見つめ返し、はにかむ。

「治ってよかったです」


 彼の頭を撫でながら立ち上がり、群衆へも微笑みかける。

「他にお怪我をされている方はいらっしゃいますか? どうか私に、見せてください」

 エシュニーの笑顔と言葉が、かすかに残っていた殺気もまとめて消し去った。

 人々は、しばし顔を見合わせて小声で相談するも。

 明瞭な彼女の声に誘われ、片腕を吊ったものや、足を引きずる者が、おずおずと歩み出る。

 先ほどエシュニーを嘲った男の内、片腕のない者もその中に、気まずそうにして混じっていた。


(欠損した体の再生は骨が折れるけど……仕方がない、やりますか!)

 うん、と心を決めて、彼女は負傷者たちを見て回る。

 ハッとしたように神官長たちも、その治療を手伝って回った。警察機構も、行列の整理を行う。

 一触即発であった両者の間に、こうして秩序が生まれた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?