聖女と神官長によるスラム街の慰問は、警察機構も同行しての大掛かりなものになった。
それではかえってスラムの住人を刺激するのでは、とエシュニーたちはやんわり同行を拒んだのだが。
「恐れながら、聖女様も神官長様も、あそこの恐ろしさをご存知ではないでしょう。我々はスラムを熟知しておりますので」
つまりは素人がくちばしを突っ込むな、ということらしい。
「いや、うちには頼もしい魔剣がいますので」
と頑固に主張しても良かったのだが、それでは神殿と警察の仲がこじれかねない。
げんなりと彼女たちが折れた結果がこの、重犯罪者を護送するような物々しさであった。
エシュニーたちの乗った自動馬車を、警察機構の自動馬車と、自動二輪に乗った武装警察官が取り囲んでいる。
エーテル機関から流れ出る紫煙の塊のようになったまま、馬車は進んだ。
「なんだか物々しくて……戦場にでも行くみたいですね」
「ならず者どもの根城だ。似たようなもんじゃねぇかな……まあ、ちと大袈裟な気もするけどよ」
紫の煙で様子が窺えない窓の外を眺めながら、エシュニーがぽつりとつぶやいた。そしてそれに、向かいのギャランが応える。
エシュニーの身を案じている彼にも、この厳戒ぶりは奇異に映っているらしい。
「それに気になってるんだけどよ」
「何ですか?」
「スラムの連中にとっちゃ、ポリ公どもが一番厄介者だろ? こいつら連れて回るなんて、猟犬連れで野鳥観察に行くようなもんじゃねぇか?」
「つまり、余計に警戒させてしまう……と?」
苦々しい顔で、うなずかれる。
(だよねー。私もそんな気はしてた、うん! でも断れなかった! お巡りさんって圧がすごいんだよ!)
そんな万感の思いを込めて、えへらと笑うと。
ギャランもニヤリ、と笑った。よからぬことを考えている顔だ。
「お嬢はポリ公に弱いからな、昔っから。なんたって暴れ牛の時に──」
「その話はいいから! いや、二度とするな!」
タブーの暴れ牛を持ち出され、慌てて彼の口をふさぐ。
一方、エシュニーの隣に座るトーリスは、煙の合間から見える武装警察官に釘付けであった。こちらの小競り合いなど、知ったこっちゃない様子である。
「新しい兵装だ。とてもいい」
目をキラキラさせて、武装警察官の横顔に見入っている。
ショーウィンドウのトランペットに憧れて、食い入るように見つめる少年のようである。
「もう。軍事マニアみたいなこと言っちゃって」
座席の背もたれに身を預け、呆れ顔のエシュニーがトーリスを見つめる。
(くっ……楽しそうな顔も絵になっている……おのれ!)
誰に怒っているのかも定かでないが、そんな風に緊張感をごまかしつつ、スラム街へと向かっていた。
それでも、手のひらはじわりと湿っており、つい呼吸も浅くなる。
ここライズ町の表側は、戦後の復興も著しく、聖地として栄えたかつての栄華を取り戻しつつあった。
しかしそこから、少しでも路地に入って行けば、町の裏側──スラム街がすぐに顔を出した。そこは崩れかかった家々が立ち並ぶ、貧しい者たちの砦でもあった。
エシュニーたちはスラムの中でも、最も人口過密となっている集合住宅への慰問を控えていた。
道路の補修も全く進んでいないため、自動馬車も平素になく揺れる。
常ならスラムを迂回する神殿の馬車が、その中を進むことに興味を持った住民が、あちこちから集まって来る。
彼らの姿が、エーテル機関の排気煙の切れ目から、とぎれとぎれに見えた。
ボロボロの身なりをした子供もいれば、どう見てもカタギではない面々も混じっている。
と、その中の誰かが石を投げた。石が窓にぶつかるより早く、トーリスがエシュニーの体を抱き寄せる。そして自分の背を窓に向け、彼女を庇った。
がつん、と窓にぶつかった硬質の音に、エシュニーは身をすくめた。息が束の間止まる。
幸いガラスに傷が入っただけで、窓は割れていない。
大変なところに来てしまった、とエシュニーは改めて現状を思い知った。しかし、後に引くわけにはいかない。
「手りゅう弾でなくてよかった」
が、トーリスのこのつぶやきには背筋が凍る。
腕の中から恐々と、彼の端正な顔を見上げた。
「……手りゅう弾の可能性も、あるのでしょうか」
「武器の横流しは、闇市で横行している」
淡々としたトーリスの答えに、ギャランも重苦しい顔と声で同意。
「軍が抱えてる問題だな。戦後閉鎖された武器工場なんかから、バンバン売り払われてるって話だ」
初耳である。そして事前情報として、知っておくべき類でもあった。
「うえぇぇ……その話は、もっと早くしてよぉぉ……」
エシュニーは泣き出す一歩手前であった。
しかし残念ながら、投石ごときで進軍が止まることはなく。
その後も順調に進んだ末にようやく、ガタン、と一つ大きく揺れて馬車は停止。
目的地へ、幸か不幸かほぼ無傷で到着したのであった。
涙目のエシュニーを、トーリスが覗き込む。
「心配ない、エシュニー。手りゅう弾なら、僕の影で対処する」
「頼みましたよ……死んだら恨むからね……」
無表情のサムズアップをじっとりと見つめつつ、エシュニーはギャランとトーリスに挟まれる形で外へ降りた。