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17:聖女はスラム行きを決意する

 神官長からのお願いは、唐突なものだった。

「スラム街への慰問を考えております。そのために、魔剣トーリス殿の助力を乞いたいのです」

 内々の相談とのことで呼び出された彼の執務室にて、そう頼まれたのだ。エシュニーはポカン、と呆ける。

 ちなみにギャランとトーリスは、執務室の入り口に控えていた。


「……何故、急に慰問を思い付かれたのですか?」

 とりあえず、そう尋ねる。

 禿げあがった頭を撫で、神官長は弱々しく笑った。

「慰問自体は、以前から行いたいと考えておりました。ですが……恥ずかしながら、あの地区への恐怖心のため、二の足を踏んでいた次第です」

 たしかに危険地帯だ。旅行者も決して訪れないと聞く。


 ここで言葉を切り、もじもじする彼に代わって、エシュニーが言葉を継いだ。

「そこに魔剣が登場した。彼を盾にして慰問を行いたい、ということでしょうか?」

「……その通りです」

 いつになくトゲのある聖女の言葉に、うなだれつつも神官長は肯定した。


――魔剣なら、危険な目に遭ってもいいっていうわけ?


 エシュニーはむかっ腹で、そうまくし立てそうになる。が、寸前でこらえた。

 魔剣の武力は一騎当千。神官長の考えは、何らおかしいものではない。またスラムへの慰問も、いつかは行わなくてはならないだろう、と神殿内でも度々議論されていた。

 ただエシュニーは、トーリス個人への情を持ってしまっている。彼だけホイホイ差し出すことは、よしと思えなかった。

 となれば、彼女が取る手段は一つ。


「でしたら私からも、お願いがございます。その慰問へ、私も同行させてください」

 この申し出に、神官長が泡を食う。

「そっ……それは、なりません! あそこは地元住民も近づかない、危険地区なのですよ!」

「そんな危険地区に、教育を任されている、魔剣だけを派遣させるわけにはいきません。彼の教育係として、友として、そしてこの地の聖女として、私も帯同いたします。それが、彼の派遣を許可する、たった一つの条件です」

 折れるわけにはいかない、とやや早口でそうまくし立てる。


 平素にない鋭い眼差しでそう突き付けられ、元来気の弱い神官長はとうとう言い返せず、

「……聖女殿が、そう望まれるのであれば」

がくり、と頭を下げるのであった。


 しかしこれに反発したのが、食事の席で慰問の事実を知った使用人トリオであった。

「あのハゲ親父……なんでもホイホイ許しやがって……」

 鶏の香草揚げ焼きをぽとり、と皿に落として、ギャランがうなる。

「お嬢……トーリスが心配な気持ちは分かりますがね、そりゃ危険すぎますぜ」

 そして剣呑な目で、無鉄砲な主を見つめた。


「そのことは分かっています。ですが、神殿としても聖女が出向いた方が、話題にもなります。悪いことばかりではないと思うのです」

「そりゃそうですが……でも、あんたに何かあったら、俺らは旦那様に顔向けできません!」

 いつになく、ギャランの声は真剣みを帯びていた。根っこは優しい彼の手に、エシュニーは自分のものを重ねる。

「大丈夫ですよ。だってギャランとトーリスなら、鉄壁の守りでしょう? きっと、これは好機でもあるはずです」


 サルドとひそひそ話をしていたトーリスが、珍しい困惑顔を向けた。彼から、スラムの意味を聞いていたようだ。

「エシュニーは何故、危険な場所へ行くんだ?」

「トーリス一人を行かせたくないから、ですよ。だって友達ですもの」

「僕は魔剣だ。慣れている」

 慣れている──その響きが、エシュニーをどれだけ悲しませるのかを、トーリスは知らない。


「……分かっています。けれど、それでは私が嫌なのです。それにスラムは、危険地帯である一方、町で一番貧しい場所でもあります。そこを無視し続けることは、たとえ神が許したとしても、聖女失格なのだと思うのです」

 真剣な光を灯したアメジストの瞳が、ガーネットに似た深紅の瞳を正面から見据える。

「トーリス、協力してくれますか?」

 反対しろ!と、使用人トリオの視線がトーリスに注がれる。


 彼はトリオを見渡し、そしてもう一度エシュニーを見つめ、黙考もっこうの末にこくり、とうなずいた。

「僕は聖女のエシュニーもすごいと思っている。協力する」

 途端、ギャランたちが脱力した。テーブルに突っ伏す。

「あーあ……やっぱりか……」

 うなだれる彼の広い肩を、隣のモリーが慰めるように叩いた。


「トーリス君は、ママ思いですからねぇ……」

 腕にあごを乗せ、情けなくサルドが微笑む。

「それに、お二人の信頼関係が強固、と分かったことは素晴らしいことですよ」

 しかし彼らも、エシュニーに仕えて長い。それこそ、彼女が悪鬼のごとき悪ガキだった頃から知っているのだ。


 ややあって、ギャランがジョッキのビールを飲み干し、ええいと叫んだ。

「お嬢が聖女の自覚を、ようやく持ってくれたんだ! 俺も、一肌脱いでやらぁ!」

 彼の一声に、モリーとサルドも顔を見合わせてうなずく。

「やっとお嬢様が目覚めたんですから。私たちも、慰問の成功を祈りましょう!」

「そうですね。ようやく聖女らしくなられた、お嬢様とお二方のため、ご馳走を作ってお待ちしておりますので。必ず、皆さま無傷で帰って来て下さいね」

 彼らの協力と応援に、エシュニーはじわり、と心の奥が温かくなった。

 自分は使用人に恵まれている──などと一瞬思ったが、それよりも先に言うべきことがある。


 眼前のテーブルに手を叩きつけ、エシュニーは彼らをねめつけた。

「聖女の自覚は元々持ってる。人のこと、なんだと思ってるんだ」

 聖女らしからぬ、そのじっとりねちっこい眼光に、使用人たちがテヘ、とはにかんだ。

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