モリーの怖い一面を垣間見たところで、サルドも着替えを終え、三人で神殿の敷地を出た。
顔なじみの門番が、おや、と目を丸くする。
「珍しいですね、聖女様。皆さまでお出かけですか?」
「サルドのお買い物への、付き添いです」
「いい息抜きですね。楽しんでください」
「ありがとうございます」
爽やかに見送られ、町の市場へ向かう。
道中、トーリスが物珍しげにあちこちを見渡していた。
「そんなに珍しいのですか?」
「初めて歩く。人も、物も多い」
「そういえば……ここへ来て以来、神殿にこもりっきりでしたものね」
エシュニーはすっかり慣れた暮らしであるが、よくよく考えればかなり無理をさせている気がする。トーリス本人は、苦と思っていないだろうが、はたから見ればいじめに映るかもしれない。
(母……じゃなかった。教育係として、友人として、それは由々しき事態)
今さらながらに、エシュニーの中でムクムクと罪悪感が芽生える。
「トーリスも、仕事がない時は自由に出歩いて大丈夫ですよ?」
「そうなのか」
しかし、軍属時代も自由と縁遠かった彼は、いまいち要領を得ていない様子だ。
首をひねる彼の肩を、サルドの肉厚の手が優しく包む。
「もしよろしければ今度、買い出しに付き合っていただけませんか? お礼に町の地理をお教えします。そうすれば、お散歩もしやすくなるでしょう?」
「分かった。ありがとう」
たどたどしさの消えた礼を述べ、トーリスはうなずいた。
最年長のためか、サルドは出張らない分、よく見ている。そしてフォローも上手い。内助の功のプロである、とエシュニーは考えていた。
「ありがとうございます、サルド」
「いえ。私も手伝ってくださる方ができて、心強い限りです」
使用人三人はいずれも有能で、エシュニーも強く信頼している。
だが、もっとも信頼が置けるのは彼であろう。
そう考えながらエシュニーも、久方ぶりになる外を楽しんだ。
レンガの敷き詰められた道路はまだ、あちこちが欠けているけれど。
それでも街路樹が植えなおされ、修繕された建物が並び、そして自動馬車や人々が行き交う町は、十二分の活気を伴っていた。
かつて太陽神が降臨した地でもあるため、あちこちに太陽を模した飾りや旗がかかげられ、土産物屋でも同じものが売られている。
土産の中には「太陽クッキー」や「太陽飴」など、「お前、とりあえず太陽にすればいいと思ってるだろう」と、聖女として一言物申したくなる代物もあったが。
「なんだか日に日に、町が明るくなっていますね」
辺りを見回し、エシュニーは顔をほころばせた。サルドも大きくうなずく。
「少しずつですが、人も増えておりますからね。喜ばしいことです」
そうして市場に向かい、様々な屋台を見て回った。
屋台は神殿を訪れる、旅行者のために始まったものらしい。今では地元住民の胃袋をもつかんでいるようだが。
使い込まれた
エシュニーは揚げ卵に、エビとご飯の蒸し料理を購入した。どちらの店も、サルドおすすめの場所だ。
大食漢のトーリスはそれらに加えて、揚げパンやサンドイッチ、豚の塩漬け、ポテトフライに鶏の素揚げも購入している。油ものが多くはないだろうか。
立ち込めるオイリーな香りに、エシュニーは唖然となった。
「トーリスは、胃もたれ知らずなのですか?」
「胃もたれとは何だ?」
胃もたれを知らないということは、やはり油ものでも問題なく消化できるらしい。うらやましい。
一方のサルドは野菜たっぷりのサンドイッチやソーセージの盛り合わせ、ミルクスープ、川魚の蒸し煮、デザートと、料理人らしくバランスよく揃えていた。しかし、トーリスに負けず劣らずの大食いである。
(二人とも、この後夕食も食べるんだよね。どうなってるんだ)
不覚にも、男女の差を思い知ることになったエシュニーであった。
そして三人で、屋台の群れの一角に設けられた、粗末なテーブルに座る。
テーブル上に並んだ色とりどりの料理を眺め、サルドは細い目をさらに細めた。心底楽しそうだ。
「トーリスさん、そちらの鶏の素揚げを、少しいただいてもよろしいでしょうか?」
「構わない。僕も魚が食べたい」
「では、交換いたしましょうか」
二人のやりとりに、揚げ卵を割っていたエシュニーが噴き出す。割った白身からはとろり、と黄身が零れ出ていた。食欲をそそる姿だ。
「なんだか二人とも、女の子みたいですね。お弁当を交換する女学生みたい」
「今年で三十六ですが、気分はまだまだ若々しいもので」
照れるサルドに、鶏もも肉を切り分けているトーリスが赤い瞳をまたたいた。
「サルドは三十六年も稼働しているのか。すごい」
「恐縮です。お嬢様は二十年ものでございますよ」
いたずらっぽく主をワイン扱いするサルドに、トーリスは目を丸くする。
「そうだったのか。七年ぐらいだと思っていた」
「魔剣換算しないの」
生まれて六年のトーリスを、そうたしなめた。
そこで、気になっていたことを口にする。
「そういえば魔剣も、年を取るのですか?」
サルドに分けてもらった川魚を頬張りながら、トーリスは首を振った。
「周囲に溶け込むよう、外見は変わる。だが、能力は衰えない」
(兵器だから、そりゃそうか。でも、外見が老いる辺りはさすが)
「そうですか。それでは私たちが年を取ったら、介護をよろしくお願いしますね」
「……。分かった」
介護の意味が分かり辛かったらしい。数秒固まった後に、トーリスはうなずく。
その様子を眺めて、サルドが微笑む。
「これはまた、気の長い話ですね」
「時の流れは残酷ですから。言ってる内にすぐですよ」
笑い返したエシュニーは、視線を周囲に投げかけた。
屋台に集まる人々が、三人の座るテーブルのそばを通り過ぎていく。
しかし彼らの目はチラチラと、こちらへ向けられていた。
サルドもそのことに気付いたらしい。苦笑する。
「お嬢様は、人目を引かれるお姿ですからね」
うーん、と彼女はうなる。
「私というより……トーリスじゃないでしょうか」
「それは、髪のせいか?」
自分の青い髪をつまみ、彼は首を傾ける。
「髪も顔も、ですね。まったく、忌々しいぐらいに綺麗な顔をしくさって」
思わず荒れる語調に、サルドが慌てて彼女をなだめる。
「お嬢様、なにとぞ小声で……小声で」
「へい」
「燃料補給以上の意味が、食事にはあったのか」
なんだか今更の気付きであるが、彼にとっては大発見なのだろう。エシュニーは不景気だった顔を、柔らかい笑みに変える。
「そうですよ。美味しい食事は、毎日を豊かにしてくれるのです」
彼女の言葉に、サルドは自分の手をしばし見つめる。
「私の料理で、明日も頑張ろうと思っていただけると、嬉しいのですが」
トーリスが、そのつぶやきに応えた。
「サルドの料理は、毒が入っていないからいいと思う」
(「いい」のハードルが低すぎるだろ……)
思わず呆れたエシュニーだったが、当のサルドはニコニコしている。
「そうでしたか。次は、『サルドの味が一番』と言っていただけるよう、頑張りますね」
「分かった。でも、今まで食べた食べ物の中で──」
トーリスが、自分の皿を見回す。
「──サルドのものが、一番すごいと思う」
飾り気のない賛辞に、サルドの細い目が見開かれた。そこへ、みるみる涙がたまる。
エシュニーが困り笑顔で、彼にハンカチを手渡した。
「サルドったら、泣き虫ですね」
「すみません……ですが、そこまで思っていただけていたとは、考えもしなかったので……」
「料理人冥利に尽きますね。よしよし」
ベンチから腰を上げ、サルドの頭を優しく撫でる。
きょとん顔のトーリスはその、たおやかな乙女に撫でられる巨体のオッサンの図を眺めていた。