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16:料理人をよしよし

 モリーの怖い一面を垣間見たところで、サルドも着替えを終え、三人で神殿の敷地を出た。

 顔なじみの門番が、おや、と目を丸くする。

「珍しいですね、聖女様。皆さまでお出かけですか?」

「サルドのお買い物への、付き添いです」

「いい息抜きですね。楽しんでください」

「ありがとうございます」

 爽やかに見送られ、町の市場へ向かう。


 道中、トーリスが物珍しげにあちこちを見渡していた。

「そんなに珍しいのですか?」

「初めて歩く。人も、物も多い」

「そういえば……ここへ来て以来、神殿にこもりっきりでしたものね」


 エシュニーはすっかり慣れた暮らしであるが、よくよく考えればかなり無理をさせている気がする。トーリス本人は、苦と思っていないだろうが、はたから見ればいじめに映るかもしれない。

(母……じゃなかった。教育係として、友人として、それは由々しき事態)

 今さらながらに、エシュニーの中でムクムクと罪悪感が芽生える。


「トーリスも、仕事がない時は自由に出歩いて大丈夫ですよ?」

「そうなのか」

 しかし、軍属時代も自由と縁遠かった彼は、いまいち要領を得ていない様子だ。

 首をひねる彼の肩を、サルドの肉厚の手が優しく包む。

「もしよろしければ今度、買い出しに付き合っていただけませんか? お礼に町の地理をお教えします。そうすれば、お散歩もしやすくなるでしょう?」

「分かった。ありがとう」

 たどたどしさの消えた礼を述べ、トーリスはうなずいた。


 最年長のためか、サルドは出張らない分、よく見ている。そしてフォローも上手い。内助の功のプロである、とエシュニーは考えていた。

「ありがとうございます、サルド」

「いえ。私も手伝ってくださる方ができて、心強い限りです」

 使用人三人はいずれも有能で、エシュニーも強く信頼している。

 だが、もっとも信頼が置けるのは彼であろう。


 そう考えながらエシュニーも、久方ぶりになる外を楽しんだ。

 レンガの敷き詰められた道路はまだ、あちこちが欠けているけれど。

 それでも街路樹が植えなおされ、修繕された建物が並び、そして自動馬車や人々が行き交う町は、十二分の活気を伴っていた。


 かつて太陽神が降臨した地でもあるため、あちこちに太陽を模した飾りや旗がかかげられ、土産物屋でも同じものが売られている。

 土産の中には「太陽クッキー」や「太陽飴」など、「お前、とりあえず太陽にすればいいと思ってるだろう」と、聖女として一言物申したくなる代物もあったが。


「なんだか日に日に、町が明るくなっていますね」

 辺りを見回し、エシュニーは顔をほころばせた。サルドも大きくうなずく。

「少しずつですが、人も増えておりますからね。喜ばしいことです」


 そうして市場に向かい、様々な屋台を見て回った。

 屋台は神殿を訪れる、旅行者のために始まったものらしい。今では地元住民の胃袋をもつかんでいるようだが。

 使い込まれた帆布はんぷ製のテントが立ち並ぶその一帯には、四方から食欲をくすぐる香りが漂って来る。

 エシュニーは揚げ卵に、エビとご飯の蒸し料理を購入した。どちらの店も、サルドおすすめの場所だ。


 大食漢のトーリスはそれらに加えて、揚げパンやサンドイッチ、豚の塩漬け、ポテトフライに鶏の素揚げも購入している。油ものが多くはないだろうか。

 立ち込めるオイリーな香りに、エシュニーは唖然となった。

「トーリスは、胃もたれ知らずなのですか?」

「胃もたれとは何だ?」


 胃もたれを知らないということは、やはり油ものでも問題なく消化できるらしい。うらやましい。

 一方のサルドは野菜たっぷりのサンドイッチやソーセージの盛り合わせ、ミルクスープ、川魚の蒸し煮、デザートと、料理人らしくバランスよく揃えていた。しかし、トーリスに負けず劣らずの大食いである。

(二人とも、この後夕食も食べるんだよね。どうなってるんだ)

 不覚にも、男女の差を思い知ることになったエシュニーであった。


 そして三人で、屋台の群れの一角に設けられた、粗末なテーブルに座る。

 テーブル上に並んだ色とりどりの料理を眺め、サルドは細い目をさらに細めた。心底楽しそうだ。

「トーリスさん、そちらの鶏の素揚げを、少しいただいてもよろしいでしょうか?」

「構わない。僕も魚が食べたい」

「では、交換いたしましょうか」

 二人のやりとりに、揚げ卵を割っていたエシュニーが噴き出す。割った白身からはとろり、と黄身が零れ出ていた。食欲をそそる姿だ。


「なんだか二人とも、女の子みたいですね。お弁当を交換する女学生みたい」

「今年で三十六ですが、気分はまだまだ若々しいもので」

 照れるサルドに、鶏もも肉を切り分けているトーリスが赤い瞳をまたたいた。

「サルドは三十六年も稼働しているのか。すごい」

「恐縮です。お嬢様は二十年ものでございますよ」

 いたずらっぽく主をワイン扱いするサルドに、トーリスは目を丸くする。

「そうだったのか。七年ぐらいだと思っていた」

「魔剣換算しないの」

 生まれて六年のトーリスを、そうたしなめた。


 そこで、気になっていたことを口にする。

「そういえば魔剣も、年を取るのですか?」

 サルドに分けてもらった川魚を頬張りながら、トーリスは首を振った。

「周囲に溶け込むよう、外見は変わる。だが、能力は衰えない」

(兵器だから、そりゃそうか。でも、外見が老いる辺りはさすが)


「そうですか。それでは私たちが年を取ったら、介護をよろしくお願いしますね」

「……。分かった」

 介護の意味が分かり辛かったらしい。数秒固まった後に、トーリスはうなずく。

 その様子を眺めて、サルドが微笑む。

「これはまた、気の長い話ですね」

「時の流れは残酷ですから。言ってる内にすぐですよ」

 笑い返したエシュニーは、視線を周囲に投げかけた。


 屋台に集まる人々が、三人の座るテーブルのそばを通り過ぎていく。

 しかし彼らの目はチラチラと、こちらへ向けられていた。

 サルドもそのことに気付いたらしい。苦笑する。

「お嬢様は、人目を引かれるお姿ですからね」

 うーん、と彼女はうなる。


「私というより……トーリスじゃないでしょうか」

「それは、髪のせいか?」

 自分の青い髪をつまみ、彼は首を傾ける。

「髪も顔も、ですね。まったく、忌々しいぐらいに綺麗な顔をしくさって」

 思わず荒れる語調に、サルドが慌てて彼女をなだめる。

「お嬢様、なにとぞ小声で……小声で」

「へい」


 ねるエシュニーに構わず、トーリスは自分が買い揃えた料理を次々につまんでいた。そして、無感動な顔が心なしかキラキラする。決して、油のせいではないだろう。

「燃料補給以上の意味が、食事にはあったのか」

 なんだか今更の気付きであるが、彼にとっては大発見なのだろう。エシュニーは不景気だった顔を、柔らかい笑みに変える。


「そうですよ。美味しい食事は、毎日を豊かにしてくれるのです」

 彼女の言葉に、サルドは自分の手をしばし見つめる。

「私の料理で、明日も頑張ろうと思っていただけると、嬉しいのですが」

 トーリスが、そのつぶやきに応えた。

「サルドの料理は、毒が入っていないからいいと思う」


(「いい」のハードルが低すぎるだろ……)

 思わず呆れたエシュニーだったが、当のサルドはニコニコしている。

「そうでしたか。次は、『サルドの味が一番』と言っていただけるよう、頑張りますね」

「分かった。でも、今まで食べた食べ物の中で──」

 トーリスが、自分の皿を見回す。

「──サルドのものが、一番すごいと思う」

 飾り気のない賛辞に、サルドの細い目が見開かれた。そこへ、みるみる涙がたまる。


 エシュニーが困り笑顔で、彼にハンカチを手渡した。

「サルドったら、泣き虫ですね」

「すみません……ですが、そこまで思っていただけていたとは、考えもしなかったので……」

「料理人冥利に尽きますね。よしよし」

 ベンチから腰を上げ、サルドの頭を優しく撫でる。

 きょとん顔のトーリスはその、たおやかな乙女に撫でられる巨体のオッサンの図を眺めていた。

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