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14:聖女と魔剣の芸術活動

 エシュニーの生活費は、ゾルナードを筆頭とする参拝者からの寄付によってまかなわれている。これは、神殿で共同生活を送る神官たちも同じであるが。

 ただしエシュニーの場合、実家がそれなりに裕福ではあるので、定期的な送金も受けていた。


 普段は慈善活動や貯金に回している(衣食住が細かく決められているため、使いどころがないのだ)そのお金を、今日は思い切り使った。

 トーリスの教育のための、資金として。


 食堂には今、ぴかぴかのイーゼルが立てられ、そこに新品のスケッチブックが鎮座している。

 エシュニーも同じく、年季の入ったイーゼルを隣に並べ、残りページの少ないスケッチブックをそこに載せていた。

 二台のイーゼルの先には、窓べりに腰かけるギャランがいた。彼が、本日の被写体である。


(本当はモリーの方が可愛いし、描き甲斐があるんだけど。あの子がトーリスの凝視に耐えられるとは、思えない)


 トーリスとエシュニーはそれぞれのイーゼルの前に座り、黙々とスケッチを行っていた。

 そこへ、お盆に湯気のただようマグカップを載せたモリーが現れる。

 薄紫の小花柄がエシュニー、無地の青いものがトーリス、黒がギャラン、ピンクのレース模様がモリーのマグカップだ。


「そろそろ休憩なさったらどうですか? かれこれ一時間は経ちますよぅ」

「あら、もうそんなに経ちますか?」

 意外にも集中力の鬼であるエシュニーは、壁にかけられた時計を見て、アメジストの瞳を真ん丸にした。


 ギャランは肩をぐるぐると回し、傾けた太い首を鳴らしてうめく。

「ったく……お嬢はもうちょい加減してくれませんかね。石になっちまうかと思ったぜ」

「夢中になっていました。ごめんなさいね、ギャラン?」

 次いで、トーリスへ声をかける。

「お茶も淹れてもらいましたし、休憩にしましょう」

「分かった」

 エシュニー以上に人型兵器らしい、神がかった集中力の持ち主であるトーリスも、こくりとうなずき手を止めた。


 モリーが首尾よく用意してくれた濡れタオルで各々、木炭で汚れた手を拭ってお茶にする。今日のお茶菓子はアップルパイだ。

 切り分けたパイもそれぞれの皿に乗せてやりながら、そういえば、とモリーが口をすぼめる。

「なんだって、急にスケッチなんて始めたんです?」

「孤児院の院長から、この前お話を伺ったんです。絵画は、情操教育にとてもよいと」

 エシュニーはカップから顔を離し、得意げに笑う。


「ごふぉっ!」

 アップルパイを頬張っていたギャランが、むせながら笑った。顔をしかめて、エシュニーとモリーが彼をにらむ。


「ギャラン、お行儀が悪いですよ」

「そうですよぅ。トーリス君が真似したらどうするんです?」

 口の端についた食べかすを拭いつつ、涙目でギャランは釈明。

「悪いって。でも、お嬢が変なこと言うからだろ」

「どこがおかしいのですか?」

「全部だよ。そんな、教育ママみてぇなこと言うから、笑っちまったんじゃねぇか」


「たしかにそうかも」

 彼の指摘に、モリーも大きく同意する。お茶を一口飲み、続けた。

「トーリス君に対して、完全に親目線ですよねぇ」

「いいの、教育係なんですから。これでよいのですっ」


 やや投げやりに言いつつ、自分が議題に上がっているのに、我関せずでパイを咀嚼そしゃくしているトーリスを、ちらりと見た。

「ただ……あいにくトーリスは、絵には不向きのようですね」

「うん……だな」

 彼女の言葉に、モデルを務めるギャランも苦笑した。

 三人の視線が二冊のスケッチブックに注がれる。


 エシュニーの描いたギャランは、精緻せいちかつ大胆な力作であり、本人にそっくりでもあった。

 一方のトーリス画伯のギャラン像は、そもそも人なのかも分からぬ有様だ。たとえるならミジンコ、だろうか。

 おまけに、絵そのものがかなり小さい。スケッチブックの左下に、こぢんまりと描かれている。

(意外に、気が小さい? いや、んなわけないか)


 ようやく自分が話題になっていると察したらしいトーリスも、スケッチブックを見る。

「地図を描くのは得意だ」

 つまり絵が不得手、という自覚はあるらしい。

「そんなことないですよ、上手ですよぅ。もう、そっくりすぎて写真かと思ったぐらい、言い値で買ってもいいぐらい!」

 それにトーリスファンクラブ所属のモリーが異を唱える。鼻息も荒いので、ちょっと怖い。


「これでそっくりだったら、俺はどんなクリーチャーなんだよ」

「まあまあ」

 ギャランがふてくされながら、パイの残りにかじりつく。それをエシュニーがなだめつつ、トーリスを見る。

「魔剣にも、できないことがあったのですね」

「ある。たくさん」


(「たくさん」とは何だろう。人付き合いかな)


 そう考えるエシュニーを、トーリスがじぃっと見据える。

「どうかしましたか?」

「エシュニーがすごい。なんでもできる」


(その美青年面での褒め殺しはやめろ! 本当に殺されるから!)


 赤くなった頬をおさえ、エシュニーがうなだれた。しかし口元がにやけている。

 照れてデレデレになる主を、モリーが楽しそうに見つめていた。

 その視線に気づき、ばつが悪そうに眉をひそめるエシュニー。


「……何ですか」

「お嬢様ったら、意外にシャイでいらっしゃるぅ」

「うるさいですよっ。私はそんなにすごくありません……単なる器用貧乏なだけです」

 後半は、自虐めいた笑顔を浮かべて。


 しかし魔剣には聞き慣れぬ言葉だったらしい。首をかしげられる。

「エシュニーは伯爵令嬢だが、貧乏か?」

「器用貧乏ってのは、なんでもできるけど、全部が『それなり』ってことだよ」

 お下品に紅茶をすするギャランが、そう注釈。

 その通りなので、面と向かっては怒らない。


 ただ、それでも腹は立つので、彼のむこうずねをテーブルの下で思い切り蹴った。

「あうっ!」

 存外甲高い悲鳴が上がり、トーリスもモリーも怪訝顔であるが、無視する。


 すまし顔で、パイから零れ出たリンゴをフォークですくい取る。そしてそれを口に運びながら、トーリスを横目で見た。

「ですから、聖女に選ばれた時は嬉しかったんです。やっと自分にも、他の人とは違うところがあるのだと、教えてもらえた気分になりましたから」

 もちろん現実は、それだけではない。真っ白なローブを着て、えへらえへらと笑っていればいいほど、聖女も簡単ではなかったのだ。


(想像していたよりハードでタイトな職場環境に、心折れたこと多数だけど)

 それでも「あなたに頼みたい」と、太陽神直々に指名されたのだ。頑張らねば、とその度に奮起した。

 束の間、新人聖女だった頃を思い返す彼女を、トーリスは凝視する。


「聖女はエシュニーの天職だ」

 彼の断言に目を細め、頬杖をついて尋ねる。

「どうして?」

「エシュニーは他人のために動く性格。聖女に向いている」

 無感動で、ひどく端的な物言いであるが。


 嘘がつけない魔剣に言われると、自分の根っこの部分からこの仕事に向いていたのだと言われているようで、悪い気はしなかった。彼へニッと笑いかける。

「ありがとございます。トーリスも護衛向きですよ。何があっても動じませんから」

「そんなことない。エシュニーの大声には驚く」

 どこかしみじみとした声音に、ギャランとモリーが噴いた。


「お嬢の大声は、暴れ牛も卒倒させるからな!」

「ああ、ありましたねぇ、そんなことも」

 鼻をたらしていた、ちびっ子ギャング時代の武勇伝を持ち出され、エシュニーは耳まで赤くなって激怒した。

「そのネタ、いつまで引っ張るんですか!」

 その怒声に、トーリスがまたびくん、と体を震わせた。どうやら、驚くとこうなるらしい。

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