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12:魔剣が無垢過ぎて怖い

 翌日。朝の礼拝を終えたエシュニーと護衛の二人は、すぐさまゾルナードの邸宅に向かった。

 数年前まで戦争に見舞われていたとは思えぬ豪奢な屋敷こそが、彼の住居であった。


 貴族とはいえ、中流もしくは下流に位置する立場にいたエシュニーは、贅を尽くしたその有様にまず度肝を抜かれた。

 神殿では清貧を心掛けていたので、かえって色々刺さった。

(金は、あるところにはあるんだよな。クソっ)


 早くも出鼻をくじかれた彼女を待っていたのは、大人の駆け引きとは無縁な子供っぽい対応──ゾルナードによる「無視」であった。

 わざわざ邸宅の中まで迎え入れた挙句に無視。何がしたいんだこのオッサンは、とエシュニーは作り笑いにひびを入れる。


(もう聖女に興味はないって、こっちに主張したいわけか。ほんと幼稚)

 げんなりしながらも、彼女は再三の謝罪をまた口にした。

「昨日は誠に申し訳ありませんでした」

「……」

「不躾な言葉を使ってしまったと、反省しております」

「……」

 なしのつぶてだ。ため息をつきたいのをぐっとこらえ、エシュニーは奥の手も出す。


「ですが悪いのは私個人であり、神殿は関係ございません。私のことがお許しになれないのであれば、私はすぐにでも、聖女の座から降りようと考えております」

 ぴくり、とゾルナードの横顔が揺れた。さらに一押しする。

「ですからどうか、神殿の人々への慈悲を見せてはいただけませんでしょうか?」


 しかし残念ながら、振り向かせるには至らなかった。

 ただ、彼の目がわずかにだが泳いでいる。エシュニーの辞職発言に、はからずも動揺しているようだ。

(よっしゃ!)

 エシュニーは心の中でガッツポーズを取る。


 ゾルナードのご機嫌伺いのため、途中で聖女を辞めてしまうのは癪であった。だが、神殿で暮らす人々にまで迷惑をかけるわけにはいかない。

 今夜を祝勝会とするわけにはいかない雲行きであるが、一緒に礼拝や仕事をこなして来た神官たちを救えるのだ。それにギャランも、強面をより一層おっかない表情に変えているが、彼女の提案に何も言わない。

 きっとこれが、最善の判断であろう。


 と思ったのだが──沈黙する影の中、一人動く者がいた。

 トーリスだ。彼は控えていた壁から離れると、迷いのない足取りでゾルナードへ肉薄する。それにいち早く気付いたのは、そっぽを向いていたゾルナード。


「おい、なんだお前──……ひぃっ!」

 苛立たしげな彼の声は、途中で恐怖のそれに変わった。

 トーリスの影が波打ち、そこから真っ黒な剣が湧き出たのだ。

 魔剣の能力だ。


 彼はそれを躊躇なしに影から引っこ抜き、そしてゾルナードへ切っ先を向けた。転がり落ちるようにして、ゾルナードは椅子から下り、そして尻もちをついている。

「何をしているのですか、トーリス!」

 青ざめてエシュニーが立ち上がる。ギャランも大慌てで彼へ走り寄り、裏返った声を発した。


「何やってんだ、トーリス! 剣を下ろせ! 田舎のおふくろさんと、親父さんが泣くぞ!」

 ちらり、とトーリスの凪いだ視線が、ギャランへ束の間移る。

「僕に父と母、いない」

「そうだった、悪い!」


(なんだこの茶番は)

 手を合わせるギャランからさっさと視線を外して、トーリスは再び静かにゾルナードを見据えた。刃先が、彼のあごを持ち上げる。

「お前はおかしい」

「……へ?」

 刃を向けられ、カタカタ小刻みに震えるゾルナードが間抜けな声を上げた。


(いやいやいや! おかしいのはお前だろう!)

 頭を抱えるエシュニーと、飛びかかろうか躊躇するギャランと、失神五秒前のゾルナードの視線を浴びながら、トーリスはひどく抑揚のない声を発する。

「エシュニーと友達になりたいのに、何故無視する?」

 ド直球の尋問……いや、質問である。

 無垢って怖い、とエシュニーは違う意味で青ざめた。


 ゾルナードもあわあわと周囲に視線をさ迷わせている。見られても困る、とついエシュニーは視線を反らした。

「む、無視など……そもそも、私を拒まれたのは、聖女様の方ではないか!」

 つばをまき散らして、ゾルナードは叫ぶ。震える手でバンバンと、床も叩いている。


 恐れおののくオッサン相手にも、トーリスはぶれない、譲らない、容赦しない。影の剣を二本に増やし、更に彼を追いつめる。

 エシュニーは髪をかき回して、うなだれた。

(なんで増やすんだよ!)


「友情とは、無償の愛だと聞いた。違うのか?」

 のどに二本の刃を突き付けられ、涙ぐんでいたゾルナードが、その言葉でハッとなった。

「そうか……そうだったのか……」

 気のせいだろうか。目がきらきら輝いている。


「ゾルナード、様……?」

 嫌な予感がする。頭から手を離しておそるおそる、エシュニーは彼の名前を呼んだ。

 彼女の方を振り返ったゾルナードは、憑き物が落ちたかのように爽やかな笑みを浮かべていた。正直言って、気味が悪い。


「そうだったのですね、聖女様……」

 しかし生まれ変わったゾルナード・マーク2は、自分に向けられる刃のことも忘れて両手を広げ、そしてエシュニー目がけて地に伏した。

「聖女様はあの時! 私の下賤げせんな考えを……あなたとお近づきになりたいという、あさましい願望を見透かし、あえて突き放されたのですね!」

「え? え?」

(読めない、展開が読めない)


 作るべき表情すら分からず、エシュニーは半笑いで後ずさる。

 しかし感極まった様子のゾルナードは、額突ぬかずき、むせび泣いている。

「聖女様は……聖女様はなんと慈悲深く、思慮深いのでありましょうか!」

「は、はあ……どうも……」

 間抜けにそう言って、エシュニーは頬を撫でた。詐欺めいたものに遭遇した気分である。


「ああ、聖女様……聖女様ぁぁぁぁー!」

 ギャランも呆然となる中、ゾルナードの感極まった叫びだけが響き渡る。

 そして当のトーリスは二本の剣を影に戻したかと思うと、ちゃっかりお茶請けの焼き菓子をつまんでいた。


 こうして、何がなんだか分からない内に、エシュニーはゾルナードと和解どころか平伏させることに成功し、そしてもちろん寄付再開の約束も取り付けた。

 完全勝利ではあるのだが、納得できない。


 何故かゾルナードと、彼の使用人総出のお見送りを受けながら、自動馬車の中でエシュニーは眉をひそめていた。

「……そもそもトーリスは、どうして剣を持ち出したのですか?」

「支援」

「はい?」

「エシュニーの支援をした」

 淡々と、そして平然とトーリスはそう言った。悪気ゼロである。


 盛大なため息が、狭苦しい自動馬車の中に響き渡る。ギャランだ。先程のエシュニーよろしく頭を抱え、彼は情けない顔になる。

「あのな、トーリス……支援って言ってもな、武力行使じゃねぇんだよ……」

「そうなのか?」

「精神的な支えというか、そういう感じの意味で言ったんだよ」

「そうだったのか」

 ぽつり、と呟いた彼の顔が、珍しく強張る。


「僕は、いけないことをやった?」

 今さら思い至ったらしい。

「遅いですよ、気付くのが」

 なんだか急にばからしくなって、エシュニーは笑った。

「ですが、終わりよければ何とやら、です。ありがとうございます」

 ぱちくり、とトーリスは赤い瞳をまたたいた。その顔はいつもよりも、少しだけあどけない気がした。

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