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11:死んだ魚の目の聖女

 町一番の名士の行動は、早かった。

 「吾輩、憤慨しています!」と言わんばかりの真っ赤な顔で聖堂を出て行った彼は、その足で神官長の元へおもむき、神殿への寄進を止めると宣言したそうだ。

「吾輩の親しくしている友人たちにも、この神殿は敬う価値もないのだと、そう進言するつもりだ」

そんな脅しとも取れる台詞を残し、彼は退去した。


 当然、神官長は慌てた。

 ゾルナードの心変わりの原因がエシュニーにあると踏んだ彼は、すぐさま別館へ走った。

 どうしたものか、と孫ほど年の離れた彼女に泣きついたのだ。文字通り。


 泣きたいのはエシュニーも同じであるが、彼女はそれ以上に神官長が案外ポンコツであることも知っていた。

 そして自分が悪いことも、重々に承知していた。

 だから神官長を慰め励まし、自分がゾルナードへの謝罪におもむくことを約束した。


「私の断り方が、売り言葉に買い言葉の、とても無礼なものだったことが原因です。どうか、私に全てをお任せ下さい」

 モリーの淹れた茶で平静を取り戻しつつある神官長が、泣きはらした目でうなだれる。

「すみません、聖女エシュニーよ……しかし、心優しきあなたでも、礼を失してしまうことがあるのですね」

 再び涙ぐみつつも、彼は意外そうに言った。


 ポンコツであるがゆえ、彼は彼女の素顔を未だ知らない。いや世の中には、知らない方が幸せなことは案外多い。神官長は幸せ者であろう。

「つい、私も興奮してしまいまして……お恥ずかしい限りです」

(興奮は興奮でも、護衛のハグに興奮していたとは、とても言えない。言ったら死ぬ)


「左様でございましたか。ですが、熱情は太陽神の特性。あなたの熱い御心をきっと、太陽神もお許しになられるはずです」

「だと、嬉しいのですが」

 ようやく落ち着いた神官長を見送り、その姿が見えなくなったところで、エシュニーは別館の扉を閉めた。そのまま無言で、一同が待つ食堂へ向かう。


 食堂へ着くや否や、彼女は床にしゃがみこんだ。思い切り息を吸い、

「嫌だあぁぁぁぁ! 謝りたくなぁぁぁぁい!」

そして、魂の叫びを上げた。

 サルドの配膳を手伝っていたトーリスが、再びびくり、とその大声に震えた。


 彼にしてはぎこちない動きで、エシュニーを恐々横目で見る。魔剣にも怖いものがあったのか。

「エシュニーの声は、司令官よりも大きい」

「昔は暴れん坊お嬢様で有名だったので……その頃の名残ですね」

 懐かしむようなサルドを見上げ、トーリスがつぶやいた。


「暴れん坊だったのか」

「それはもう。神殿では恐ろしくて言えないほどに……」

「そんなにすごいのか」

 無感動に感嘆するトーリス。


 へたり込んだままのエシュニーを、モリーとギャランが引き起こす。

「お嬢様、お気持ちは分かりますが……神殿の存続にも関わりますし、下手にこじれちゃう前に、大人の対応をされた方がよろしいかとぉ」

「頑張れよ、お嬢。今度は手を握られないよう、俺もトーリスも気を付けるからよ。それか、最初からトーリスに抱っこしてもらっとけ」

「え、なんですかそれ!」

 ギャランの軽口に、トーリスファンのモリーが食いついた。目がギラギラしている。


 ギャランに支えられる、糸の切れた操り人形のようなエシュニーを、モリーは乱暴に揺すった。

「どういうことです、お嬢様! トーリス君のハグがあったんですか!」

「……寒かったから、温めてもらっただけだよ」

 色々あって疲れているエシュニーは、投げやりに言った。へん、と鼻で笑う。


「そんな雪山のラッキースケベみたいな事案が発生していたなんて、私、聞いていません! うらやましい!」

「モリーも、温めてもらえばいいじゃないですか。ついでに、ゾルナードさんにも謝りに──」

「それはお嬢様でなきゃ、駄目ですよぅ」

 あっさりと平静に戻ったモリーが、すがりつくエシュニーをすげなく追い払う。


「私のような使用人如きでは、とても相手にしてもらえません。お嬢様、ご自分の生活水準を維持されるためにも、是非頑張って下さいませ」

「うええぇぇぇぇ……分かったよぉ……」

 エシュニーが観念したところで、配膳も終わり。


 みな、思い思いの席につく。エシュニーの右隣に、トーリスが座った。

「エシュニーは悪くない」

 どこか確信のこもった、いつになく力強い声音に、全員の視線が集まる。エシュニーの、死人のような目も含めて。


 注目を浴びても一切動じることなく、彼は続けた。

「ゾルナードはエシュニーの嫌なことをした。ゾルナードの方が悪い。何故、謝らなければいけない?」

 無垢なその問いに、不覚にもエシュニーはじんとした。

 次いで、駄々をこねて乱れた髪に手櫛を入れ、一つ深呼吸。改めて彼を見つめる。


「ですが、ゾルナード様を傷つけたことも事実ですから。その点は、きちんと謝らないといけません」

「だが、エシュニーは鳥肌が立っていた。それなのに謝るのか」

 どうやら寒くなくても、嫌悪感で鳥肌が立つと学んだらしい。


「ええ。それが必要な時もあります。そして、今はその時なのです」

「そうなのか」

 かすかに眉を寄せ、彼はどう見ても納得していない顔になる。


 彼の向かいに座るモリーが、にこりと笑いかけた。

「納得できないことって、結構多いのよぅ。だからトーリス君は、お嬢様をそんなことからしっかり守ってあげてね」


 頬杖をついたギャランも同意。

「お嬢のお守りは、俺とお前しかできねぇんだ。今度はあのオッサンが、髪の毛一本も触れねぇよう気合入れとけよ」

「分かった」

 明確な目標を与えられたトーリスの声音は、力強いものだった。


 銘々の取り皿へサラダを分けながら、サルドも穏やかに言う。

「ゾルナードさんに負けないよう、しっかり食べてくださいね。そして明日は、祝勝会を開きましょう」

「サルド。私は謝りに行くのですよ?」

 苦笑いを浮かべるエシュニーへサラダを渡しながら、サルドは「いいえ」と否定した。平素から温和に見える顔が、ますます柔らかなものになる。


「お嬢様が行うのは、高度な大人の交渉・駆け引きですよ。違いますか?」

 そうだった。ただ謝るだけではない。寄付の言質も取らなければならないのだ。

 だがその困難さが、かえってエシュニーに火をつけた。

「そう、ですね……そう考えると、謝罪も楽しみになるのですから、不思議なものですね」


 レモンドレッシングのかかったサラダを見つめ、よし、とエシュニーはうなずく。

「あのカッパ頭に謝りつつ、ぐうの音も出ないよう丸め込みます。そして、寄付金も取り戻す、と」

「そうです、その意気です」

 エシュニーの生家に仕えて最も長いためか、いざという時の彼女の扱いを心得ているサルドが、鼓舞するように言った。


 彼から皿を受け取ったギャランが、トーリスへ目配せする。

「俺らはお嬢の支援だ。いいな?」

「支援。分かった」

 静かにうなずくトーリス。

 しかし彼が、実のところよく分かっていなかったと発覚するのは、当日のことだった。

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