実のところ、聖女にとってこの手の問題は付きものだった。ストーカー問題は。
気高く神聖で、穢れなき乙女である聖女──そして神々の好みゆえか、選ばれるのは皆、見目麗しい少女と来ている。
熱狂を通り越した、狂信的信者が付いて回るのも、仕方がないと言えばそうなのかもしれない。
そしてエシュニーの狂信者こそが、かのゾルナードであった。
毎週末の礼拝には必ず参加し、そして談話の時間にも頻繁に現れている。
親子ほどの年齢が離れたエシュニーへ、どうやら本気で恋をしているらしい男ヤモメを、彼女は持て余し気味であった。
また町で有数の資産家でもあるため、かえって対応が難しいのだ。神殿も彼から、多額の寄付を受けている。
そのため
生花や菓子などの生ものに始まり、人形や宝飾品、サイズの合わない靴や服、趣味でない恋愛小説などなど……その種類だけは豊富である。
ただ残念ながら、全てエシュニーの心に響かない代物であった。彼女の
エシュニーは途中で開封することすら放棄して、献上品の山の隣に身を伏せる。
片付けなければ、応接室──ゾルナードからのプレゼントを、自室に入れたくなかったのだ──が使えないことは重々承知しているのだが、気が乗らない。
すっかり飽きてしまったご様子の聖女を、丁寧にラッピングを剥がしているモリーが呆れ顔で見やる。
「お嬢様。床に寝転がるなんてはしたないですよぅ。それに、ローブが汚れてしまいます」
「そうは言いますが……なんだか疲れちゃったんですよ。このままもう、全てを忘れてしまいたい」
「飽きてしまった、の間違いでしょう。せめて生ものだけでも仕分けておかないと、後々大変なことになりますよぅ。この前みたいに、異臭騒ぎに発展しても知りませんからね」
「うっ……」
そう。前回も大量の貢ぎ物の前に、戦意を喪失して放置した結果、タルトを腐らせてしまったのだ。あれは悪いことをした、タルトに。
「分かりましたよ……せめて贈り物がもっと、流行りの服なら嬉しいのですが……」
つい、と自身の純白のローブをつまんで嘆息。
これが聖女の基本衣装であるため、華美なドレスに着替えることなど出来ないのだが、それでも欲しいのが乙女心というものだ。
あごの位置で切りそろえたブルネットを揺らして、困ったようにモリーが首を傾ける。
「お嬢様ぁ。そういうことは、よそで言わないでくださいね。そちらのローブは聖女様しか着られない、とても尊いものなのですから」
「分かっています。ですが、たまには違う服も着てみたいのです」
「まあ、そのお気持ちはよく分かりますが……」
モリーが弱った顔で笑う。
彼女も平時は侍女のお仕着せ衣装であるが、暇が出来ればお気に入りのワンピースを着て外出も出来る。
しかしエシュニーを含めた聖女たちは皆、在任期間中はほぼ常時、面白味も色気もないローブ一本で勝負するしかないのだ。
それこそ着替えることなど、帰省する時ぐらいしかない。
洗い替え用の、大量のローブが並んだクローゼットを見つめて吐き気を催すのは、聖女なら誰もが一度は通る道である。
二人にならってしゃがみこみ、今まで黙々とラッピングを破いていたトーリスが、ここでやおら立ち上がった。ちなみにギャランは、面倒事は後輩に任せると言い残して逃げている。卑怯者め。
急に立ち上がったその後輩を、きょとん、とエシュニーが見上げた。
「トーリス、どうしました?」
「流行りの服にしろ、と言って来る」
「ゾルナードさんに? な、なぜ急にそうなるのですか」
「エシュニーは言ってはいけない、とモリーが言った」
つまりエシュニーが言えないなら、自分が言えば万事問題なしという理論らしい。
エシュニーは身を起こし、彼の祭服を掴む。モリーもそれにならって、今にも部屋を飛び出しかねない彼を引き留める。
「待って、トーリス君! そういう意味で言ったわけじゃないの!」
モリーの声に、エシュニーもこくこくと同意。
「そうです、今のは他言無用の
ぴたり、とトーリスの動きが止まる。
そしてエシュニーを見下ろした。
「口外法度?」
「ええ。三人だけの秘密であり、誰にも言ってはいけません。オーケー?」
「オーケー」
そう言ったトーリスは、自分の口を両手でおさえて数度うなずく。
(くそう、可愛い仕草しやがって。狙ってやってるだろう!)
天然タラシのその挙動にエシュニーはうめき、モリーは頬を紅潮させてやに下がった。とうとう、よだれも垂れている。嫁入り前の侍女よ、それでいいのか。
思わず彼に陥落しかけたエシュニーだったが、太ももをつねって理性を取り戻し、現実逃避しつつあった問題に向き直る。
「そろそろ、きちんとお断りを入れた方が、いいかもしれませんね」
モリーも侍女の顔に戻り、よだれを拭って首肯。
「そうですねぇ。遠回しでは聞く耳を持っていただけないようですし……気乗りはしないでしょうが、はっきりおっしゃるべきかと思います」
「逆上されて、刺されたりしないといいのですが」
つい、腹部を撫でてしまう。
そういう事件については、風の噂で時折耳にしたことがある。
好いた女性にすげなくされ、思慕を殺意に変えた男性が相手を刺殺……笑えない事件だ。
小難しい顔でうつむいたエシュニーを、トーリスが覗き込んだ。
「その前に僕が無力化する」
深紅の瞳は、どこまでもまっすぐだ。彼の顔にかかる前髪をかき上げてやりながら、エシュニーも気の抜けた様子で笑う。
「そういえばそうでした。ちゃんと守ってくださいね、トーリス」
「分かった、任せろ」