分からないことが発生したからだろうか。
トーリスは神殿での自由時間を使って、度々書庫を訪れるようになっていた。
エシュニーがそれに気付いたのは、
神殿の書庫は、参拝者が寄贈した本も所蔵されているため、雑多だが案外品ぞろえが豊富だった。もっとも続き物の場合、尻切れとんぼに終わっていたり、途中の巻が抜けていることも多々あり、モリーなどは一度
「続きが気になるんですぅ! ヒロインの妊娠が発覚して、ライバルが悪魔王に選ばれたのに、主人公が底なし沼に沈んで生死不明で終わったんですよ!」
と血走った眼で叫んだ挙句、書店をはしごして続刊を買い求めたことすらあった。一体彼女は、何を読んでいたのだろうか。
ともかく娯楽の少ない神殿にとって、それぐらい書庫は貴重なのだ。
ためにエシュニーも、久しぶりに日中の自由時間ができたのだから、と暇つぶしに最適な本を探しに薄暗い書庫を訪れ、
「あら、トーリス」
「エシュニー」
意外な人影に出くわしたのだ。
トーリスの手には、一冊の小説があった。主人公の男性と、その親友との日常を描いた青春物語だ。
「読書の趣味ができたのですか?」
ワクワクと、笑いかけながらそう問うと、すぐさま首を振られた。
「知るために、読んでいる」
「何をですか?」
「友達というものを」
「あら……そこまで悩ませていたとは……」
友達宣言を撤回すべきだろうか、とエシュニーは額に細い指を当て低くうなる。
懊悩する彼女に構わず、トーリスは首をかしげた。
「友情とは、無償の愛なのか」
どうやら彼なりに友情を
気を持ち直してエシュニーは、トーリスが指し示す小説の一文を黙読した。
それは主人公の親友が、自分と主人公との関係を、「家族でも恋人でもないが、困った時には誰よりも早く、真っ先に駆け付ける。それが相棒ってものだろう!」と断言している場面であった。かなりの熱血漢である。
「そうですね。損得を
むしろ冷血漢に属するであろう読み手に、そう伝える。すると彼は、心持ち身を乗り出してエシュニーへ肉薄した。
「エシュニーは、僕を愛しているのか?」
美麗かつ純粋無垢な瞳でそう問われ、たちまちエシュニーは真っ赤になった。赤くなると、銀髪が際立つ。
「ピュアな
つい、素に戻って怒ってしまった。
「違う、殺意はない」
両手を上げ、トーリスはふるふる否定。
再度額をおさえ、エシュニーがうめいた。
「いえ……それこそ違います。そういう意味ではなくて……もういいです。とにかく、その発想は少し飛んでいます。ぶっ飛んでいます」
「分かった」
額から手を離し、ちろり、とエシュニーは真顔の彼を見る。
「でも、嫌っているわけでもありませんからね。愛でも殺意でもない、フラットかつ友好的関係。それが友情です」
「やはり難しい」
エシュニーと手にした小説を交互に眺め、彼にしては歯切れ悪く、ぼそりと言った。
(分からないと、ご機嫌ななめになるんだ。可愛いところあるじゃない)
少し母性本能がくすぐられたエシュニーは、本を持つ彼の手に触れた。
人工皮膚の感触は、赤ん坊の肌のようにさらりと滑らかだ。
「じっくり読みたい本があるなら、部屋に持って帰っても構いませんよ」
「共有物なのに、いいのか?」
「読みたい方が他にいれば、あなたにお願いすればいいだけですから。もちろん、外で買うのも自由ですよ」
何もない部屋は、死刑囚の独房のようで殺風景だ、とは言わずにとどめる。
「分かった──」
いつものようにうなずこうとして、トーリスの動きが止まった。
彼はパラパラと、小説のページをさかのぼって、ある箇所で止まった。
「『ありがとう』」
次いで少したどたどしく、棒読みで礼を述べた。
きょとん、とエシュニーは目をまたたく。
少々呆気に取られている彼女を、トーリスは得意ぶるわけでもなく、静かに見つめる。
「ここに書いてあった。助けられたら礼を言うと」
「ええ、そうですね」
子供でも知っている道理を知らなかったことを、少しほろ苦く思うと同時に。
そのことを自ら学んだことは褒めるべきだろう、とエシュニーは笑う。
「よく読み込んでいますね、偉い偉い。もっと本を読んで、色んな方と交流を持って、多くのことを学んでくださいね」
「分かった」
「そうだ」
ぽん、とエシュニーは手を一つ打った。
「今日はこれから、ギャランの奥さんが遊びに来るんです。一緒にご挨拶しましょう」
「ギャランは結婚していた?」
「ええ」
「それなのに、何故ここにいる?」
結婚=同居という道理は知っているらしい。
仕事のため、町に奥さんを住まわせて、こういう暇な時に戻っているんだよ、とエシュニーが伝えるより早く。
何かを閃いたらしいトーリスが、またページを繰った。
「『家庭内別居』?」
「……ちょっとトーリス。その本、詳しく見せなさい」
なんだかよからぬ知識をも蓄えそうな気がして、親の顔になったエシュニーが本を覗き込んだ。