エシュニーは聖女だ。
だから日がな一日猫を被って、ダラダラ過ごしているわけではない。
腐っても、ひねくれていても聖女なのだ。やるべきことは沢山ある。
朝も早くから起き、簡素な朝食をさっさと済ませてすぐ、神官たちと一緒に聖堂で祈りを捧げる。
毎週末には信者のために聖堂も開放され、在家の彼らと共に祈祷も行っている。
ここライズ町は僻地であるものの、太陽神がかつて降臨した地でもあり、戦場でもあった。
そのため現在も、戦争の傷跡は深く残っている。
トーリスはエシュニーが膝をつき、祈りを捧げる様を、聖堂入り口から眺めていた。
服装は隣のギャランとお揃いの、青い刺繍の祭服。図らずも服と同系色になった長髪は、一つに束ねている。
なおこの長髪は、好き好んでというよりも必然で伸ばしているものらしい。
「魔剣の力を使う時、髪が長い方が安定するらしい」
とは、彼本人の弁だ。
本人が「らしい」と言うのもどうかと思うが、言っているのはトーリスだ。つっこむだけ野暮であろう。
そして祈りを終えたエシュニーには、工房でのお守り作りが待っている。
太陽を模した、色とりどりのガラス細工に紐を通し、首飾り状のお守りにする。そこへエシュニーが、加護を与えるのだ。
太陽神がもたらす、豊穣や恵み、生命の輝きが信者に宿るよう、一つ一つに真心を込めて。
法力も使うため、この時ばかりはエシュニーも軽口一つ叩かない。ちょっとでも気を抜こうものなら、下手をすると炎上するのだ。文字通り、お守りが。
最初にその事実を知った時、エシュニーも
「嘘だろ。太陽神冗談通じない。やだ怖い」
と怯えて震えたものだが、今では慣れたものだ。気は抜かず、しかし数をこなせるよう、ある程度は無意識の流れ作業に任せて、可愛らしいお守りへ加護を与える。
それが終わると、ようやく昼食にありつける。
神殿の工房を出て、別館へ向かう彼女の背後に立つトーリスがこう問うた。
「エシュニー。加護とはどういうものだ?」
エシュニーは振り返って、少し歩調を落として彼の隣に並ぶ。
「太陽神の力の、お裾分けのお裾分けですね」
慣れた調子で、つらつらと彼女は語る。この手の質問は聖女なら、耳にタコができるほど投げかけられるのだ。
「私の法力は、太陽神から授けられたものです。その力を少しずつお守りに込めることで、法力を使えない方もほんのわずかですが、太陽神の力を借りられるのです」
「力のまた貸しか」
要点をまとめるのが上手いな、とエシュニーは笑う。
「ざっくばらんに言えば、その通りですね」
別館での昼食は、夕食に負けず劣らずボリュームのあるものになっている。何故ならこの後、エシュニーの外回りが控えているからだ。
また、機体の維持に必要なのか、そもそも本人の個性なのかは謎だが、トーリスは大食漢である。
根っからの料理人で、暇さえあれば新作料理の考案に余念がないサルドは、彼の大食らいっぷりを大歓迎している節があった。本日も、どっさりパンを焼いて待ち構えていた。
「パンに塗るジャムも、色々作ってみました」
糸目の柔和な顔が、どこか得意げであった。
更にどん、と大盛りのスパゲッティも用意されている。ラディッシュが色鮮やかなサラダも同じく、てんこ盛りだ。
大皿だらけの料理を、全員でどんどん平らげる。法力の使用はかなりの体力を持って行かれるため、エシュニーもローブの袖をまくり上げて、昼食との真剣勝負に臨む。
そんな年甲斐もなくがっつく女主人を、モリーは呆れ顔で眺めている。
「お嬢様ぁ、ローブにこぼさないでくださいね?」
「こぼしませんよ。もったいない」
「違うでしょう、『品があるからこぼさない』でしょう」
肩をすくめるモリーだったが、ソース一粒すらもったいない料理の、製作者であるサルドは満面の笑みである。
「夕食も頑張りますので、お嬢様もお務め頑張ってください」
「ありがとうございます。トーリス、あなたもしっかり食べなさいよ。昼からは歩き回りますからね」
言われなくても取り皿に大量のスパゲッティを盛りつけているトーリスは、人形のような無の顔をかしげた。
「歩くとは、散歩か?」
「いいえ、
サルド特製のイチジクのジャムをパンに塗りながら、そうそう、とギャランがうなずいた。
「現地までは自動馬車で行くが、気は抜けねぇぞ。なにせバカでかい、病院が目的地だからな。どこに不審者がいるか、分かったもんじゃねぇ。ちゃんと食って、体力回復させろよ」
そして、がぶりとパンにかじりつく。
「分かった」
先輩の言葉に素直にうなずき、トーリスもスパゲッティを頬張る。
全力の昼食を終え、エシュニーと護衛の二人は自動馬車で出かける。窓ガラス越しに、エーテル機関の排出する紫煙が車体から流れるのを見ながら、街並みを眺める。
途上、町の人から手を振られれば、笑顔で応じた。
向かう先は隣町にある、この界隈で一番大きな病院だ。
それでも壁面は一部が壊れたままで、建物にもあちこち修繕の箇所が痛々しく残っている。
「お待ちしておりました、聖女様」
「こちらこそ、お招きいただき光栄です」
院長を筆頭に、医師や看護師勢ぞろいの出迎えを穏やかな笑顔で受け止めつつ、エシュニーは患者たちを見舞う。
重症患者には、もちろん本人や家族の許可を得てからだが、法力を用いて癒すこともいとわない。生身の人間を相手にするので、お守り作り以上に繊細な技術が求められる場面だ。
それを乗り切り、病院が呼んだ新聞社の要請に応じて写真も撮られて、ようやく聖女の務めが終了する──わけではなかった。
夕食までの時間、聖堂にて、参拝者との談話にも時間を割くのだ。外回りがない時は、午後はもっぱらこの時間にあてられる。
信心深いお年寄りが主な来訪者だが、親子連れや若者もそれなりに訪れる。
子供を連れた若いお母さんや、妙齢の女性信者たちは現在、見知らぬ青い髪の美青年に目が釘付けであった。
「なんて綺麗なお顔……こちらの方は、太陽神の御使いの方でしょうか?」
そんなうっとりした問いに、
「違う。エシュニーの護衛だ」
生真面目そのもの、といった様子でトーリスは答えていた。
彼に注目が集まることが、エシュニーは少々面白くなかったものの、母親に連れて来られた子供がおずおずと、手作りの粘土細工をくれたので機嫌を直す。
「これ、聖女さまにあげる。ねこちゃん作ったの」
「まあ、ありがとうございます。お部屋に飾らせていただきますね」
「うん!」
拙い部分はもちろん多々あるが、エシュニーへの真心がこもったプレゼントに、彼女は顔をほころばせて喜んだ。
そうして、女性信者たちや、物足りなさそうな母親と満足げな子供を見送り、参拝者との談話も終了する。
夕焼けに照らされて光っていた、聖堂のステンドグラスも今は薄暗い。
これでようやく、夕食と自由時間を楽しめるのだ。
「ギャラン、トーリス。お疲れ様でした」
木製の長いすから立ち上がり、エシュニーが二人をねぎらう。
「いやいや、お嬢もお疲れさん」
ギャランが聖堂の扉を開けてやりながら、平常運転の激務を成し遂げた主をねぎらい返す。
それをじっと、トーリスは眺めていた。
聖堂を出て、廊下を歩く道すがらで、彼はようやく口を開いた。
「エシュニーはすごい」
「あら、何がですか?」
褒められるのが大好きな、承認欲求の塊でもあるエシュニーはすでににやけ面だ。
「……お嬢、顔」
ぼそりとギャランに指摘され、周囲を見渡し、慌てて取り繕う。
「それで、何がすごいのでしょうか?」
「ずっと笑っている」
トーリスの指摘にすまし顔を苦笑に変えて、エシュニーは肩をすくめた。
「笑うのも仕事の内ですから。私たち聖女は……こう申し上げては少し語弊があるかもしれませんが、神殿にとっての客寄せ人形のような側面もありますので」
後半は声をおさえ、彼の耳元でつぶやいた。
「そうなのか。僕も人形だと言われた」
「……誰に?」
穏やかな話ではない。エシュニーもギャランも、眉をひそめる。
「戦中、同じ部隊の人に」
図らずも、ヘヴィな話題を踏みぬいたのかもしれない、とエシュニーは後悔する。
(だって無表情だから、地雷が分からないんだよ!)
どうしたものかと内心で頭を抱えつつ、彼の無表情をまじまじ眺め、
「そう、ね……言われれば、綺麗なお顔だから、お人形のようにも見えますね」
当たり障りなく、むしろ前向きな表現へと舵取りをする。
「綺麗? あれは褒め言葉だった?」
「そうかもしれませんね」
「そうだったのか」
無表情だが無垢でもあるトーリスは、存外素直に彼女の説を受け入れた。
ホッとした彼女は、ギャランへ目配せをして、その緑の瞳をじっと見る。
長い付き合いゆえ、その意味を正確に捉えた彼は、別館へ先に戻った。
渡り廊下の途中で立ち止まり、二人の会話は続く。
「でもね、トーリス。私はあなたを、ただの護衛でもなく、もちろん人形でもなく、友にしたいと考えています」
「とも?」
「そう、お友達です」
それは一晩考えた彼女が、出した結論だった。
外見上は年齢がさほど変わらぬ彼の、教育係をするのはやはり荷が重すぎる。
かといってただの使用人のままでは、彼を導けるかも不安だ。
それに何より、エシュニーが求めているのだ。対等な存在を。
世俗とのしがらみがない魔剣であれば、立場を気にすることなく友人関係になれるのではないか、と彼女は考えていた。
「聖女になって以来、私もそんな関係性を求めることもなくなっていましたが。でも、私もあなたも、背負っているものが厄介ですから。似た者同士、よい友人関係になれると思うのです」
「そうか」
伏し目になったトーリスは、ともだち、と口の中でもう一度その言葉を転がしている。
ややあって、赤い瞳がエシュニーの紫の瞳をまっすぐ見つめる。
「分かった。僕は友達になる」
「ありがとうございます、トーリス」
彼の賛同に、肩の力を抜いてエシュニーはホッと笑った。
(もし拒否されてたら、恥で死んでたかもしれない。上手くまとめて、よくやった私!)
再度歩き出したところで、トーリスがエシュニーを呼んだ。
「それで、友とは何をする?」
「そうですねぇ……」
エシュニーもぼっちになって五年経つ。かつての記憶をほじくりながら、無垢な問いへの答えを探した。
「一緒に冗談を言い合ったり、笑い合ったり、遊んだり、そんな関係でしょうか」
「ギャラン達とは、違うのか」
「少し、違いますね。気安く付き合っていますが、あくまで雇用関係にあるので」
「そうか。でも、僕も雇用されている?」
「それは……トーリスの場合は、軍からの派遣というかたちなので、その辺はまあ……その、よしなにお願いします」
ごにょごにょごまかす彼女を、トーリスは無言で見つめた。
「よく分からないが、がんばってみる」
「あ、分からないこともあったんですね」
口癖のように「分かった」と言うトーリスだが、「分からない」場合もあったのだと、場違いに感動した。