空は朱色から藍色へと変わり、夜を迎えた。町の家々や神殿に、エーテルランプの淡い光が灯り始める。
聖女と、そして使用人三人が揃う夕食の席で、改めて新参者のトーリスを紹介する。
特に、初対面時に卒倒しっぱなしだったモリーには、ここで慣れてもらう必要があった。
座席が一つ増えたことで、少し手狭になった食堂に集まった面々を見渡し、「さて」とエシュニーが口を開いた。
「今日から、新しい護衛のトーリスが増えました。ご存知の通り、彼は魔剣です。それゆえに、俗世のことには明るくありません。ここも俗世と少々切り離された空間ではありますが、彼が社会に帰属できるよう、支えてあげてください」
「お嬢様ったら、今夜は聖女っぽいですねぇ」
「モリー、うるさいですよ」
他の神官やアリバスの目もないので、モリーも昼間より気安い。エシュニーも慣れた様子で彼女をにらむ。
それを物珍しげに眺めているトーリスの肩に腕を回し、ギャランが強引に引き寄せた。緑の瞳は、楽しげに
「ま、猫かぶりの聖女様の護衛はちと面倒だが。楽しくやろうぜ、兄弟!」
彼のもう片方の手には、ジョッキが握られている。ビールがあれば、とりあえず平和なのがギャランなのだ。
「兄弟? あなたも魔剣なのか?」
そう言って、トーリスは首をひねった。
「そういうわけじゃねぇ。このお嬢の護衛として、俺の方が先輩だ。だから俺が兄貴分で、お前が弟分ってこと」
「弟分、分かった」
こくりとうなずいた彼へ、サルドがお手製である、チキンのワイン煮の入った皿を差し出す。
「どうぞ。お口に合えば幸いなのですが……それとも、やはり人肉などの方がよろしいでしょうか?」
まだ根に持っているというか、疑問に思っていたらしい。
頬杖をついてエシュニーはため息をつき、モリーに行儀が悪い、とその手を叩かれた。
一方のトーリスは、じいっと静かにサルドを見つめている。なんなのだ、その間は。
「人は、まだ食べたことがないと思う」
「それは何より。今後も食べないでくださいね。美味しいご飯を、代わりにたっぷり作りますので」
「分かった」
うなずくその横顔を、今までエシュニーをたしなめていたモリーが陶然と見つめる。
心なしか、その頬はいつもよりツヤツヤしており、茶色の瞳も潤みっぱなしだ。美形で潤いを補給したというのか。
「はぁ……こんな美青年が来てくれるだなんて……なんという、目の保養! 思わぬ幸運! 筋肉だるまと糸目のオッサンと、可愛げなく育っちゃった主しかいない職場に、こんな麗しい天使が現れるなんて!」
ギャランとエシュニーの顔が苛立ちで引きつり、サルドは糸目を見開いて
「悪かったな、筋肉だるまで」
「可愛げがなくてごめんなさいね」
「……すみません、オッサンに生まれてすみません……」
ギャランとエシュニーは半ば自業自得であるものの、サルドに関しては完全に理不尽な言いがかりである。ために、ギャランたちはサルドの肩を叩いて、彼を励ました。
「泣くな、サルド! お前がオッサンなら、モリーだって数年後にゃオバサンだ!」
「そうです! 糸目でも、いいじゃないですか! 前が見えているのなら、それでよいのです!」
しかし同僚から「目の保養にならない」とさげすまれていた事実がこたえたのか、糸目のオッサンはなおも落ち込む。
「いえ、慰めの言葉は結構です……若い頃から、いえ、生まれた頃から地味な容姿だったことは、重々承知しておりますので……」
「地味じゃねぇ! ちょっと精彩に欠けるだけだよ!」
「ちょっとモリー! サルドが泣いちゃったじゃないですか! よくあなた、ヘラヘラとご飯を食べていられますね!」
ギャース!と、二人が吠える。モリーは気にせず、糸目のオッサン謹製の卵サラダを咀嚼。
「それとこれとは別ですしぃ」
「別じゃねぇよ! それもオッサンの副産物なんだぞ!」
「謝りなさい、オッサンに謝りなさ──」
そこでようやく、エシュニーは我に返った。
今、彼女と共にいるのは三人だけではなかった。
いまいち正体のつかめぬ、新参者もいたのだ。三人のノリに全力で乗っかってしまったため、すっかりそのことを失念していた。
聖女らしからぬ醜態をさらした彼女は、やはり聖女らしからぬ強張った顔で、おそるおそるトーリスを窺う。
チキンのワイン煮を案外お行儀よく食べていたトーリスは、彼女の視線に気づいて顔を上げる。
「司令官が言っていた」
「……何を、おっしゃっていたのでしょうか?」
浅い息で、問いかける。
「エシュニーたちはちょっと変わっていると」
どうやらアリバスにも、裏というか素の顔を知られていたらしい。情報源はどこだろうか。彼女のパパだろうか。いや、パパにちがいない。パパめ、おのれ。
が、それは問題ではない。
「あのオヤジ……」
エシュニーは銀製のフォークを握りしめ、知らんぷりを決め込んでいた割にちゃっかりトーリスに垂れ込んでいた、アリバスのいかつい顔を思い出して歯噛みする。
うなるような彼女の声を聞き、トーリスはまた首をかしげた。
「おやじ? 司令官が父なのか?」
彼の勘違いに、モリーが噴き出す。
「違う、違う。あのねぇ、トーリス君。さっきのは年上の男性への、罵倒語としての『オヤジ』なの」
妙に甘ったるい声が神経を逆なでするが、言っていることは間違っていない。妙に腹立たしいけれど。
猫なで声にも全くなびかず、トーリスは無風のままだ。
「なるほど、分かった」
そんな無表情にも、モリーは黄色い声を上げ、頭を撫でんばかりに喜ぶ。よだれを垂れ流すのも、時間の問題ではなかろうか、というとろけ具合だ。
「素直でいい子ー! いい子ついでに教えてあげる。お嬢様はこう見えて、なかなかじゃじゃ馬なのよねぇ」
「ちょっと、モリー──ぶえっ」
エシュニーの抗弁は、口をふさがれて阻まれた。
ちらりと彼女の方を見るも、トーリスは再びモリーへ向き直る。
「馬?」
「これは比喩表現ね。自由奔放で、好き勝手生きてるって意味。聖女なのにねぇ」
「そうか。じゃじゃ馬、了解した」
モリーの腕から逃れ、今度こそエシュニーが怒鳴る。
「ちょっとモリー! 何を教えているのですか! そもそも、何バラしてくれちゃってるのです!」
「あら、今更じゃないですかぁ。それに護衛になるからには、先に知っておいた方が、何かと便利なわけですし」
すまし顔の彼女に、木椅子へもたれかかったギャランが
「ちがいねぇ。にしても一日でバレちまったな、お嬢。最短記録だな?」
「ですが、後々ガッカリされても、それはそれでトーリス君が可哀想ですしね」
しんみり、サルドも同意する。
(好き放題言いやがって……クビは無理でも、減給にしてやろうか……)
恨みのこもった視線で三人をねめつけつつ、エシュニーも開き直った。
腕を組み、ふん、と鼻息を荒々しく吐き出す。その姿は聖女には程遠く、町一番の悪ガキといった風情がある。
「そうですよ、猫を被っていましたよ。変人で悪かったですね。じゃじゃ馬で悪かったですね。……がっかりしましたか?」
次いでトーリスをにらむが、彼は首を横に振るのみ。
「変と聞いていたので、納得した」
「あ、そ」
がっかりはされていないらしい。納得されたのも悔しいが、まだマシな方である。