排気口から紫煙を噴出しながら、ゆっくりと小型飛行船が降下する。
神殿の敷地内にある裏庭の芝生へ、音もなくそれは着地した。
代わりにふわり、と周囲の空気だけが押し出される。エシュニーの柔らかな銀髪と、白地に赤い縁取りがされたローブが、その流れに合わせて滑らかに弾んだ。
しかし当の本人は困惑顔で、未だ誰も出てこない飛行船を見つめていた。頬に手を添えた麗しい顔に、若干の不平不満も混ぜつつ。
「どうして軍の司令官様が、私などにご用があるのでしょうか……お布施をしてくださるなら、話を聞いてやらんこともないですけれど」
ぼやく彼女の横にいる、護衛のギャランが口に指を当てて「シーッ」と低くうなった。筋骨隆々の強面が、金色の眉を寄せて、更におっかない顔を作る。
「お嬢。ちゃんとよそ行きの顔で頼みますぜ。間違ってもさっきみたいなこと、司令官殿には言わんでくれよ」
「もちろん言いませんよ」
「どうだかなぁ」
「あら、信じていませんね? これでも聖女として、五年目ですから。もはや中堅、はたまた稼ぎ頭なのですよ」
アメジスト色の瞳を不敵に細め、へん、と彼女は鼻を鳴らす。
エシュニーは太陽神からの神託を受け、選ばれた聖女だった。
先の大戦中こそ、確かに必勝祈願の祭事を行ったりもしていたが、軍との付き合いなどごくごく浅いもの。
もっとも軍人と宗教団体がべったり、というのも、それはそれで薄ら寒いのだが。
そんな知人程度のお付き合いにもかかわらず司令官は、内密な話があるとのエーテル通信を寄越したうえでこうして現れた。不穏だ。
もちろん穏当であっても、彼女の減らず口は減らないのだが。
聖女と護衛が小競り合いをしている内に、飛行船側面の扉が開き、タラップが下ろされる。お供と思しき男性二人を引きつれ、初老に差し掛かったアリバス司令官が降りて来る。
黒色の軍服越しでも分かるほどの、ギャランに負けず劣らずなムキムキ筋肉の上には、渋いお顔が乗っている。おば様受けはよさそうだ、などと考えながらエシュニーは膝を折った。ギャランもそれにならう。
「お待ちしておりました、アリバス司令官」
見事に猫を被って擬態する彼女の言葉に、アリバスはかすかに笑う。
「いや、こちらこそ急にすまなかった。内々の相談事ゆえ、どうか楽にしてくれ」
「かしこまりました」
顔を上げた彼女と目が合い、アリバスの笑みは濃くなった。なんだか親戚のおじさんでも招いている気分だ。
堅苦しい作法は得意だが好きではないので、「楽にしてくれ」と言われて気分も少し上向きになる。
(よくある加護や祈祷の依頼かもしれないし。来客のおかげで、豪華なお菓子も食べられるんだ。前向きに考えるか)
そんな下世話なことを考えつつ、それはおくびにも出さずに司令官一行を先導する。
「別館に、私の居室がございますので。そちらでよろしいでしょうか」
「ああ、頼む」
裏庭の、花々に囲まれた小路を進んで、聖堂のある本館ではなく、聖女の居住区域でもある別館へ進んだ。
決して豪奢ではないが、太陽神の象徴でもある赤を取り入れた内装の応接室へ、司令官を案内。彼のお供の二人は、その入り口で待機となった。本当に、秘密の相談事であるらしい。
(クーデターの相談とかだったらどうしよう……いや、あるわけないか)
ここへ来て少し腰が引けたエシュニーだったが、「やっぱり怖いので、お帰りくださいませ」と言えるわけもなく。表面上はニコニコしたまま、応接室のソファーへ着座。アリバスもその向かいに腰かける。
聖女が見知らぬ男性と二人きりにならぬよう、ギャランは応接室の隅に控えた。
首尾よくエシュニー付きの侍女が、お茶とお菓子をテーブルに並べるのを、二人は黙して待ち、そして彼女が退出したところで──
「聖女エシュニーよ」
表情を深刻なものに変えたアリバスが、そう言った。来た、とエシュニーも背筋を正す。
「はい、どうされました」
「実は、あなたのその慈悲深き心で、癒し導いて欲しい者がいるのだ」
クーデターとは無縁のようである。不良少年の更生相談か、と内心ホッとしたエシュニーは大きくうなずく。
「もちろん、私でよろしければ。どのような方なのでしょうか?」
「魔剣だ」
「ひえっ……」
思わず素が出たが、アリバスはとがめず、ただただ険しい顔のままだ。髪色と同じ灰色の瞳は、真剣そのものの光を灯している。
また壁の花ならぬ壁にへばりつく岩と化しているギャランも、エシュニーと似たり寄ったりの、強張った表情になっていた。
魔剣──名前に「剣」とついているが、それは人である。少なくとも外見上は。
エーテル機構の英知を結集して作られたそれは、先の大戦で猛威を振るっ──否、一騎当千の活躍をして侵略者を蹴散らした、人型殲滅兵器なのだ。
神話や伝説によって語り継がれる、魔剣のどう猛さを擬人化したような、強さと恐ろしさを指してのあだ名なのだが、言い得て妙である。
浅くなった呼吸を整えて、動揺を隠すためお茶を一口飲み、エシュニーは再度聖女の皮を被る。
「魔剣とは……また意外な人物ですね。ですが彼らは、軍属でいらっしゃるのでは?」
そっちで何とかしろよ、と遠回しに尋ねる。
口元に手を添え、いや、とアリバスはかすかに首を振った。
「実は戦後、彼らの処遇を巡って下院ならびに、貴族院でも意見が割れているのだ。自我を持つ兵器故、軍属以外の道も選ばせるべきではないか、と」
「それはたしかに……そうなのかもしれませんね」
(余計な心配しやがって!)
内心でそうなじりつつ、うなずく。
彼女の同意を見て、アリバスは言葉を続けた。
「そこで我々は、魔剣たちに体験学習を行わせることにしたのだ」
「体験学習……なんだか響きが可愛らしいですね」
エシュニーの脳裏に、野獣の如き兵士たちが、並んでパン工場を見学する様子が描かれる。実にシュールだ。
ついほころんだ彼女と目を合わせ、アリバスも小さく笑う。
「まあ、私にとっては可愛い教え子たちだからね──その学習を通じて、
「そうでしたか。ところで何故、私をお選びになったのでしょうか?」
素直に問うた。
神殿があるこの町は、太陽神の聖地としてそれなりに栄えてはいる。だが、首都などとは比べるまでもない、小規模な世界だ。
そんな場所で、これまた俗世と離れ気味の聖女にべったりくっ付いて、得られるものなど少ないだろう。
しかしアリバスは疑惑の視線を、からっとした笑顔で受け流した。
「あなたは慈悲深く、そして民草に寄り添って生きている尊い方だ」
田舎暮らしを綺麗に表現したものである。
「加えて高潔な精神も持っている。あの子の教育係として、これ以上の適任はいないと考えてのことだ」
すさまじい褒め殺しトークである。
しかし元来がお調子者のエシュニー。先ほどまで内側では
(いやいや、ふざけんなよ。こんなか弱い乙女に何やらせる気だよ。襲われたらどうするつもりだ、こちとらこれでも美人聖女で通ってるんだぞ。しかも魔剣って、どちゃくそ危険な連中だって話じゃない。無茶言うな!)
などと罵倒していたことなどすっかり忘れ、えへらと気の抜けた笑みになる。
あーあ、とギャランが小さくぼやいたことにも、残念ながら気付けなかった。
また、勝利を確信したアリバスの目が、ぎらりと光ったことにも。
「買い被りでございますが……ですが、そうおっしゃっていただけるのであれば、私も全力を尽くしてその方と共に、生きる道を模索したく思います」
そしてペラペラと口が、調子のいいことを喋り倒した後でハッとなるも、遅かった。
「おお、ありがたい! やはりエシュニー殿は噂通りの御方であったか!」
喜色満面、そんな風に手を握られて喜ばれれば、「今のはリップサービスだ、綺麗さっぱり忘れろ」などと言えるわけもなかった。
かくしてエシュニーは、聖女と魔剣のお守りという、二足のわらじを履く羽目になった。