「俺に言うなや。まあ、お前にバテてる思われるんも癪やからな。お姉さん、これくらいなら大丈夫やで? でも、まあ、少しは肩の力抜いたほうがええもん撮れるんちゃう? それにこいつのメイクも多少直したいしなあ」
そういいながら、京志郎はその汗をパフでそっと拭っていく。そしてアルの顔を観察していた。どうやら彼にとっても少し休憩は必要なものであるらしいことは、その態度からもわかった。アルのその顔のメイクは確かにとれやすいものだろう。
「……そうですね。少し休憩しましょうか」
そう言った桃花に、アルがゆるりと微笑んだ。
「ええ、いい撮影でしたからね。少し、落ち着きましょう」
その言葉に、桃花はわずかに息を吐いた。
確かに、少し冷静になる時間は必要だ。そう思いながら、彼女はカメラをそっと胸に抱えた。
(まだ、終わっていない。だけど……)
撮れた写真を見つめながら、桃花は確信していた。
今、自分は間違いなく、今この瞬間で撮れる「最高の作品」を生み出そうとしている。
それはイメージよりもさらに膨らんでいくものだとわかっている。
だからこそ、求めてしまっていることも、自覚していた。
そのとき、ふと、アルと視線が交わる。控えめに、しかし確かにそこにある熱。さっきまでファインダー越しにしか見なかったはずの彼が、今は真正面にいる。人ならざる「王子様」の仮面を脱ぎかけたまま、どこか優しく、けれど油断すれば深くまで引き込まれてしまいそうな視線で、こちらを見ていた。
「……桃花」
名前を呼ばれるたびに、胸の奥がざわめく。それは一種の危険信号のようであり、また甘く囁かれる呪いのようでもあった。
「はい……」
「一つ、提案があるのですが」
「えっと、何かありましたか?」
そう言ってアルは一歩、近づいてくる。長いマントの裾が静かに床をなでた。桃花は無意識に喉を鳴らす。距離が縮まるだけで、周囲の空気が変わったように感じた。
「このあとのセット……白ホリの撮影ですよね」
「え、ええ……? あの、ちゃんとそれも構図を考えているので……」
企画書の内容を思い出しながら、桃花はうなずく。暗いだけではないもの、白ホリ撮影でその黒い衣装を際立たせようという、そういう話だったのだ。
「それなら、私の提案を取り入れていただけませんか?」
彼の声は低く、穏やかだが、どこか誘惑的だった。まるで、「その先を見せてあげましょう」とでも言いたげに。
「提案……?」
それに訝し気に桃花は聞き返す。それにアルは穏やかにうなずく。
「はい。少しだけ、桃花の『予定』から外れるかもしれませんが……」
彼はそこで言葉を切ると、ぐっと近づいた。耳元で囁かれる言葉は、まるで熱を帯びた夜の風のように、ひどく甘く、そして妖しかった。
「……私が、あなたの最も見たいものになってあげます。それならいいですか?」
「……え」
桃花の肩がぴくりと震える。心臓が跳ねた。反射的に彼の顔を見上げてしまった。そこにあったのは、撮影用の表情ではない。誰にも見せていない、彼自身の瞳だった。静かで、深く、すべてを見透かすような眼差し。きっと桃花のことを見透かしている。
「……それって、どういう意味ですか……?」
ようやく声を絞り出すと、アルは微笑んだ。その笑みはやはり魔王のそれで、人外じみている。けれど確かに櫻木昴としての名残を感じさせる、人間らしさを持った笑みでもあった。
「あなたが、本当に私に望んでいるもの。それを、表現させてください」
それがどういうことなのか、言葉では説明されなかった。けれど、桃花にはわかってしまった。
自分がずっと「作品」として追いかけていたその先にある、「感情」の姿。
ただ綺麗なだけではない、ただ妖しいだけでもない、深く、人間らしい、でも人間では届かない「何か」。
「……それが、撮れると思っているんですか?」
もしもそれを撮ることができるのならば、きっと桃花だってすぐに食いつく。
しかし、それは人ではきっと表現しきれないものだと、桃花だってわかっている。
「桃花が望めば、私は何にでもなれると言ったでしょう?」
その言葉に、全身が震えた。
あの出会ってから遊園地での撮影を経ている。アルがそう言ってカメラの前に立った日。それがすべての始まりだった。けれど、今、彼の言葉はもうただの約束ではない。重みを持ち、甘く絡みつき、そして狂気のような情熱に支えられた、誓いのようだった。
桃花は、静かにカメラを手に取った。
そして、頷いた。
「はい、どうか。見せてください」
迷いはなかった。
すると、アルは笑みを深めて、すぐに京志郎と綾乃に振り返る。
「中百舌鳥さん。許可は得られました。今から言うようにメイクをお願いしてもいいですか? あと、須田綾乃さん、衣装についても一部変更をお願いします。あと、小物はこっちで……」
「おま、最初から……ああ、もう、しゃあないな!」
「いいの、桃花?! まあ、付き合うけれど」
すぐさま指示を出し始めたアルに、京志郎と綾乃は驚きを隠せない。しかし、桃花が許可を出した以上、反論はできなかった。