アルがふっと唇の端を持ち上げる。
「……ふふ、あなたは本当に欲張りですね」
「そうかもしれません。でも、もっと、あなたを撮りたい」
桃花の言葉には、一切の迷いがなかった。ファインダー越しに見る彼の美しさ、異形の王子様としての圧倒的な存在感。息をのむほどの美しさに包まれて癒される。そのすべてを、まだ撮りきれていない気がする。
「では、どうしましょう?」
アルが軽く肩をすくめる。まるでこの瞬間さえも楽しんでいるような、余裕のある微笑。
「……マントを、今度はもう少し大きく動かしてもらえますか? 京志郎さん、風を利用しながら、布の流れを最大限に活かせるように」
「了解。もうちょいダイナミックな感じやな?」
「はい。アル、小道具のロウソクを揺らめかせて、次はゆっくりとこちらへ歩いてきて、最後に振り向くような動きでお願いします」
アルの瞳が微かに光を宿す。
「……ふむ、なるほど。では、試してみましょう」
彼はしなやかに歩を進め、小道具のロウソクを手に取る。仄かに揺れる炎が、彼の指先の動きに合わせて小さく震えた。
「こういう感じですかね?」
そう言いながら、アルはロウソクの炎を指で隠すようにしながら、ゆっくりと歩みを始める。その動作は、まるで闇の中をさまよう異形の王のようだった。桃花は、レンズ越しに彼の姿を捉えながら息をのむ。
静かに、一歩、また一歩。
ロウソクの炎が揺れ、アルの輪郭がその影に包まれたり、露わになったりする。その度に、彼の表情も変化する。
淡く微笑むかと思えば、次の瞬間には冷徹な瞳で見下ろすような視線を向ける。
「そのまま……次の瞬間、振り向いてください……」
桃花の指示に、アルはほんのわずかに頷き、ゆっくりと歩を進める。
マントがひるがえる。
京志郎が絶妙なタイミングで風を作り出し、その動きに合わせてアルが身を翻す。
シャッター音。
その瞬間、ロウソクの炎がひときわ大きく揺れた。影が深まり、彼の顔の半分だけが闇に沈む。
それなのに、彼の瞳は鮮明に輝いていた。
妖艶で、どこか挑発的な眼差し。
まるで、こちらに語りかけるかのような、そんな視線だった。
桃花の背筋がぞくりと粟立つ。
「……今の……すごくいいです……!」
夢中でシャッターを切る。
何枚も、何枚も。まるで、彼の存在を一秒でも長く、このフレームに留めておきたいかのように。
そうやって必死に撮り続けて、どれくらい時間が経ったのだろうか。
桃花は夢中でシャッターを切り続けていた。ファインダー越しに見えるアルの姿。異形の王子としての圧倒的な存在感。目を奪われるほどの美しさ。
だが、それをただ「綺麗」と思っているだけではない。今の彼の表情、仕草、その全てが「作品」として形になっていく。もうこんな瞬間は二度とない。そう確信できるからこそ、彼女は夢中になって撮り続けていた。
息をすることすら忘れそうなほどに。
「……ねぇ、桃花」
不意に、肩を軽く叩かれる。その瞬間、ようやく彼女はファインダーから目を離し、現実に引き戻された。
「……え? あ、綾乃……?」
久しぶりに戻ってきたような気がする。この世界の全てを切り取って、自分の写真と、被写体だけだと勘違いしていたことに気がつく。
「もう二時間以上、撮りっぱなしだよ」
隣で微笑んでいるのは綾乃に指摘される。
「そろそろ休憩しない? さすがに集中しすぎだよ」
「そんなに……?」
言われて、桃花は初めて自分がどれほど長く撮影していたのかを知った。
ふと手元のカメラを見ると、指先がじんわりとしびれている。長時間シャッターを押し続けたせいだろう。肩もずっしりと重たい。
(……そんなに、撮ってたんだ……)
自分でも驚くほど、時間の感覚がなかった。
「ご、ごめん……」
「謝らなくていいけど、ちょっと休憩しよ? ほら、水分補給もしないとダメだよ」
綾乃は笑いながら、小さなペットボトルを差し出した。桃花は受け取ると、ようやくカメラを下ろし、深く息を吐いた。
「……ありがとう」
ボトルのキャップを開け、冷えた水を喉に流し込む。
ほっとするような冷たさが、熱を帯びた体に染み渡る。そんな感覚さえ、写真を撮っている間はわからなくなっていた。呼吸さえしていたのかわからない。そんなものを意識さえしたことがなかった気がする。
「すごかったよ、桃花」
綾乃がしみじみと呟く。
「夢中になってるの、見ててわかった。でも、本当にすごい写真が撮れてると思う」
「……そう、かな」
まだ興奮が冷めやらぬまま、桃花はカメラの液晶を確認する。
そこには、息をのむようなカットがいくつも映っていた。
異形の王子としてのアル。
闇の中に立ち、マントを翻し、妖艶に微笑む姿。
冷たいまなざし。誘うような視線。まるで、本当にこの世界のものではないような。
「……すごい」
思わず、呟いた。綾乃がくすりと笑う。
「ね? でも、だからこそ、ちょっと休憩して落ち着こう。アルさんも、京志郎さんも、少し休憩した方がいいと思うし」
「あ……す、すみません……!! あの、二人のご負担も考えずに」
そう言われ、桃花はようやく周囲を見る。
「大丈夫ですよ。これくらいの撮影なら慣れていますし。ねえ?」
アルは静かにセットの端に立ち、微笑んでいた。彼の表情はいつも通り余裕があるものだったが、どこか満足げでもあった。そして京志郎に微笑みかけてくる。
この程度ならばまったく問題ない、と笑っているその顔には、わずかに汗がにじんでいた。