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第55話 彼女の条件②

『こちらもそれで構わないと言っているんです』


 その言葉にハッとする。まっすぐに彼女は、アルに挑んできている。

 桃花は櫻木昴を使いたくないはずである。それなのに、使ってもかまわないという心変わりはどうしてなのか。

 それを知りたいと思うと同時に、彼女が何を企んでいるのか、その先が知りたくなった。


「わかりました。あなたがそう仰るのであれば、そう致しましょう。それでいいですか?」

『はい。それから契約締結になったって事後報告で申し訳ないのですが、今の会話に関しては録音させてもらっています』

「そうですね。それも必要だと思います」


 こんな風に無粋なことをするのならば、本来断ったって構わないはずだ。しかし、こうしてちゃんと彼女は自分に向き合ってくれている。それがどうも嬉しくなってしまったのだろう。

 アルはそれさえも了承してしまった。


「それで、一体、そのメイクアップアーティストというのは誰なんですか?」

『中百舌鳥京志郎さんです』

「え?」


 そこではじめて本音の言葉が漏れた。

 なぜその男のことがここで出てくるのか。というか、彼と桃花が連絡できたことに驚いた。あの時、たった一度遊園地で出会っただけのはずなのに、どうしてここまで仲良くなっているのか、それが不思議だったのだ。


「中百舌鳥って、あの……?」


 それ以外に中百舌鳥京志郎などという名前の男をアルは知らない。

 かつて無邪気にアルに憧れていた男。最初に一緒に仕事をしたときは、その指先さえも震えていた。そして、こうして数年ぶりに出会ったと思ったら信じられないほどに口が悪く、アルのことをじっとりと睨みつけてきた。そんな男が協力してくるとは思えなかった。


「中百舌鳥さんに……その、何を言ったらそんなことになるんですか?」

『えっと、それは……あっ!』


 思わずそう聞いてしまったほどである。その時、電話口で桃花の声が中途半端に途切れた。何事だろうと思って、聞き耳を立てようとすると、アルのその行動を見越していたかのように、関西弁で電話口で怒鳴られた。


『なんや、俺のことが気に食わへんのか?! ああ? 黙って聞いてれば、俺の名前聞いて怖気づいたんか?』

「……えっと、中百舌鳥、さん、ですよね?」

『あん時よりも、丁寧な呼び方しとるやんけ。こないなことしとってそれで殊勝な態度になるとか、ほんまに嫌なやっちゃなあ』

「あなたもあの時はもっと丁寧な口調で話してくれましたけれどね」

『はっ、そないなもん忘れたわ。あいにくと、過去は振り返らへん主義やからなあ』


 そうは言いつつも、ここまでアルにに対して敵意をむき出しにしているのは、過去にこだわっている証拠ではないかと思ったが、ここではあえてつっこまないことにした。それをもしを言ってしまうと話が逸れてしまうし、大喧嘩になってしまいかねない。

 京志郎が自分へ敵意をもっていることは、重々理解していたのである。


「そんな君が僕のメイクを担当してくれるんですか?」

『おう、そうや! なんや、嬉しいやろ? これでもあの頃よりもずっと有名になったんやからな』

「ええ。君のメイクの腕は確かなのはわかっていますから」


 これは本音だった。

 まだアルが「櫻木昴」だったとき、ガチガチに緊張していた京志郎は、それでもアルに満足のいくメイクをしてくれていたのである。その時はそのメイクを存分に生かすことはできなかったけど、またこうして自分にメイクをしてくれるのかと思うと、それは少しだけ嬉しかった。


『そうやって、褒めたようなこと言うて、こっちの気を逸らすつもりか?』

「そうじゃないですよ。これはただの本音です」

『……!!』


 アルがさらに言葉を重ねると、電話口で息をのむ声が聞えた。

 確かにあの時よりもよほど奇抜なファッションになっているし、アルに対しても強気である。しかし彼が桃花よりもさらに年若い事はアルはよく知っていたのだ。

 だから揺さぶりをかけてやれば簡単にそれになびく。あとはなびいたとこちらが好き勝手にしてしまえばいい。

 そう思っていたのである。

 しかし、一筋縄ではいかない。


『……何言うてんねん』

「中百舌鳥、さん?」

『お前が桃花お姉さんに何しようとしてたか全部聞いてるんやで、こっちは。卑怯も卑怯。お前みたいなやつが俺は一番嫌いなんや!』


 京志郎はさらにまくしたてるように、電話口で大きく怒鳴る。


『安心せえ、写真撮影をする前に俺がお前のことぐちゃぐちゃにしたる。ありとあらゆるメイクの技術を使って。でもお前のことをぐちゃぐちゃにしてやらんと気が済まんのじゃ。わかったら首洗って待っとけや!!』


 言いたいことだけ言って、そのまま電話が切れた。

 アルは電話から耳を話すこともできずに、そのまま無機質な「ツーツー」という音を聞き続けていた。


「ふ、はは……」


 その場から動けなくなっているにもかかわらず、乾いた笑いが漏れた。

 演技をしている愛想笑いではなく、こうして自分の身の内からこみ上げてくるような笑いが出てきたのは、いつ以来のことだろうか。


「ははは……ああ……ああ、どうしましょう……」


 アルはそのままの体勢で振り返る。

 そこにある写真に向かって、夢中で声をかける。


「カナ、僕はぐちゃぐちゃにされるんですって」


 今はもう声を聞くことも出来ない。

 あるのはこうして飾ることができる彼女の一番きれいな写真だけ。振り返った笑顔で、こちらに首をかたむけている。どこにでもあるようなアングルのどこにでもあるようなアイドルの写真。

 今、アルが生きているのは、彼女が生きて欲しいと願ったからだ。そうじゃなければとっくにこんな世界に絶望していた。

 それを彼女たちは引っ搔き回してくる。

 こんな、予想外すぎる。


「どうなるんでしょうね……あんな……彼が僕をぐちゃぐちゃにするなんて。そんなこと、本当にできると思っているのか。……ああ、楽しみですね」


 その言葉だけを聞いたら狂気的にも思えたかもしれない。

 しかし、アルの表情は今にも泣きそうなほどに顔を歪めて笑っていて。

 それは狂気、などという生易しいものではなく、いっそ今にも壊れてしまいそうなほどに苦しそうなものだった。


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