彼女がアルを納得させる条件など考えられるはずがないと、少なくともアルは思っていた。
「僕は、最低ですよね、カナ」
今でもずっと彼女のことを忘れたことはない。
ホテルに飾られた、彼女がまだ輝いていた頃の写真がそれを物語っている。
そして、自分も早くそちらへ行きたいとずっと願っていた。だからこそ、せめて誰かの役に立ってから、全て終わらせたいと思っていた。
そのために一人の女の子を巻き込んでしまったのだとしても。それでも自分の願いを叶えるためには仕方ないと、何とか割り切ろうとしていたのだ。
「桃花はきっと許してくれない。しかし彼女にどうにかできる手段はないはず」
ちゃんと彼女のことはある程度調べている。その中で、出版業界に対して裏から手をまわしてアルのことを止めるような力がないことは知っていた。
だからこそ、アルは桃花を利用することを決めたのである。
彼女なら、アルの策略に乗ってくれるはず。しかも途中で逃げ出すようなことはないだろうというのは彼女と接していてよくわかっていた。
「……僕も、同じように壊されたらいい」
大事なものを失った時には何も考えることができなかった。
ただ、言われるままに日本から国外へと脱出して、そのまま言われるままに整形手術を受けた。そこで崩された輪郭をなんとか繋ぎ止めて、食事もできるようになるまで回復した。
親知らずだけは、戻ることはなかったものの、特にそれがなくなっても大丈夫なことは知っていたから、そこは問題ではなかった。
だが、だんだんと回復して行くにつれて、彼の中にあったものは自分が取り返しのつかないことをしてしまったという罪悪感。
そして、その罪悪感に押しつぶされそうになって、日本に来たのである。
「……カナ」
ホテルの部屋で、ひっそりとカナの写真の前で手を合わせる。
こうして誰もいない場所に居る時が一番辛い。
彼女を失ったことを酷く自覚してしまう。しかし、だからこそ、それが罰なのだとわかっている。このくらいの罰を受けなければならない。この罰を受けなければ、アルは許されるものではないのだ。
そんな時、着信音が鳴った。アルはぴくりと肩を震わせる。過去の経験から非通知や不審な電話、基本的に出ないようにしている。しかし、そういうものではない。
「桃花?」
それは自分に罰を与えてくれるはずの存在である彼女から電話だった。要約彼女も自分の中で折り合いがついたのだろう。きっと写真集を受けてくれるに違いない。
そう思うと少しだけ心が軽くなる。彼女を巻き込んでしまったことは本当に申し訳ないと思っているが、しかし彼女ならば、きっとアルを楽にしてくれると思っていた。
『アル、今電話いいですか?』
「はい、どうかしましたか? ……桃花?」
桃花の声が聞こえる。いつもの声も少しだけ自信に満ちているのは覚悟を決めてくれたからだろうか。それとも別の策略があるのだろうか?そう思って耳をすませば、なんだか不審な音がする。妙に電話の後ろがうるさい。ドンドンと耳に響く重低音が、電話越しにも伝わってくるのである。
『……ああ、よかった。ちゃんと話決まりましたから』
「えっと、それよりも今どこに居るんです? なんだか変な音が沢山聞こえるんですけれど」
桃花が派手な場所に足を踏み入れる人間でないことは、アルもわかっている。コンカフェに行った時だって物珍しさから目を丸くしていた。そんな彼女がこんなにうるさい場所に居るとは思えないのだ。もしかして何かあったのかもしれないと、心がざわめく。
彼女は利用するだけの人間のはずなのに。どうしてか放っておけない気がしたのだ。
『ああ……ちょっと音楽が始まっちゃって、でも大丈夫です。こっちも話しちゃんと聞こえます』
「いや、そうではなくて……いえ、そうですね。それで覚悟は決まりましたか? 桃花はどうしますか?」
アルはそこで話をそらされそうになったが、すぐに自分の話へと軌道修正した。こんな事で折れてはいけないと思ったのだ。
すると、電話口で桃花が言った。
『はい。それで二つほどお願いがあるんですけど、いいですか?』
「それは条件次第です。僕だって、自分の復帰のための大切な写真集ですからね。ちゃんと話を聞かないと困ります」
彼女が落ちてきた条件が余りに少なくて、アルは軽く笑った。
たった二つの条件、本来ならばもっと複雑なことを言って、こちらを罠にはめて来てもいいのに、そんなことをしてこない彼女の姿勢には好感が持てる。ただ、それでもアルは容赦しない。
『それはよくわかっています。だから、話を聞いてもらいたくて』
「だったら教えてもらえますか?」
彼女は一体どんなことを言ってくるのだろう。少しだけ興味を持つ。
アルが笑っているのがわかっているのか、息をのむ声が聞こえた。
『こちらからの条件は、写真集のコンセプトはこちらで決めること。そしてメイクアップアーティストもこちらで決めることだけです』
「それだけ、ですか?」
あまりに単純な話で拍子抜けしてしまった。ここで「櫻木昴の名前を一切使わないこと」なんて、条件を提示することだってできたはずだ。しかし、桃花はそんなことをしなかった。
それがもしかしたら、アルへの義理の返し方なのかもしれないが、アルはそれでも容赦はしない。
「コンセプトとメイクだけ。それ以外のことはこちらで決めていいと? 櫻木昴の名前を使っても構わない。あなたはそう言っているんですよ?」
もしかしたら言葉の中に裏があるかもしれない。とても意地悪な考えだと自分でも分かっていながら、あえてそこで言葉にしてみた。