「できたんは最後の最後の一回だけやったけどね。俺はその時まだ新人でそんな、櫻木昴のメイクをどうできるほどの地位も、権力も何もなかった。それでもぎりぎりなんとかできたんは、俺のメイクの腕前聞いて、櫻木昴がやらしてくれるって言ってくれたからなんよ」
そういいながら、京志郎は一枚の写真をとりだした。
モデル撮影のために使用されるようなこうかな機材で取ったのではない。何気ない日常の中で、それこそ使い捨てカメラか携帯電話で撮ったような、そんな少しピンボケをしているような写真だった。
そこには若い京志郎と思しき、服装がおとなしくて、髪色に対しても基本的にはまだ緑色にいくつか白のメッシュが入っているだけの今よりは目立たない髪型をしている男と、綺麗な顔で笑っている櫻木昴がいた。
髪色や目元、輪郭以外は若いアルそのものの男である。
「これは……京志郎さんの、宝物なんですね」
「認めたくはないけど、そうかもなあ」
写真の中の二人はとても楽しそうだった。
アルも笑っていて、それに覗き込んでいる京志郎も、どこか緊張しているがそれでも手元を覗き込んで何かを確認していた。
「この時が多分一番良い仕事ができたって思ってるんや」
「この時ってその後もこうしてメイクアップアーティストしているんですよね?」
「でも、素材が良かったからなあ。あいつ、腹立つくらい綺麗な顔をしているやろ?」
京志郎は楽しそうに笑う。そして、すぐに真顔になると、ぎゅっと拳を握った。
「やから、許されんかったんよ。この撮影の途中にあいつの一番大事な人が飛び降りたって言われる。そんでそのまま泣き崩れて、姿消して何もかも捨てたあいつのことがどうしても許せへんかった」
その写真の櫻木昴はここから幸せそうに見えた。もしかしたらこの時にも地下アイドルの 「カナ」からは何か相談されていたのかもしれない。しかし、そんな風な不安さえも何もかも押し殺して、彼は笑ってアイドルとしての活動を続けていたのだ。
「……京志郎さん」
それはきっとアルに、櫻木昴に向けた怒りではないのだろうと思った。だが、しかしストーカーは捕まっていない。だからこそ向ける相手がいないから、櫻木昴に抜ける相手がいなかった、そんな怒りなのだという事が分かった。
「そんであいつは芸能界から姿を消して。こっちもこっちでやる気なくして、そのままこうやっていろいろとフリーで好き勝手やらせてもらうようになったんよ」
「だったら、あの遊園地の時も偶然ってことなんですね?」
「偶然も偶然。あんなふうに入るとへんかったというか、一瞬ほんまに誰か分からんかったし」
「京志郎さんでも?」
「まあ、そりゃそっくりさんやってたら、そうなんやろなって納得するレベルってのはわかるけどな」
京志郎はうなずく。
「でも顔の輪郭も何もかも変わってるし。ただ、やり方とか、その目元だけは変わらへんかったわ、むかつくことにあの時のまんまや」
「……やっぱりこのままだったらきっと、アルは『アルフレッド』として生きていけると思うんです」
「アルフレッド?」
「そう。本当の名前というか、アメリカでの名前も教えてもらったんです。アルフレッドって。だから、その名前で生きて行く選択肢だってあるんです。それなのに彼はまた、櫻木昴になろうとしている」
その言葉でどれだけ京志郎に伝わったのだろうか。
それは良く分からなかったが、京志郎は「ふうん?」と言った。
「やったら、俺に教えてくれへん?」
「京志郎さん?」
「俺も知りたいって思うんや。俺はこんなふうになってたけど。あいつがどこで何してるか知りたかった。だからこそ、桃花ちゃんのことも調べた。櫻木昴につながる唯一の手がかりや思たから」
京志郎の目は真剣だった。
桃花とはまた、きっと違う目的でそれでも、アルのことを知りたいと思ってくれているのだろう。
だけど心強かった。こんな風に自分の中に抱えこんでいるの秘密をどうして良いのか、桃花自身もわからなかったからだ。
「……少し長い話になりますけど、いいですか?」
「かまへんよ」
京志郎がうなずく。
それに桃花もうなずいて、それからゆっくりと今までの話をした。
出会ってから、いっしょに食事をして、その時から不思議な人だなと思っていたときのこと。
そして写真集について。
まるで童話のようにアルが「櫻木昴」として、幸福な王子様のように、自分の幸せなんてものを度外視して、ほかの人たちが自分の帰りを待っていてくれるからこそ、もう一度脚光を浴びて舞台に立ちたいと願っていることも。
「はああ……なんちゅう奴なんや。普通、そんなことまで考えるか? ありえへんやろ?」
「でも、そうしたいんだと思います。そうしないと自分の罪を許されないと考えているみたいで」
「不器用にもほどがあるっていうか。そんなことしたってまた狙われるわけやし……」
「あの、聞いておきたいんですけれど、京志郎さんは、アルが……いえ、櫻木昴はどうしたらいいと思いますか?」
「アル、でええよ。本人がそう名乗っておきたい言うんやったらその方が良いと思うし」
京志郎は頭をわしわしとかいて、ため息をついた。