『それにそろそろあのいけ好かへん、ぼんくらアイドルがなんかしでかす頃やろな思って』
「……ぼんくら……アイドル……って、あの、さ……いえ、もしかして、アルのことを……ですか?」
『なんや、そんなにけったいな名前言うてたんか。ああ……なんかそういえばその名前も言うてたな。まあええわ。それが偽者の名前を言うのはわかってるん?』
「えっと……はい……」
これは実は彼に今日会って、その時に言われたというべきなのか考える。しかし、電話口でその真実を伝えてしまうと、京志郎がまた怒りそうだったので、そこには触れないようにしながら曖昧に同意した。
『ふうん? せやったらええんやけどな。でもまあ、名前くらいを教える気になったんやったらええ、兆候なんかもしれんなあ』
「あの……京志郎さんって、何者なんですか?」
もしかしたら何かアルのことを知ってるのかもしれない。
櫻木昴についてか、そのどちらかなのか見分けがつかなくても、桃花はドキドキしながら聞いてみる。
『世界一かっこいいメイクアップアーティスト。やったらあかん?』
「……そ、そういうのじゃなくて……アルについて、何をご存知なんですか?」
京志郎が何か知っているのであれば、それを聞いてみたいと思った。
アルと明日食事に行くのであればその前に、情報収集をしておきたい。
『いろいろとは、一応知っとる感じやな。前に一緒に仕事をしようっていう約束もしてたからな。でもあいつは裏切った。だから俺は許されへん』
「裏切ったって、それはそのアイドルに関係することですか?」
『……桃花お姉さん、やったら、少し一緒に話しせえへん? 今からどのあたりまで出てこれる?』
「え、それ……は……」
仕事が終わってようやく今から寝る準備に入ろうかと思っていたときである。
かろうじて、まだ普段着ではあるが、すぐに外に出ていけるかと言われれば、少しだけ抵抗があった。
「今日は、その、さすがに……あの、明日とかどうですか?」
しかも、相手は明らかにこだわりの強そうなメイクアップアーティストである。そんな人に丸腰で挑んでいって、すぐに情報を引き出せるとは限らない。
とは言っても、あちらは西の方言を使う人である。もしかしたらとてつもなくせっかちかもしれない。何となくのイメージでそんなこと思ってしまって、もしそうだったら断られてしまうかもと言ってから後悔する。
『ええよ』
しかし、のイメージとは全く異なる返事をしてくれた。
『いきなり夜道に女の子を連れ出したら危ないしな。俺もええとこ知ってるからそこの準備もしたいし、やっぱり明日の方がこっちも都合がええわ』
「は、はあ……」
いったいこの男は自分をどこに連れて行くつもりなのだろうか。言葉を聞きながら、桃花は考える。端々になんとなく、準備、というのだから、何か彼の方でも計画があるのだろうと分かる。それがアルとは違う方向性かもしれないということも考えに至った。
「じゃあえっと……仕事帰りでもいいですか?」
『ええけど、それって何時ごろになるん?』
「多分、早くて18時とか」
本当ならばもっと仕事をしなければいけないはずなのでもっと遅くなるはずであったが、これ以上彼を待たしてはいけないような気がして、少し早めの時間を提示した。
『わかった。せやったらそれで。あっ、一つお願いがあるんやけど、ええかな?』
「なんですか?」
『前に遊園地で写真撮ってたやろ。あの写真持ってきてくれることってできる?』
「写真って、アルの、ですか?」
あの時はあくまで仕事の一環として言ったのである。だから遊園地の写真と言っても、そのほとんどがアルを写したものばかりだ。
アルをあそこまで露骨に嫌っていた京志郎が、見て楽しいものだと思えなかったのである。もしも風景写真等も撮っていたら、それ持って行った方が良いのだろうかと頭の中を巡らせる。
『そう、それそれ。まあやっぱりむかつくのはむかつくんやけど、しっかりその辺りはみとかんといかんな思たから』
「……そう、なんですね」
アルのこと、櫻木昴のこと、この男は一体何を知っているのだろうか?
「分かりました。それも忘れないようにしますね」
『うん、せやったらお姉さんのことちゃんと待ってるから、忘れんといてな。後で住所の方はショートメールで送っとくし、中に入る時には別に何もせんでも、「京志郎の知り合い」言うたら入れるようにしておくから』
上機嫌な声を出してそのまま電話は切れた。
「……まさか、京志郎さんが櫻木昴のストーカー、って可能性は……ないんだよね?」
ここで不自然な形で彼に合いすぎている気がしていた。偶然にしても出来すぎている。それならば、もしかしてストーカーかもしれないと考えた方が確かに気が楽な気がした。
「……でも、それならもっと違うアプローチでくるはず」
彼と付き合っているかもしれないと思われていたアイドルにさえ、自殺を追い込むような恐ろしいことをしていたのである。そんな人が、アルと一緒にデートのように遊園地に居るのにもかかわらず、こんな風に機嫌よく電話をかけてくることなんてありえないと思うのだ。
「……だから、だいじょうぶ」
確かに見た目も格好も怪しげな男の人だったが、しかし桃花に対してはそこまで敵対をしていない。だから大丈夫だそう言い聞かせて、桃花は目を閉じた。
いつも仕事に写真集。それから櫻木昴に京志郎。
なんだかここ最近、一気にいろいろなことがありすぎて、桃花も驚くほどに忙しくなってしまっていた。
「こんなの、あの人と別れた時にいっそ、こうなってくれていたら、もう少し気も紛れたかもしれないのに」
そんな恨み言さえ呟いて、桃花は目を閉じた。
すでにあんな男の歌う歌なんて忘れていたはずなのに。
どこか遠いところから響くように、不愉快な恋の唄が止まらなかった。