桃花の中で、いくつか写真のレタッチをかけていた。
「本当はほとんど触らなくてもいいんだろうけど。でも……やっぱり、もっと魅力的に見せたいと思うんだよね。せっかくの王子様の写真なんだから」
まだまだ自分でも粗削りだと思っている桃花なりにも、こだわりはいくつもある。
レタッチだってその中の一つだ。
特に肌の質感なんかは、スマホなどで撮ったのと一眼レフで撮ったのとでは大きな差がある。被写体の肌を滑らかにしすぎることはせず、あくまで自然な輝きを残しつつ、不要な陰影や色ムラを丁寧に取りのぞいていく。わずかに毛穴なんかを残すことも忘れない。
修正アプリで綺麗に自動で修正された人形のようなつるりとした肌は、確かに一見魅力的に見えるかもしれないけれど、それでは人間らしさが引きたたない。
王子様、として読者が見たいのは、自分の手元に来てくれるかもしれない。そんな淡い期待さえもたせるような写真である。そのためには、どこか「隙」がなくてはいけない。人間らしい、ただの人形ではない、そういう「隙」だ。
「それから、光の当たり方も……」
自然光の美しさを生かしながら、必要に応じて柔らかく補正する。光はただの明るさではなく、衣装やアクセサリーの質感を際立たせ、モデルの顔に立体感を与えるための重要な要素だ。
特に今回は天気のいい日に遊園地で写真を撮っている。だから、写真の中には光が強すぎたり、逆に弱すぎるものも多く存在しているのだ。そう。言う時にどうしていいかをちゃんと考えていくべきだということを桃花もわかっている。
「……これで、いいよね……でも、もう少し……このあたりのハイライトをもう少しつけて……」
二次元を超えるくらいの美しさを三次元に求める。
しかも、桃花だけのものではなくて、それを誰かに見てもらう可能性があるとなれば、自分だけの感性に従っていてはいけないはずだ。
自分で完璧だと思っていても、それでもまだ足りないと思われるかもしれない。逆にあまりに過剰になりすぎたら、それはそれで相手からは不評を買うことにもつながる。そのバランス感覚は、確かにこうして仕事をしていく中で身に着けていったものだと、桃花だってわかっているのだ。
「目元にハイライトを入れて……よし……」
何度も何度も写真を見てきた。たった一枚の写真でさえ数時間かかることもザラである。それを今回は自分でも驚くほど短い納期でできる、と言ってのけてしまったのだ。しかもそれに飯田編集長も協力してもらっている。他の同僚も巻き込んでいるのは、桃花だってわかっている。
だからこそ、桃花は集中した。三日間、アルの綺麗な顔以外、ほとんど何も見ていたような記憶がない。
社会人として生きるために必要な最低限の食事と睡眠。はとっていたはずなのに、その記憶さえもほとんど抜け落ちてしまっている。目を閉じればすぐに思い浮かんでくるのは彼の笑顔だけだった。
「飯田編集長……こちら、見ていただけますか?」
そうやって結局桃花が自分で納得できるほどの写真を仕上げることができたのは、既に三日目の、夜といってもいいくらいの時間になってからのことであった。
太陽はすでに沈んでいて、オフィスは飯田編集長くらいしか残っていない。
大型の撮影が終わったので、定時退社をしたがっている人が多いのだろう。そうしなくては、この業界ではいつ帰ることができるかわからないのだ。
「君が納得できるものが作れたのかな?」
「はい。できました」
飯田編集長のその瞳に対して、桃花もうなずいた。
これ以上のものはできない。なんて自分の限界を定めてはいけないと言われているけれど。しかし、この時間内であればこれ以上のものはできないと自分でも思っている。それに対しては時間も技術も、いまのままでは足りないのが分かってる。
「……そうか。よく頑張ったね、疲れただろう? もう今日は早めに帰って寝なさい。先方には私から連絡を入れておくから」
しかし、飯田編集長は差し出した写真を見ようとはしなかった。
「……写真、見てはいただけないのですか?」
「私もなかなか楽しんでいてね。実を言えば、かなり楽しみにはしているし、すぐに見てしまいたい気分なんだけれどもね」
「だったら」と言いそうになる桃花に、飯田編集長はにこりと笑みを浮かべた。
「モデルと一緒に見ていたいと思うんだよ。彼が、どんな反応するか、それを私も同じ視点で見て行きたいとそう願っているからね」
「わかり、ました……」
不満ではあったが、筋は通っている。だからそれ以上反応したってどうしようもないことだってわかっていた。
だから、桃花は素直にうなずいた。
そして荷物をまとめてそのまま帰った。
後には彼女が印刷した写真と、それから飯田編集長だけが残された。
「さあ、彼女はここまでの覚悟をしてちゃんと向き合おうと決めてくれたよ。あとは君次第だろう」
その言葉が誰に向けたものであったのかを知るものは、その人気のないオフィスの中では誰もいなかった。