「桃花に、僕のことは話していません。だから、彼女は知りようがないんですよ」
ひどく、あっさりとアルはそんなことを口にする。それが当然であるというかのように。
その言葉にわかりやすく肩を揺らしてしまったことを、二人とも気がついていただろうか。位置的にも近くにいたアルが気が付かないはずがないと思いながらも、気がついていませんようにと願いながら、桃花はうつむいた。
たぶんそれは、今まで生きてきた中で身につけてしまった一種の自己防衛なのだと思う。
「ふうん? それで傷つけへんつもりか?」
「え?」
アルの顔色が凍り付いた。言われたくない言葉を言われて、そのまま何を言っていいのかがわからなくなっているそんな表情だった。
「お前はそれで傷つけてないって思ってるかもしれんけど、そういう態度の方がよっぽど傷つけてんで。見てみい、桃花ちゃん、何も言うことができてないやろ? それがどういう意味かお前にわかるか?」
「……桃花? あの、僕は……」
「アル……」
動揺が広がっていく。
アルは悪くない。
積極的に聞かなかったのは、確かに彼の素性を知るつもりがなかったこともある。桃花にとっては、アルは自分の「作品」になるべき人であって、それ以上の人ではないと心の中でどこかで思っていたのだ。そういう関係になる人はもうどこにもいなくていい。そういう覚悟を持って、桃花はずっと日々を過ごしてきたのだ。
(そうだ。王子様が画面の外には出てこない。だから手の届かない王子様だからこそ、キラキラ輝いて見える事は解っている。それと同じこと。だから……)
「桃花……僕は……あなたを傷つけるつもりなんてありません。だからもしも不快なら教えてほしいです」
それなのに、アルは画面越しの王子様のように、こういうときに最適なセリフを答えてはくれなかった。むしろうろたえて人間らしい感情を出していくように見える。そんな彼に対して、桃花は罪悪感にかられてしまう。
(そんな姿を見せて欲しかったわけじゃないのに……そんな姿は癒される王子様じゃない、「作品」にならない)
なにか、失望にも似た苦いものが胸の中に広がっていく。
『お前の作品だあ? 気持ち悪い。そうやって理解できないことばっかりしてるから。お前はいつまでたっても俺の中で昇格していかねえんだよ』
その瞬間、どうしようもないものがフラッシュバックしてしまう。聞きたくもない声。派手なメイクに、王子様だと勘違いしそうなほどにきらびやかな衣装。
『お前なんていらねえんだよ』
そして何よりも、桃花を蔑むような視線。
「すみません。少しだけ私……すぐに戻ってきますから」
ひゅ、と気道を冷たい息が駆け抜ける音がした。自分でも方法から血の気が引いていくのがわかる。こんな姿ばれたくない。もう決別したはずなのに、どうしてこんな時に蘇ってくるのだろう。
「桃花!」
そのまま桃花は走り去った。
後ろで名前を読んでくれることには気がついていた。しかし、その呼びかけに応えたくもなかった。
誰にも触れられたくない。
もう誰かを、好きになんてなりたくないのに。
「ああ、行ってしもた。揺さぶりかける相手が違うはずなのに、そっちのトラウマを呼び起こしてしまったか?」
そのまま京志郎は走り去っていく彼女の背中を見送っていた。
彼にとっては、桃花が逃げ出してしまうのは予想外だったのだろう。アルの顔を見ながら、はあ、と溜息を落とした。
「……桃花……なんで、こんなことを?」
「あんたの仮面が気に食わんからや。いつまでもいつまでも本性を隠して、あの女の子に近づいて何がしたいんや?」
「……なんのことか、わかりませんね」
「こっちは色々と分ってるけどな。髪の毛を変えて瞳の色も変えてるし、それに多少メイクかなんかで変わってるみたいだけど、それでもやっぱり顔の輪郭は残ってる。俺が下積み時代に見てきたのと一緒の顔してるわ」
京志郎はメイクブラシで、アルの輪郭をなぞった。
アルは瞠目させて、自分の輪郭をなぞってくるブラシを見つめている。
「……あの頃の……だから、ですか?」
「そうや。だから気に食わへんねん。半端に放り出して、そのままどっか行きよったくせに、こんなところでその真似事なんてしよるやつが、一番俺は嫌いや」
「そう……ですね」
アルは京志郎にされるがままになっていたが、一歩退いて踵を返した。
「だから僕はケジメを付けたかったんですよ。このままで良いなんて思ってはいません。だからこそ、彼女には選んで欲しいです。」
「選ぶ?」
「ええ。僕だけでは決めることができなかった。だからこそ、誰かの存在が必要だったんですよ」
アルは完ぺきな笑顔を作って見せた。
それは周囲の人間を全員振り向かせてしまうほど完璧な笑顔をしていた。一瞬の隙もないほどに今まで作り上げてきた桃花が写真を撮っていたその顔よりもさらに美しい。
ぞっとするほどに、魅力的な、計算しつくされたような笑顔だった。
「……ほんまに、最悪やな」
それに対しておよそ似つかわしくないような褒め言葉を言った京志郎に、アルはうなずいた。
「そうですね。だから僕のことを知れば知る程、彼女は傷つくんですよ」
それだけ言い捨てて、アルは桃花を追いかけ始めた。
「ほんま、壊れんでほしいなあ、桃花ちゃん」
それ以上は京志郎は声をかけることなく、そのまま振り返って今の自分の「職場」へと戻っていった。