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第26話 気に入ってくれた

「さあ、一緒に食べましょうか?」


  その後のアルの調子は一切変わらなかった。

 店内もだいぶ静寂を取り戻して、先ほどの嵐のような状態が嘘のように静かな雰囲気だった。


「それで結局何を頼むか決めたんですか?」

「あ……いえ……さすがにさっきの騒動があったせいで、それどころじゃなくて」

「そうなんですね……ああ」

「え?」


 アルはメニュー表の端から顔を出すようにして、じっと桃花を観察した。


「先程の人はいい仕事をしたみたいですね。口はともかく、あの腕前は確かでしょう」

「え、えっと」

「ほら、桃花の魅力が増しています。目元メイクを変えたんですよね?」


(それ、気がつくの?!)


 桃花はまるで頭を殴られたかのような衝撃を受けた。


「は、はい。実はそうなんです」


 そうやって何とかうなずきながらも、彼がそんなことを言ってくれると思ってもみなかったことを隠そうする。


(完璧な王子様なのに、こっちがほんの少し化粧を変えただけでも気づくって、どんだけすごいんだろう)


 少なくとも桃花の身近な異性では、ほんの少しメイクを変えた程度で気が付くものは一人たりともいなかった。


「よく似合ってますよ、素敵だと思います」


(自分はステージ衣装で化粧しているにしても、こっちがアイメイクとかチークとかシェービングとか、そういうものを少し変えても何も気がつかなかったなあ)


 一番最近で身近にいた人でさえ、そんな調子である。綾乃などは同じようなファッション系で働いているから、すぐに気が付いてくれたとしても、男の人から見たらそんなものなのだと思っていた。


「すごいですね。それに気が付くなんて」


 だからそんなことにさえ気がついてくれなかったとしても、桃花は何も思わなかっただろう。だが、なんだかそう言われてやっぱり褒められるのが嬉しいのかと思い出してしまう。


「せっかく桃花が可愛くなろうと努力をしてくれたのに、それに気がつかないほうが悪いんじゃないですか。まあ、あの男の人……たしか、京志郎とかいいましたよね。彼がそういう風にしたのだと思うと少し微妙な気持ちにはなりますけど」

「あ、やっぱりその辺りの好感度は微妙に高くないんですね」

「好感度……ああ、まあさすがに、僕だって人間ですからね。嫌いな人間の一人や二人いますよ。でも、嫌いだからといって、その人の能力まで認めないというわけではないんです」


 だからその能力だけを認めようと思います、とちょっと困ったように言ったアルの顔がなんだか可笑しかった。


「だから、桃花がそのメイクを気に入っているなら嬉しいですね」


 アルはそこでやっと優しい笑顔に戻っていた。


(いつもの調子に戻ったみたい)


「私も、こういうメイクも試してみようかなって思いました。アルは化粧とかはしないんですか?」

「普段はしないですね。あ、でももし撮影で必要な時は言ってください。その道具一式ぐらい思っていますから」

「そう、なんですね」


(やっぱりそういうものをちゃんと持ってるってことは、それなりに何か撮影とか人に見せる職業をしてるってことなんだろうか?)


 ふとした言葉でアルのことがまた知れた気がした。

 もちろん、それだけ情報だけで断定することは難しいだろうが、少なくとも見た目に気を遣わない職業というわけでは無いようだ。


「今日は必要ないなら、早めに食事をしませんか? ふふ、さっきの騒ぎのせいか、少しお腹が空いてしまいました」

「それは私もですね。そう……だな、やっぱり限定メニューにしようかな?」


 桃花が夏限定のメニューだった。どうやら涼しげなガラスの大皿に、美しく盛り付けられた細いパスタであるらしい。メニュー表には、レモンとグレープフルーツのスライスで彩られている。ミントの葉が散りばめられ、鮮やかな緑が初夏の青空を思わせる。軽くオリーブオイルで和えられたパスタはなかなかおいしそうだった。


「おや、さっき迷っていたのに、ちゃんと決めたんですね。だったら僕もおそろいの物を食べたいです」

「いいんですか?」

「はい。何事にも挑戦が大事でしょう」


 アルは頷いて店員を呼んだ。すぐにやってきた店員に涼やかに限定パスタと、「それから」と付け加える。


「このハイビスカスとベリーのアイスティーを二杯お願いします」


 少し頬を赤らめながら頷いて、そのままご注文を取って去っていく店員を見送りながら思わず桃花は聞き返す。


「いいんですか?」

「はい。ちゃんと水分補給をしないと危ないですし、桃花も写真を撮れないとは言え、綺麗なものたくさん見た方がいいのではないかと思いまして」

「まあ、そうですけれど」

「それにこういうものはちゃんと全部合わせた方が美味しいですよ。それも計算してきっと店を出してくるのでしょうし」

「……それは」


 そういわれて、これから取り掛かるだろう写真集ことを思い出した。写真集だって同じだ。

 今回の遊園地のものを借りに載せるとしたら、朝から一緒に王子様と楽しんで、そして夕方まで一緒にいて、その後予感させるようなものがいい。その後どんなことが起こるか直接的には分からなかったとしても、きっと幸せな未来が待っていると思えるような、そんな希望が溢れたような写真集にしてみたい。


「写真も同じですよ。だから、遠慮せずに場所があったら言ってください。僕も乗りたいものがあったら、いくらでも言いますから」

「私、またきっと遠慮せずに行っちゃうと思うんですけど」

「まあ、僕も遠慮してないですから、一緒ですね」

「……ずいぶんとあっさりそう言うんですね」

「はい。桃花とならきっと楽しいと思いますから」


 いったいこの王子様は何を根拠にそんなこと思っているのだろうか。これ以上、歯の浮くような言葉を言って、どこまで桃花を喜ばせたいのだろうか。


(死人みたいなんて、きっと嘘に決まってるよね)


 さっきの京志郎の言葉が引っかかる。

 そんなの、まるで桃花といるときにアルが何も感じないと言っているようなものだ。そんなことはないはずなのに。


(きっと、あの人の言葉の方が間違ってるんだ)


 そう思いたかった。そうでないと困る気がした。

 そんなことばかり考えていたからだろうか。


「それでは食前のハイビスカスとベリーのアイスティーでございます」


 あっという間に彼女達の前には透き通る赤い液体が運ばれてきた。


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