「何をしているんですか、桃花?」
「あ、アル?」
アルが桃花を席の側から覗き込むようにして、その顔をのぞきこんできた。京志郎も派手な顔をしているものの、アルとはまったくもって系統が異なっている。京志郎がどこかダウナーな印象を与える背徳的な感じだとすれば、アルは完全に正統派王子様である。
(ち、近い!)
そんなアルの顔がすぐ近くにあってしまっては、自然と頬も赤らんでしまう。
「この方は誰ですか? 桃花の知り合いとか?」
アルが笑みを崩さずにあげそうに訪ねて来るそういえば、アルの前で誰かを紹介したことはない。
飯田編集長はアルの存在を知ってはいるものの、逆にアルは飯田編集長の存在を知らないし、よく相談をしている友人である綾乃のこともアルは知らない。
「え、えっと、今さっき出会ったばっかりで……その、メイクを見てもらった」
「中百舌鳥 京志郎、言います。よろしゅう」
いきなりやってきてアイライナーが悪いと指摘してきたあげくに、アルのことを少し相談してみたら、そんな面倒くさいやつを捨ててしまえと言われたとは言えない。
アルも職業年齢不詳で何を考えているかわからないが、京志郎もそれに匹敵するぐらい今までの会話で分かったことが何一つないのだ。かろうじてわかることといえば、きっと関西出身だろうということくらいである。
「はい。桃花と仲良くしてもらったのなら嬉しいです。僕とも仲良くしてもらえますか?」
そんなどう見ても不審者のような京志郎に対しても、アルはニコニコと笑顔を張り付けたままである。
(これ、このまま写真におさめたら、そのままいい『作品』になる気がする)
対照的なカラーリングで、しかも顔も整っている。だからこそ、この状態で上手く色彩をコントロールして写真を撮ればいい写真になるかもしれないなどと、桃花はふと考えてしまった。
「イヤや」
しかし、そんな一瞬の桃果の期待を裏切るほどの衝撃的な言葉を、京志郎はひどくあっさりと発した。
「え?」
さすがの桃花も驚きを隠せなかった。
先ほどまで人懐っこく話していた京志郎が、いきなり自分の予想外の言葉を発したのである。何を言われたのかわからず、思わずその顔を見つめる。
「聞こえへんかったんか? イヤや、言うてるんや」
そこにはもう笑顔はなかった。
赤いコンタクトレンズをしているのだろう。黒い縁取りの中の赤い瞳が、じっとアルを見つめている。
「それは、なぜですか?」
さすがのアルも面食らってしまったらしい。何を言われたのか分からないというように、少しだけ笑みを崩して困ったように眉根を下げた。
それにさらに京志郎は言葉を重ねる。
「イヤなもんはイヤや。そこのお姉さんはまあええけど、お前からはなんや死人の匂いが漂ってくる」
「……」
「いや、お前が死人か? その目も気に食わへん。お前、なんやろくでもないこと企んでるやろ」
「……」
とんでもないことを言われているのに、アルはひと言も返事をしなかった。表情の一つも変えずに、ただ言われるがままである。それがまた恐ろしかった。
「あ、あの、そんな、ことはないかと……!」
桃花は思わず庇った。
ここでアルの機嫌を損ねたりしたら、それこそ写真集にかなりの影響が出てしまう。
そんな打算的な考えも少しはあったのかもしれない。
しかし、それ以上にアルが、こうして自分の作品を作りたいという気持ちに応えてくれたことが、なんか単純にうれしかったのだ。
「確かに本名わからない人ではありますけど、でもそんなに悪い人じゃないと思います」
「……桃花」
「アルも黙ってないで、ちゃんと言い返してしてください。そんなの、アルはちゃんと生きているのに!」
思わず言葉を荒げてしまった。
はっと気がつけば、アルと京志郎の視線は、どちらも桃花を向いていた。
それどころか、店内にいるまばらなお客さんたちも、何があったのかとこちらの席をじっと見ている。
「あ……あの……!」
そこで恥ずかしくなって、言葉に詰まってしまった。
ここまで言うつもりはなかったはずなのに、ここまで言ってしまった。
そんな感情が気恥ずかしさになって桃花を襲ってきた。
「やっぱおもろいなあ」
そんな桃花に、京志郎は手をたたいて喜んでいた。
「あの」
「桃花ちゃんやったっけ? やっぱりそれくらいガツンと言える方がよっぽど楽しいわ。そうやないとおもろないからな」
「あの、待ってください、中百舌鳥さん」
席を立ちあがろうとする京志郎をなんとか桃花は静止しようとする。
彼が何をするかわからないからだ。このまま彼を自由にしてしまうと、それこそ取り返しがつかないことになる気がしてしょうがない。そんな桃花に、京志郎はヘラと笑った。先ほどアルに向けていた毒舌など微塵も感じさせないような人懐っこい笑顔で言った。
「京志郎でええよ。中百舌鳥言うたら、なんや駅名言われてみるみたいで、こそばゆいし」
「え、えっと、京志郎さん……ほんとにアルは」
「ええって、ええって。せっかくこうして傍にいてくれる女の子が言ってくれとるのに、何も言い返されへんような男の話なんて聞きたくないんや」
京志郎はそういいながら、胸元のおおよそ名刺入れと思えないほどゴテゴテとした狐面やミニチュアの唐傘がついた名刺入れから、一枚紙を取り出した。