「お姉さん、もしかして一人なん?」
「え?」
声をかけられた。
派手な髪色の男の人だった。根本が白で毛先が深い緑色になっている。
ピアスも両耳に複数開けていて、細い瞳に赤いアイシャドウをうっすらと施している。しかも袖の広めな長袖は彼の腕を完全に覆い隠し、袖口にかけてゆるやかに広がるデザインが、動くたびに揺れていた。腰から下は、足元まで続くロングジャケットの裾服装で、どこかシルエットがつかめない。
昨今では男性でもメイクをするのは珍しくないが、ここまで派手な人は珍しいのではないだろうか。
「あ、あの」
十メートル先からやってきても気がつくような男に話しかけられて、桃花は焦った。
(私はなにに絡まれているんだろう?!)
「いややなあ。そないに緊張せんといて。オレ、とって食うたりせえへんって」
「い、いえ、そういうわけじゃないんですけれど!」
本当はめちゃくちゃ怖かった。
こういう派手な男の人は撮影でも話をしたことがない。一番似ている男はいたが、もう少しわかりやすくオラついていた。
そういう感じでもなく、アルとは別の意味で何を考えているのかわからない、関西弁らしきものを話すこの男が、桃花には単純に恐怖だったのだ。
「あの、何かご用でしょうか?」
「うん、それやねんけどな。なあ、その目」
「目?」
すっと黒いマニキュアを施した指先で自分の眼を指さされて何が言いたいのか分からず、思わず聞き返す。
「ごっつい気になるんよなあ。それ、アイラインもしかしてわざとなん?」
「あ、アイライン?」
「そ。なんやよれてんで。それ、直してもええ?」
いきなりそんなことを言われながら、覗き込むようにされる。桃花はまるで蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった。
そうしたら、そんな風に身動きをしなくなったことを同意と捉えたらしい。男は勝手に先ほどまでアルが坐っていた席に座り込むと、そのまま何か道具を広げ始めた。
「直すって、そんなことできるんですか?」
「うん。道具は持って来とるし、アイラインくらいやったら、五分もかからへんよ?」
そういいながら男はレザーのバックから、綿棒とアイライナーを取り出した。
「ううん? お姉さん、なんややってる? 朝に化粧したとしても、右のほうだけごっつずれてるんよなあ?」
「さっきまで写真を撮ってたのでもしかしたらそのせいかもしれません」
さっきまで右目でファインダーをずっと覗き込んでいた。
効き目の方でファインダーをのぞきこむのが桃花のクセだった。だから、そのせいか右目の方がメイクが落ちやすいのだ。
「ふうん? それやったら、あんまりマスカラとかつけんほうがええかな? でも、アイライナーはちゃんとせなあかんよ?」
そういいつつ、綿棒になにか含ませ始める。刺激臭はしない、むしろいい匂いだった。
「はい、じゃあ目つむって?」
「あ、あの、それはなんですか?」
「これ? ただの化粧落としのオイルやで。ポイントだけ落とすんやったら、綿棒が一番やりやすいんよ」
そういってそっと綿棒を、桃花の閉じた目元に置いていく。絶妙な力加減でこすらず、ゆっくりと桃花のアイラインを落としてくれる。
(この人……もしかしてメイクがめちゃくちゃ慣れている?)
言っていることもやっていることも、桃花が普段ファッションフォトグラファーとして関わっているメイクさんたちのような感じがする。
「ほら、じゃあアイライン引いていくから絶対に動かんでな?」
そういってから、ゆっくりとアイライナーが桃花の目元を滑っていく。
何度も引き直すのではなく、ゆっくりと目じりにそって引かれるアイライナーに、桃花も呼吸するのも忘れて、そのままじっとしていた。
「よし、完了……って息はしてええんやけど?」
「は、はい……」
「ほら、もう目も開けてもろて大丈夫やし」
そういわれて、桃花がゆっくりと目を開けると、その目の前には鏡があった。
「え? こんな、に?」
そこで自分の目元に感嘆する。
目尻にかけて引いたラインは、まるで計算されたかのように絶妙な角度で上に伸びている。ほんの少し跳ね上げたキャットラインが、桃花の目尻に力を与えていた。余分な修正も必要なく、左右のバランスも完璧だった。まるで瞼に舞う羽のように、軽やかで繊細なラインが、彼女の表情を一段と華やかに引き立てている。
「お姉さん、可愛い顔してるんやけど、セクシーさが足りへんやろ? でも、これだけで付け加えられるねん」
男は桃花の驚いた顔が嬉しいのか、ちょっと得意げだった。
「セクシーさ、ですか?」
「そ。オレ、可愛いだけの女の子なんてつまらへんからイヤやねん。やから、こういう感じのセクシーさ心がけてんねん」
(なんか独特の美学とか、そういうものがある人みたい)
メイクアップアーティストは芸術家だっていう人もいる。
ただきれいなメイクをするだけだったら、それはただの素人と変わらない。そうではなく、その人に一番似合うメイクをその人に一番似合う形で一番綺麗にするのが正解なのだとか。
そういうところはファッションフォトグラファーにもそういう所があるなと思って、その時は感心して聞いていたが、それをこちらでもまた同じことを言われるとは思っていなかった。