恥ずかしさのあまり俯いていると、アルが遊園地のパンフレットを開いた。
「だったら、これにでも乗りましょうか?」
「これって……ジェットコースター、ですか?」
「小型のコースターです。写真撮影は難しそうですけれど、僕を楽しませられますよ」
「ということはつまりは……乗りたいんですよね?」
「はい。撮影もいいですが、その合間に時々乗りませんか?」
そのほうが桃花の気晴らしにもなるでしょう? とアルはうなずいてくれる。
「少し肩の力を抜いて、リラックスしましょう。せっかく一緒に来ているんですから」
「……わかりました」
(やっぱり気を遣わせちゃったかな……)
そんなふうに思いながらも、アルにそういわれてようやく遊園地に来た気がした。
(なんだか、こういうの久しぶりかも)
子供のころはこういう場所でよく遊んでいた記憶がある。その頃はまだ家族で遊びに来ていたのだ。その時もこうやってわくわくしていた気がする。
それが、遊園地があんまり楽しくなかった、と思うようになったのはいつの頃だったからか。
「こんなガキ臭いとこ行くかよ」
「はあ、なあ今度のライブでこのあたり行くからさ、その時でいいなら付き合ってやる」
「でも、全部費用そっちもちな。当たり前だろ? お前のこれは『わがまま』なんだから」
嫌な声がまた蘇る。勝手に思い出に土足で入り込んでくる、かつて好きだった男の声だ。
(あいつは今頃どうしているんだろう)
思い出したくもないのに、どうしてか考えてしまう自分が嫌になる。しかしどうしても忘れられないのだ。それくらい桃花の中で強烈な印象を残した男だったのだから。
(いけない……今はアルに集中しなきゃ)
今一緒にいるのはアルなのだ。彼のことだけを考えなければ失礼に当たるだろう。そう思って顔を上げると、こちらを見ていたアルと目が合った。
「っ!?」
思わず視線をそらしてしまった。
(どうしよう、変に思われたよね?)
きっとそうだ。そうに違いない。そう思うほどに心臓の音が早くなっていくのがわかる。その音を聞きながら、桃花は膝の上に置いていた手をぎゅっと握りしめた。
「あの、もしかして、ジェットコースターは苦手、でしたか?」
「い、いえ……そういうわけでは……むしろ多分強い方かと」
そういえば、ジェットコースターはあの男は苦手だった。三半規管が弱いとか、適当なことを言っていたが、一度だけ付き合ってもらったときも、顔を真っ青にして、降りてからは顔を真っ赤にして桃花に怒り続けていた。
そんなつまらない記憶を脳内の隅に押しやって、桃花はまた頑張って笑顔を作る。
「なんなら、こっちでも挑戦してみますか?」
きっと桃花も焦っていた。だから、アルにありもしないことを言ってしまった。その自覚は桃花だってあった。それでも言わずにはいられなかったのだ。
アルは大きくうなずいて笑ってくれた。
「いいですね、だったらそこにしましょうか!」
その数秒後に、何かとんでもないことになった気がしたのは、きっと気のせいではない。
そのジェットコースターは遊園地の中でも最も目玉のアトラクションとして、大人気の場所だった。大型観覧車と並んで、一番人気といっても過言ではないだろう。
もちろん普通の乗り物に比べれば待ち時間はあるものの、絶叫系の乗り物が好きな人たちからすれば一度は乗ってみたい憧れの場所でもあるようだ。実際に乗るとなるとそれなりの覚悟は必要だが、乗る前の待ち時間ですら楽しいと思える人が多いらしい。
「ほう、これはなかなか……」
「すごい眺めですね」
二人で平日でも数十待ちの列に並びながらつぶやく。最初は余裕があったのだが、時間がたつにつれてどんどん増えていく人の数に圧倒されてしまった。さすが人気ナンバーワンである。
「大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
アルの問いかけに答えるものの、すでにこの時点でドキドキしていた。それを感じ取ったのかはわからないが、彼はにこりと微笑んだ後、小さな声で囁いた。
「それはよかった。こういうのは好きな人と楽しめるのが一番ですからね」
「そうですよね。苦手な人だと、きっと楽しめませんし」
そういいながら列が階段を上り、乗り場へと向かっていく。それに続いていくと、機械の嚙み合う音も聞こえてくる。それに悲鳴も近くなっている気がして、心臓がさらに高鳴るのがわかった。
(落ち着け私……!)
そう思いながら深呼吸をしていると、不意に手を差し出された。びっくりして隣を見ると、少しだけ照れくさそうな表情を浮かべたアルがいた。
「少し雰囲気を出すために、手でも握ってみませんか?」
そして差し出された手に戸惑っている間に、手を握られてしまう。
(すごいな……こんなに自然に手を繋いでくれるなんて……ゲームのシチュエーションでもあったけど、こんなの嘘だと思っていたのに)
アルの手のひらは決して女性の手ではなかったが、冷たくて心地が良いものだったのは確かだった。男の人の手というのはもっとごつごつしていて硬いものだとばかり思っていたのだけれど、彼の手は細くて、綺麗なのに決して女性のようではないのだから不思議だった。
(ハンドモデルだけでもやっていけそうな気がするんだけど)
職業柄、その手を見つめているうちにいつの間にか緊張よりも興味のほうが勝っていたようで、気がつけばあっという間に順番が来てしまうところだった。
係員の指示に従って席に乗り込んで、安全バーを下した。さすがにその時は手を離していたが、また安全バーをおろしたら手を握られた。桃花が隣に座るアルに視線を向けると、アルは飛ばされてしまうと注意されたサングラスを外しながら言った。
「こういう雰囲気は一番楽しいですよね」
「え、ええ……そうですねっ!」
そういい終わる時には、コースターはカクンと揺れ、ゆっくりと上昇を始めた。レールに沿って音を立てながら上がっていくと、下に広がる遊園地や遠くに見える街並みがだんだん小さくなっていく。彼女の心臓は、すでに少し速く鼓動していた。