そうして始まった写真撮影だったが、これが意外と楽しいものだった。
最初は桃花も緊張していたのだが、いざカメラを向けてみると、ポーズをとってくれたり、こちらを向いてくれるのである。
アルはモデルのような体型をしている上に、顔が整っているため、どんな格好をしても様になっていた。しかもカメラマンとして桃花が指示を出しても、その通りに動いてくれるのだ。
「じゃあ、次は遊園地のゲートをバックに振り返る感じでお願いします」
「かしこまりました」
にこりと微笑んだ彼は、少し離れてからくるりとこちらに振り向いていく。その時に少しだけ髪をかき上げて、流し目でこちらを見てきた。その仕草一つとっても、まるで映画のワンシーンのようだ。
(うーん……さすがだなぁ)
思わず感心してしまうほどである。
そんなアルの姿を見ていると、なんだか彼がうちの出版社の専属モデルになってくれたらいいのにと思ってしまったほどだ。
(まあ、そんなことはありえないんだけど……)
あの頑な感じからしても、そもそも契約段階ですでに断られているに違いない。そう思いながらシャッターを押していると、今度は逆にアルの方が声をかけてきた。
「そういえば、顔の見えない写真も撮ってもらっていいですか?」
「え、ここでも、ですか?」
「はい。ぜひ、お願いします」
顔の見えない写真は写真集はおろか、モデルとの交渉材料にもきっと使えないだろう。
しかし、アルはそれを気にしていない。
「そうですね。やはり逆光で照らした方がいいでしょうか? それだったら、太陽の向きと同じ方向がいいんですよね」
それとも……といって、顎に手を当てているアルを見ながら、桃花は考えた。彼の言っている意味がよくわからないからだ。いったいどういうことだろうかと思っていると、それを読み取ったのか、説明をしてくれた。
「たとえばですが、僕は今、顔を隠すためにサングラスをかけていますよね?」
そういって自分の顔を指さした。たしかにそうだ。太陽の光を遮るようにかけているせいで、目元が影になっている。そのため余計に整った顔立ちが強調されていた。鼻筋だけでイケメンだとわかるくらいの綺麗さなのだ。
「それが、さらに光で顔がわかりにくくなりますか?」
「それもできなくはないですけれど……」
確かに輪郭は今より鮮明に映せるかもしれない。ただそうなると、せっかく綺麗な絵になる顔がもったいない気がするのだ。
「できたらそれでお願いします」
「わ、わかりました」
そういいながら桃花は軽くレンズを一瞬、軽く覗き込み、それから確認をして、そしてまたすぐにカメラを下ろした。
「では撮ります」
「……ええ」
そういったアルの表情は先ほどまでとは違って、少しだけ固かった。
(あ……れ……?)
その表情に違和感を覚えた時にはもう遅かった。カシャリという音が響くと同時に、アルの表情が変わった気がしたからである。それは気のせいだったかもしれないが、その瞬間を見た桃花にとっては不思議なことに変わりはない。
「ありがとうございました」
その時の表情のまま、アルは微笑んでいた。先ほどよりも硬い笑みだと感じたのは気のせいだろうか? いや、違うだろう。
その証拠に、ちらりと桃花が持っているカメラの方を見ているのだから。
(もしかして、さっき撮った写真を気にしているのかな?)
でもなぜなのか、と声をかけようとして、アルが尋ねてきた。
「桃花、もしかして写真撮影で逆光は良くなかったですか?」
「え、どうして、ですか?」
「何か、先ほどよりも確認していたので」
「あ、ああ……一応念のためなんですけれどね。逆光だと太陽光をもろに受けるから、できるだけ写真を撮る時間を短くしなさいって言われていたんです」
「それって、紫外線ですか?」
「先輩からの受け売りなんですよ。迷信というか……先輩の先輩が、ってだけなんですけれど、太陽光で目を傷めちゃって、カメラマン続けられなくなって。今は引退されてますけどね」
ああいったものを信じるかどうかは人によるとは思うのだが、どうしても気になってしまったのだ。
もちろんこの程度ですぐに目を傷めてしまう可能性は少ない。桃花も念のために紫外線を通しにくいコンタクトレンズをつけているし、プロとして太陽を覗き込まないような対策だってしてある。だからアルに心配されることではない。
「……そういうことだったんですね」
その声はどことなく沈んでいた。なんだか申し訳ない気持ちになってしまうほどである。だが次の瞬間にはいつも通りの声に戻っていたので、見間違いだったのかもしれないと思ったほどだった。
「僕も対策をした方がよかったですね。すみません、気がつかなくて」
「……あの、別に私は気にしていませんから大丈夫ですよ?」
むしろ逆光で写真を撮ったことで、変な顔をされなかったかどうかの方が心配だったのだが、どうやら勘違いだったらしい。
しかしそれでも気にする様子のないアルを見て、それならばいいだろうと思い直した。あまり深く突っ込むことではないのかもしれないと思ったのだ。
(それにしても……)
これだけ美形なのだから、あえて顔を隠さなくてもいいと思っているのに、どうしてここまで顔を隠すことにこだわるのか。
そのほうが桃花にはわからないのだ。しかし、いくら考えても答えが出るわけでもない。だから桃花は考えるのをやめて、撮影に集中することにしたのだった。
その後の撮影も順調に進んでいた。
もう何枚かは撮っているが、どれも満足できるものだといえる出来栄えである。特に観覧車の前で撮影した写真はお気に入りだった。入口に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは巨大な観覧車。
観覧車のゴンドラはクリアガラスでできていて、日中は太陽の光を反射し、遠くからもその存在感を放っている。そんな観覧車を前にして、デートの最中の彼氏のふとした時の、そんな笑みを撮っているかのような写真である。
(これだったら大丈夫だと思うんだけどなぁ)
そんな綺麗なゾクゾクするような顔だった。
「桃花?」
それを「作品」にしたくて、さらに写真を撮ろうとした時だった。
「え?」
声をかけられた。ファインダー越しのアルが近くにいた。
思わずカメラから顔を離した。
「あの、どうかしましたか?」
もしかして、写真を撮り過ぎてしまっていたかもしれない。慌てて時計を見ると、すでに一時間以上時間が経過してしまっていた。それぐらい思わず夢中で遊園地のゲート前写真を撮り続けていたらしい。
ちゃんと許可証をつけているし、今回は時間制限もない。だから特に問題はないはずなのだが。
「汗、かいていますよ? 大丈夫ですか?」
「え?」
そこで改めて桃花は自分がどういう状態になっているのかに気がついた。
どうやら写真を撮ることに一生懸命になり過ぎてしまっていたらしい。額には汗がにじんでいて、そういえばなんだか体が熱い気もする。しかも、アルの顔もどこか疲れている気がして、慌てて桃花が立ち上がろうとすると足元がくら、と揺れた。