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第14話 デートの契約

 遊園地に行く日、ちゃんと桃花も十五分前に到着していた。

 緊張はしているし、何があるかわからない。

 何度もホームページも確認したし、地図も頭に入れた。そうしないと、写真を撮るためのポイントがわからないし、撮影禁止の場所もあるからだ。

 そのうえ、忘れ物も三回確認した。

 ヘアセットもしてゆるいウェーブのかかった髪型にする。これで、綾乃と相談したコーディネートに似合うようになった。完璧な王子様であるアルの隣にたっても少しは見劣りはしないはずだ。

 そこまでするので、電車は乗るつもりだった一本後になってしまったが、それでもちゃんと十五分前には待ち合わせ中に着くことができていた。

 完璧にした、つもりだった。


「おはようございます、桃花」


 それなのに、アルは普通の顔をしてそこに立っているのである。

 しかもコーディネートも最高だった。

 上半身には淡いブルーのリネンシャツを羽織り、その軽やかな素材感が初夏の空気に馴染んでいる。シャツの襟元は少し開けていて、袖を軽くまくっている。それに濃いネイビーのチノパンツで、彼の信じられない長さと細さを強調している。しかもスエード素材のローファーも傷一つなく隙がない。近寄りがたい大き目のサングラスさえなければ、もしかしたら人だかりでもできていたかもしれない。

 そんな完璧なファッションで、一体いつから待っていたのだろうか?

 聞くのが恐ろしい。


「えっと……おはようございます。あの……もしかして、待ってました……よね?」


 緊張しすぎて失敗しないように何度も何度も確認をしたせいで、ここまで遅くなりましたと言えなかった。そもそも桃花は遅刻をしたわけではないのだ。むしろ、アルが早い。


「ええ。でも少しだけですよ。僕もほぼ今来たところですから」


 アルはそういいながら、小首をかしげてやさしく微笑んでくる。それだけで、周囲の空気が柔らかいものに変わった気がする。それくらい綺麗な笑みだった。


(この人、こういうところまで完璧なんだ)


「あと、これもどうぞ。もしもう持っているならば、僕が飲むので遠慮しなくていいですよ」


 その上、アルはにこやかに桃花にペットボトルのお茶を差し出した。

 どうやら待っている間に、近くの自動販売機で買ってくれていたらしい。


「え……ええ……?! あの、お金、出します」

「そんなに遠慮しなくていいですよ。今日は桃花が写真をたくさん撮る日なんですし、無理をして熱中症にならないために、必要でしょう?」


 にこにこと笑っているアルは、サングラスのせいで表情がわかりにくかったが、それでも優しい顔をしていた。

 そんなに桃花に優しくしたところで、彼に何のメリットがあるのかと疑いたくなるほどである。


「え、えっと、ありがとう、ございます……っ、あの……せめて、昼ご飯は奢らせてください!」

「そんなに気を使わないでいいですよ。僕がしたくてしただけですから」


 受け取ったペットボトルは、少し温くなっていた。

 それがアルがここでどれくらい待っていたかを表しているようで、そういう意味でもドキドキしてしまった。


「いえ、そういうわけには。ちゃんと契約書も用意してきましたから」


  そこで桃花は残った思考力の中で、必ずしなければいけないことだけは覚えていた。

 写真を撮る事もそうではあるが、それと同時に同じぐらい大切なことは、契約を結んで写真を撮ることだ。そうしないと、この写真は表に出すことはできない。


「……そう、ですね。でしたら、こちらを確認させてもらっても?」

「はい」


 アルはそこではじめて、少しだけ笑顔を崩した。

 とはいっても、豹変する、というよりは、目を凝らして見ると、少しだけ目が笑っていないとか、そういう感じの変化である。


「ふうん?」

 そしてじっと契約書を見ている。

 それもなんだか、絵になっていて、目元のサングラスをとってしまえば、そのまま写真に撮ってもいいくらいだった。


(やっぱりイケメンですごいなぁ)


 ゲームの中の女の子たちもこうして一緒に居るだけでドキドキしてしまうと言っていたが、その気持ちがよく分かるような気がした。

 ただ隣に存在しているという、それだけでさえ、ものすごい存在感なのである。


「はい。大丈夫です。ここにサインをしたら?」

「は、はい」


  サインをしたら、本名が分かるのではないだろうか。

 もちろん、アルが自分のことを詳しく知ってほしいと望んでいるわけではないのだから、無理に本名を知ろうと思わない。しかし、こうやって不可抗力の時ぐらいは少し興味を持つぐらい許されるのではないだろうか。

 そう思って、淡い期待をもった。

 だが。


「では、これで」

「……えっと……?」


 そこにあるサインは「AL」だった。

 つまりは、桃花に伝えた「アル」という名前だけである。住所の部分は何も書かれていない。ついでに電話番号も、桃花が教えてもらった電話番号だけである。


「あの……本名とかそういうものでしてもらわないと困るんですけれど」

「それで基本的に通しているので。もしも問題になっても、それらはすべて桃花を信じていますから」


 それ以上の情報を与えるつもりはない。

 そうはっきりとわかるような、そんな笑顔でにこにこと頷いてくる。


(この人もしかしてどこかの国で何か厄介なことでもしてしまった人とか、そういう感じじゃないよね)


 一瞬、そんな考えさえよぎってしまう。

 前に普通の王子様が出てくるだけの乙女ゲームに飽きて、ワケありの王子様しか出てこない乙女ゲームをプレイしたことがある。

 その時のことがありありと思い出されてしまって、これは本当に大丈夫なのか、と不安になった。


「それに万が一の時は、僕が桃花の上司に直接相談をします。僕の責任で、それはすべて請負ましょう。これをボイスレコーダーに録音しておけば、桃花は契約書が『コレ』でも大丈夫ではないですか?」

「そ、そう、ですかね?」


 桃花だってプロではない。

 今回の契約書も雛形は会社のテンプレートを使用し、さらに専門の部署に見てもらってから、アルの前に出している。

 だから、この契約で桃花とアルの間には、今日、この遊園地で撮影するという契約が見たこと以外のことを詳しくわかるわけではない。


(ただ、ここで遊園地の撮影をやめるわけにはいかないし)


 ここで撮影をやめてしまった場合、そのまま桃花はどん詰まりである。

 アル以外に自分が納得できて、推定わがままな写真集のモデルを、納得させるだけの写真が撮れるようなツテが桃花にはないのだ。


「わかりました。だったら、もう一度今のことを言ってもらってもいいですか?」


 スマホの録音機能取り出して、桃花はうなずいた。もしもこれに法的な根拠がなかったとしても、なにもしないよりは幾分かマシなはずである。

 アルは頷いて、明瞭な声で同じ言葉を繰り返す。


「これで……契約は完了です。今日はよろしくお願いします」


 桃花は頭を下げる。それにアルも頷いた。


「はい。僕の方こそよろしくお願いします」

 そこでようやく桃花はアルを撮影することができるようになった。それだけで、わくわくしてしまっていた。

 それが顔に出てしまっていたのだろうか。

 アルも少し笑って、「今日は楽しみましょうね」と言ってくれたのだった。


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