「何がいいですか? ちゃんと奢りますよ」
わざわざ店内に戻ってきたアルはにこやかに桃花に問いかけてきた。
これがもしも気になる男性だったのなら、きっと嬉しくもあっただろう。
だが、アルのことは「気になる」というよりは、「協力してもらえるかどうか」の方が大事だった。
「……いや、これくらいは自分で出すので……なんなら、あの、アルの分も奢りますから」
メニュー表を見ながら桃花も謙遜した。別に高すぎるわけではないのだが、ここで借りを作るのはよくない。というか、今から頼み事をするのは桃花の方なのだ。
「仕事終わりにコーヒーって眠りの妨げにもなりますから。できればカフェインはどうかと思うんですけど、そういうのって人それぞれですしね。桃花は何はなにがいいかな?」
「……え、いや、えっと……」
「決まってないなら、僕のおススメを飲んでほしいな。ほら、この期間限定の白桃のスムージーとか」
それなのにアルはなかなか手ごわかった。
ニコニコ笑いながら、それでも自分の意見を曲げない。それどころか、自分が飲んでおいしかったスムージーまでおすすめしてくる。
優しい、本当に彼女である桃花に、自分が大好きなものを食べてもらって、幸せになってもらいたいと思っているかのような、そんな優しい笑みである。
そうなると、桃花も断りにくい。
「おススメとか、そういうのじゃなくって……あの、私……今からお願いする立場なので、どっちかっていうと、できればここでおごらせてほしいというか、借りは作りたくないというか……!」
そのまま流されてしまえば、完全にアルのペースだ。
そう思った瞬間に、桃花は反論していた。
「あ……」
ざあっと顔色が引いた。
普通、こんなことを素直に言ったりはしないだろう。というか、思っていることをここまで全部言うつもりではなかったのに。どうしてか、その「王子様」の顔面が桃花を狂わせてくるのである。
「ふ、はは……面白いね、やっぱり桃花は」
それに、アルは上機嫌だった。
「……えっと」
「いいよ。僕も余計な駆け引きは嫌いだから。昔からそういうことをして、ロクな目にあったことがないんだよ」
「え、アルみたいにカッコイイ人でも、ですか……?」
素直ついでに余計なひと言がもう一つ桃果の口から飛び出した。
それにアルはちょっと目を細めて、「うん」と頷く。
「僕みたいにカッコイイ人ならなおさら、かな」
(この人、何があったんだろう?)
なんだか、イヤな言葉だった。
その理由が桃花にもよくわからない。だが、なんだかとても嫌なことを言われた気がした。桃花を傷つけるために言った言葉ではない事はわかっている。どちらかといえば、なにかに諦めたような、そんなどこか投げやりな言葉のような響きをしていて。
(かっこいいなら、なんでもし放題じゃないの……?)
思わずそんな言葉が脳裏に浮かんで、思わずそれを言葉にしそうになったが、なんとかこらえた。
「なんてね。じゃあ、スムージーを二つ。電子決済で払わせてください」
そこでどういう意味ですか、とさえ、言う隙を与えてくれなかった。
「あ、ちょっと!」
「こういうときは隙を見せちゃいけないんですよ。ほら、行きましょうか」
アルは慣れたようにスマホを出して、さっさと会計を済ませてしまう。そして、そのままスムージーを二つ受け取ると、奥まった席に桃花といっしょに座った。
平日の夕方だからかそれなりに人はいたが、 それでも奥まった席はあいていて、そこにアルは腰かけた。
「どうぞ」
「……どうも」
スムージーを渡されて、桃花は素直にそれを受け取ることしかできなかった。正直、こんな展開になるとは思っていなかったのだ。
「……」
しかし、今更になって気がついたことがある。
それは、先ほど感じた嫌な予感だ。この青年には何かがある。それが何なのかはわからない。だが、今まで出会ったことのないタイプの人間だということはわかる。
そんな予感めいたものがして、桃花の心にじわりと不安が広がった。
「どうかしました?」
「い、いえ……」
心配そうに尋ねられて、桃花は首を振るしかなかった。
「そうですか? まあ、いいんですけれど、それで写真はあるんですか?」
「ええと、まあ……はい」
歯切れ悪く桃花はうなずいた。
(どうしよう。写真はあるし、顔の映っていないのもあるけど……でも、なんていうか、あれは)
彩度をこっそりあげてみたら、なんか思っていたのと違いました。なんて言えるはずもない。
そもそも、そんなことをしたらアルの機嫌を悪くする可能性があるではないか。それに、今だってアルに見透かされている気がする。
きっと、この人は自分がどんな人間なのか気づいているのではないか、そう思えてきた。
(だけど、なんでだろう。この人にウソをつくのはいやだな)
そんなことを思いながら、ゆっくりとスムージーをストローで吸い込んだ。
「え、美味しい!」
思わず息を飲む。
発した言葉に、アルも苦笑した。
「それはよかったです。桃花の口に合わなかったらどうしようかと」
「そんな事ないですよ! こんなにおいしいの初めて飲みました!」
その言葉に偽りはなかった。本当に、こんなにおいしいものは飲んだことがなかったからだ。
いや、それ以前に桃花が普段飲んでいたジュース類とは比べ物にならないくらいに美味しかった。口当たりも良く、甘さの中にフルーツの香りがふわりと漂ってくる。砂糖などはあまり入っていないようで、後味もすっきりしている。まるで果実をそのまま食べているような、そんな気さえしてくるほどだ。
「ふふ、気に入ってもらえて良かったです」
アルはそう言って、自分も一口スムージーを飲んだ。
その仕草すら絵になるのだから、イケメンというのは得である。
そんな感じで少し幸せな気分になった気がしたのだ。
「さて、それじゃあ本題にはいりましょうか。とりあえず写真を見せてください」
そして、そんな感情もまた、一瞬で凍り付かせてくるのだから、イケメンというのは恐ろしいものである。
「え、えっと……やっぱりいりますか?」
「いりますね。そのためにここまで来ましたし」
「ですよね……」
そこは笑顔でごまかしてはくれなかった。優しいのに、ほしいものには貪欲というかしっかりしている。
ここまで来るともう逃げられない。スムージーも奢ってもらって、こんな逃げ場のない場所にまで連れ込まれて。
「どうぞ……こちらです」
桃花はあきらめて、写真をアルに差し出した。