「やっぱり、電話がかかってきましたよ」
客間で暗い金色の髪が揺れる。電話口の彼女の登録した番号を見つめて、桃花にアル、と名乗った男はにこやかに笑った。
「随分と気に入られたようだね、よかったよ。君たちはやっぱり気が合うと思ったんだ」
飯田編集長は目の前の男に向かって拍手をしそうなほどに嬉しそうに頷いた。
「本当ならあんなふうに写真を撮っていたら、いつもすぐに消してもらうんですけどね。まあ、あの時は顔を見せていう目的もあったから、あえて顔を隠していなかったんですけど」
言いながら、アルは紅茶を口に含んだ。そしてすぐに口から離した。イヤそうに顔を歪めて、飯田編集長に言った。
「酷い味だな。また僕の言っていたことをわすれていただろ?」
「おや。紅茶に砂糖は入れなかったんじゃなかったかな?」
「逆ですよ。それはコーヒー紅茶は飛び切り甘くないと僕は飲めないのだから」
「それは悪かったね」
特に悪びれずに、飯田編集長は笑っていた。それにアルは砂糖瓶から角砂糖をコーヒーの中に落とす。
「本当だよ。わがままなモデルであれば、この時点でもう話は終わりです。お断りしてました」
紅茶はとびきり甘く、コーヒーはとてつもなく苦く。それをちゃんと覚えていなかった飯田編集長は、紅茶をそのままストレートで出してきたらしい。
「そうかそうか。でも、君はまだここにいる。ということは、そんな無茶な条件を出して、うちの可愛い望月君を困らせるような、そういう真似はしないと思っていたんだけどね」
「それとこれとは話が別です」
飯田編集長の切り替えしに対して、アルは真っ向から反論した。
「でも気に入っていたんだろう? 私のようにこんな単純なミスを彼女はしない」
「ええ。普通ならばモデルが顔を映すなと言っても映すのがカメラマンでしょう? ですが、彼女はそんなことしなかった僕の気持ちに寄り添ってくれた。だからいい写真が撮れるんじゃないかって期待していますよ」
アルはそういって紅茶のティーカップをくるりとまわした。それから机上の砂糖瓶を見つけると自ら三つほど取り出して、それをそのまま紅茶に混ぜた。かなりの量なせいで少し底に溶け切らない塊が残ってしまう。それも一緒にくるくると回すと、そのまま紅茶を一口飲みほして「うん」と機嫌が良さそうにうなずいた。
「おや、それなら最初から話をちゃんと受けてくれてもいいんじゃないかな? あんなまわりくどい真似をしなくても、きっと望月くんはいい写真を撮ってくれる。それは君にも証明済みだろ?」
飯田編集長も紅茶を一口飲んでみる。やはりストレートも悪くはない。
せっかく大事なお客さんが来てくれるのだからと、イギリスのお気に入りのブランドの紅茶を買ってきたのだ。
これはそのまま味わってほしかったが、多分そういってもアルは聞いてくれないことは飯田編集長もわかっていた。
「確かに。彼女は女性しか撮っていませんでしたが、細かいところはよく気がついていました」
アルは桃花の撮った写真の載った雑誌を開く。
「モデルとして撮ってもらったときも、悪くなかったですよ。無理なポーズをとらせることなく、一枚一枚を大事にしてくれる。そしてこちらの要望を引き受けてくれる。そんなカメラマンはなかなかいませんから」
「それはよかった」
「その後にお礼と称して一緒にコンセプトカフェに来ました。やはり日本カフェはいいですね。あそこまでアリスを魔改造していると思いませんでした」
「……そこまで彼女は付き合ってくれたのかい?」
あの涼しい表情とは違って、そこで初めて飯田編集長は驚いたようだった。そんなことを初めて知ったとばかりに目を見開いて真剣な顔でアルを見つめてきた。
「ええ。けっこうオタクなんじゃないですかね? ほら、スマホのストラップとかもそうですし」
アルが冗談めかして笑うと、飯田編集長はますます眉間のしわを濃くして真剣に考えだした。
「ふむ。やっぱり最近の子は『推し活』なんかも好きなんだね。うん。うちにもそういう特集を組んでくれないかっていう要望が来てて、今回はその一環なんだけどね。やっぱりそういうことに関しては若い子に任せたほうがいいかな。それとも私もちゃんと聞いた方が良いと思う?」
「……多分、放っておくのが一番ですよ。特に今は何も言い出していないのならば余計にね」
アルは先ほど張り付けたような笑みをやめて、なんだか妙に真剣に言い始めた。これは本当に重要な事柄であるようだ。
「そういうものなのかい?」
「ええ。うちの田舎のグランマなんかは、僕が妙なものを信仰し始めた、と言って聞きませんから。たぶん、このままだとしばらく会えないなって思っています」
「そこまでなのか。きっと彼女もよほどの覚悟があって、そんなことをしているんだろうね」
「……そうでしょうね」
アルはそれにどこまで本心がわからないような笑みを浮かべて、また頷いて紅茶を一口飲みほした。そして、耳の裏に触れる。
大抵、こういうときは大抵彼が嘘をついている証拠なのであるが、それに対して飯田編集長は何も言わなかった。