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第7話 王子様への依頼

「はあ……どうしよ……」


 桃花は頭を抱えていた。

 初夏の昼下がり、オフィス街の一角に位置する美しい公園。青空が広がり、温かい陽射しが心地よく照りつける中、緑の芝生と色とりどりの花々が一面に広がっていた。


「絶対ヤバいよね……いや、元からあれだったけどさ……」


 昼休みにご飯を食べにくる人々も多い。

 ベンチの一つに腰掛けた桃花は、その喧騒から少し離れた静かな場所にいた。桃花は、もう片方の手でお弁当の蓋を開ける。弁当箱には、色鮮やかな野菜とふっくらと炊かれた白米が並んでおり、見ただけで食欲をそそる光景のはずなのに、今はそんな気持ちにもなれない。


「せめて、食べないと……はあ、午後からも撮影あるのに……」


 桃花は箸を手に取り、食べてみる。無理やりにお茶で流し込もうとして、ふと彼女の視線は自然と周囲の花々へと向かった。初夏の陽気に誘われてか、花たちはその鮮やかな色彩を存分に見せつけていた。


「こんなに綺麗に咲いているなんて。まだ時間あるし、少し写真に収めてみようかな…」


桃花はそうつぶやき、カメラのレンズを取り出してセットし始めた。そもそも桃花は人物ではなく、化粧品などの小物の撮影が多かったのだ。レンズの先には花々の一つ一つが鮮明に映し出される。花びらに残る朝露の輝きや、葉の緑とのコントラストが見事だった。


「やっぱり……夏は日差しがキツイけど……これくらいなら、まだなんとか……」


 ベンチから立ち上がり、彼女は慎重に花々の間を歩き始めた。目の前に広がる色とりどりの花たちが、まるで舞台の主役のように彼女を誘う。桃花は何度もシャッターを切り、花の美しさをそのままフィルムに焼き付けていく。その瞬間だけは、日常から離れた世界が作り出されたような気がしたのだった。

 要するに現実逃避である。


「こういう感じの写真納得してくれたらいいんだけど……ダメだろうな……」


 花がなんかきれいに撮れますと言って、それが人間が撮れるかどうかというのはまた別問題であることはよくわかっている。

 もちろんどんな写真であれ、完成度が高いことはいいことではあるが、人間と花では全く違うところがある。それは人間は言葉や態度でコミュニケーションが明確にできる、ということだ。

 実際モデルもカメラマンの言葉一つで、その機嫌が変わってしまうことだってある。


「ていうか、自分を満足させろ、って俺様系だよなあ。そんな人、絶対モデルとして写真を撮ることになっても、わがままものすごく言われそう」


 飯田編集長の知り合いということからしても、それほど人が悪いというわけではないとは思いたい。

 編集長になっているぐらいだから、かなり人脈を築いていることは間違いないだろうが、そのわりには悪い噂は聞かない。愛妻家のいい人、というのが、少なくとも会社の評価だった。ただ、そんな人であっても、その知り合いのすべての人がいい人だとは限らない。


「……一度、電話してみるしかないか」


 わざわざ昼にしなくても、仕事の電話だから仕事中に電話をしてもいいのだが、相手が何の仕事をしているかわからない。もしかしたら昼休みしか電話が取れない可能性だって、大いにあるからこういう場合はちゃんと昼休みに電話した方がいいのではないだろうか。

 特にあの電話番号がプライベートなのか、仕事用なのかすら分かっていないのだから、余計。


「……変な業者とかに繋がりませんように」


 桃花は自分のスマホに電話番号を打ち込みながら、おまじないのように言葉を紡いだ。

 電話をする前に、一度電話番号をインターネットで検索してみたが、個人の携帯電話という検索結果しかなかった。だから大々的にやっている企業の電話番号ではないことはわかる。ただ、本当にそれが個人につながるかどうかというのは別問題だ。

 それから緊張しつつも、コールする。

 数回の呼び出し音が響く。

 そして。


『ハロー?』


 あの時に出会ったアルの声が電話越しに聞こえた。


「あ、あの、お忙しいところ、失礼します。わたくし、以前にお写真を撮らせていただきました、望月桃花、と申します」


 上ずりそうになる声を必死に抑えながら、桃花は必死にアルに話しかけた。


『モモカ……? ああ、桃花! 久しぶりというほどでもないかな? もしかして、写真が完成したとか?』


 電話の向こうでアルは優しく笑ってくれているらしい。

 優しい笑い声が漏れ聞こえてくる。一日ぶりに声を聞くが、やはり普通に話していると王子様のような綺麗な話し方だった。


「はい。それをまた受け渡しをしたいんですけれど。お時間とか日程とか教えてもらいたくて」

『うん、いいよ。僕もどんな写真になっているか気になっていたからね。要望通りに撮れていたかな?』

「はい。逆を調整して、それから色味も調整したので、かなり要望に近づけられていると思います」

『それは素晴らしい! 楽しみにしているよ!』


 電話越しで彼はとても喜んでいるらしかった。

 それを声だけで感じて、桃花はきゅっと拳を握った。

 多分打診するならば今しかないのだろう。なにしろ、これはアルにしか頼めないことだ。

 モデルを納得させるだけの素晴らしい写真。そんなものが今の桃花に簡単に取れると思わない。それこそ、桃花の写真の技術だけでは限界があるのだ。ならば、それを補うものがあるとするなら、それは桃花以外のものになる。


「はい……あの、それでなんですけれど」

『ん?』

「アルさん……いえ、アルが嫌でなければ、もう一度写真のモデルになってほしいんです」


 そういった時、喉がカラカラになった気がした。

 顔を見せたくないと言っている人に対して、さらにモデルとして写真を撮らせて欲しいなんて、そんな厚かましいこと、普通なら言えない。

 世の中には顔を出したくない人なんて沢山いて、その中の一人だということも理解している。だが、今の桃花には、アル以外頼ることはできそうになかった。

 アルの考えているらしい沈黙が数十秒、一分以上にも感じられてきたときだった。


『……いいよ』

「え?」

『構わない、と言っているんだ。桃花がそこまで言うのなら、考えてもいい。だけど、そうだな……また付き合ってくれないかな』

「付き合う、ですか?」


 別におかしな意味を持っているわけではないことは分っていたものの、さすがにそう意味深に言われて、少し警戒心が湧いた。


「また、あのコンセプトカフェに、ですか?」


 たしかにああいう空間も面白かったが、あんなところにまた行きたいんだろうかと思って、桃花は恐る恐る尋ねてみる。

 するとアルは笑ってくれた。


『あはは、うん、それも確かに楽しいかもしれないね。でも、今度は別のところに行こう。そうだな。遊園地、とか』

「……遊園地」


 コンセプトカフェの次は、遊園地。

 本当に遊びに行くみたいだと、思ってしまう。


『付き合ってくれるだけでいい。今なら断ってくれてもいいよ。だから少し考えておいてくれないかな?』


 相手の真意が分からない。だが、桃花はぎゅっと拳を握った。

 ただの接待だと考えればいい。そう考えるなら、別に相手の行きたいところに行くぐらいおかしいことではないのだ。これもすべて写真集のため、そうしないと世界的なモデルを「作品」にすることは永遠に叶わなくなる。


「わかりました。また、スケジュールなどはおって調整させてもらえることできますか?」

『もちろん。ところで桃花は今は仕事中?』

「はい。昼休みなのでもう少しだけ時間があります」

『じゃあそれが終わったら、会社に帰るんだね』

「は、はい……?」


 そこまでどうして詳しく聞かれるのだろうか。何か気になる点でもあったのだろうかと思いつつ、桃花はアルの言葉に頷いた。


『うん。それなら気を付けて帰るんだよ。じゃあね』


 だが、アルはその言葉の真意を何一つ説明してくれることもなく、そのまま電話を切ってきた。


「……なんだったんだろう?」


 なんとか相手に納得してもらえるだけの写真を撮ることができるほどのモデルは見つかった。そして約束を取り付けた。

 ここでいけば順調だと自分でも思う。だが、どうしてもアルが誰なのかすらわかっていないのに、約束をしてしまっていいのだろうとだろうかと思ってしまう。


「……遊園地って、さすがに大の大人を油断させるなら、もっと別の場所を言うだろうし」


 詐欺なんかを目的にしているなら、喫茶店などのもっと落ち着いた場所を指定するだろう。それに桃花のことが目的とは思えない。


「……それならもっと、綺麗な人がいくらでも近寄ってくるだろうから」


 美人ならモテるというのは男女に共通していることだ。女性だけがよく取りざたされて恋愛映画なのに発展することも多いが、男性だってそれにも負けず、とんでもない数の女性が寄ってくるのだ。その中には金持ちもいるし、権力を持ってるやつだっている。自分の武器を存分に活かして相手にアピールする連中だっている。そういう人を何人も桃花は見てきている。


『俺様にお前ごときがふさわしいと、本当に思っているなら面白すぎんだろ』


 嫌な言葉が耳の奥でよみがえる。

 相手のことをまっすぐに好きだと思っていた。そして、相手もきっと真っすぐに自分のことを好きだと思っていたのに。


「もう、何もわからなかった頃の自分とは違うから」


 裏切られた。もう二度とあんな気持ちにはなりたくない。

 だから、桃花は絶対に、誰かを信じたりはしない。


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