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第6話 条件提示

「今度の写真集、少しは構想をまとまったかな?」

「……はい。少し休みの日に、外にでてストリートスナップも撮ってみました」


 出社して飯田編集長に尋ねられて、桃花は休みの日に撮っていた写真のいくつかを見せた。

 もちろん、アルと約束していたからその顔は現像した写真からはわからないようになっている。


「これは、随分と綺麗な人を見つけたね。スタイルも、その辺りのモデルよりも均整がとれているし」


 飯田編集長はその写真をいくつも眺めながら、うんうんと機嫌よさそうに頷いていた。


「だけど、顔が隠れているのが惜しいね。輪郭も綺麗だし、きっと綺麗な人だったんだろう?」


 それは美醜、というよりも、写真のモデルとして、という意味だと桃花もわかっている。顔立ちが整っているだけではなく、その表情やポーズ、指先一つまで綺麗な人だというのが、飯田編集長にも写真から伝わってきたのだと思う。

 それは桃花も否定できないことだった。

 なにしろ、アルは完ぺきな王子様だ。


「ええ……でも、いきなりモデルをしてほしいと頼んでいたので、さすがにそれは難しかったみたいです」


 本当は、「キミは僕のことを知らないでいてくれるみたいですから」なんて言われて、名前もまともに教えてもらえず、連絡先も本当かどうかわからない。そんな不思議な男の人だったから、何も正確なことを教えてもらえませんでした、とは言えなかった。

 だからそれらしい理由をなんとか考えてみていたのだ。


「そうか、実はプロだけではなく、読者モデルやスカウトもしようかと考えていたんだ。惜しいね。この人、これだけオーラのある人なら、きっといいモデルになっただろうに。どこかのモデルさんとかだったら名刺くらいをもらったのかな?」

「名刺は、ないですね。かろうじて、電話番号は何とか交換しましたけど、それもちゃんと使えるかどうか」


 実は本名さえ知らないというのは、飯田編集長も怪しむだろうと思って言わなかった。


「そうか。だったら、一度連絡してみてくれないかな? それの如何によっては、写真集がこの世に出るかどうかということにも関わってくるだろうしね」

「なにか、あったんですか?」


 飯田編集長の含みを持たせたいような言い方に、何か嫌なものを感じた。

 もちろん、こういう業界である。

 企画が消えることなんて日常茶飯事だし、いきなり写真集に載っていたモデルの都合によって、どれだけ売れ行きが良くても、いきなり写真集自体が発売停止になることなんて普通である。

 だから、もしもこの企画段階で写真集が中止になるというのならば、まだ被害は少ない方だと思ってすっぱりと諦めるべきなのはわかっている。だが、アルのあの圧倒的なオーラと、そして逆行によって隠されていた悲しげな顔に対して気になるものがあった。


「いや、そんな顔しないでくれ。別に企画自体が消えたわけではないんだよ。ただ、少し面倒なことになったというかね」

「面倒なこと、ですか?」

「ほら、簡単に言えば、モデルのわがままというやつだ」

「ああ……」


 モデルのわがまま、と言われて、桃花は素直に頷いた。

 別にモデル全員がそういうわけではないのだが、どうしても自分の中でのこだわりや美意識が強い人はいるのだ。だからこそ、出版社やカメラマンに対して、難しい要求をしてくる人もいる。

 前には一度、どうしても気分が優れず撮影前に数量限定のデパートのチョコレートを食べてからでないと撮影できないと言われて、桃花が急いでデパートへ走って二時間並んだこともある。そういう人は美意識が高く、それに見合う努力をしているからこそ、そんなわがままを言っても許されるのである。

 そういう大物を読んできたのだろうか、と桃花は気を引き締めた。


「もしかしてカメラマンが男性がいいとかそういう話ですか?」

「いや、そういう話ではないよ。もちろん君にやってもらうと言ったのだから、望月くんにできるだけ最後まで撮影してもらいたいと思っている。だが……相手は、世界的に活躍するモデルなんだよ」

「……え?」


 確かに飯田編集長はちゃんとかっこいい人を見つけてくると約束してくれた。それに対して異論はない。もちろん王子様と言うのだから、やはりかっこいい人がしてくれたほうが嬉しいとは思う。だが、世界的に活躍するモデルというのはどういうことだろうか。


「えっと、聞き間違いですか? それとも、そういう肩書の方……とか?」

「いやいや、そういうわけではないよ。本当に、世界的に活躍するモデルの子だ。どうしても私が、撮影をしたいと何度も何度もお願いしたんだ。最初はとても嫌がっていたけど、結果的にこちらの熱意に答えるような形になってくれてね」

「そんな方の写真を撮ろうとしてたんですか?!」


 どれほど豪華なゲストだとしても、アイドルや有名な雑誌で活躍するモデルだろうと思っていた。

 もしかしたらまだ一般人の新人の売り出しになるかもしれないと、そういう可能性さえ自分の中では覚悟していたというのに。


「うん、そうだよ。君の写真を見せて、この子に担当させます、って相手にもちゃんと紹介してみたんだ」

「……え、ええ……」


 そんな簡単に決められて、桃花はなんと答えていいのかわからなくなった。

 もちろん担当として紹介してもらえるのは光栄な話だが、今の桃花はしがない駆け出しのファッションフォトグラファーだ。しかも、モデルは女性ばかりで男性は初めてである。

 そんなところまでちゃんと飯田編集長が伝えてくれているのかを聞きたかったが、恐ろしくて聞けそうになかった。


「相手はそれで納得してくれたんだけど、一つ問題があって」

「問題、ですか?」

「そう。私がどれだけ将来有望な子だよと伝えてもね。相手がなかなかそれを信じてくれなかったんだ。もちろん写真の腕前についても見せているのだから、これで信じてくれるのだろうと言っているんだけど。本当に自分を撮れるかわからない、と言っていてね」


 そりゃあそうでしょう、と桃花は言いたかったが、その言葉をぐっとこらえた。

 もちろん、モデルだって自分をより魅力的に撮ってくれるカメラマンを選びたがる。そのためには経験を積んで構図も理解して、たくさんの現場を経験してきたカメラマンが重宝されるのは当たり前である。


「それで、飯田編集長はなんと?」

「本当にいい子だから、ぜひうちで写真集を出してくれないか、って懇願したよ。こんなチャンスは滅多にないからね」

「……あ、ありがとうございます……」


 そこまで上司にされてしまっては、もう断ることはできない。桃花は不本意ながら、頭を下げるしかなかった。


「うん。そうしたら向こうもわかってくれたんだ。それでね、望月くんに頼みがあるんだ」

「な、なんですか?」


 これは嫌な予感がする、ものすごく嫌な予感がする。

 背中を伝っていく汗を感じながら、桃花は飯田編集長の次の言葉を待っていた。


「あちらは、写真を撮るならそれなりの証拠を持ってほしいと言っている。自分を撮るに値するような素晴らしい写真を見せてほしいと」


 素晴らしい写真。それも世界的に活躍するモデルが納得するような写真。

 想像するだけでもクラクラする。

 構図も被写体も最高の写真でなければ、きっと不可能だろう。


「……まさか、それって……」

「ああ。ぜひそういう写真を撮ってきてほしいんだ。素敵な写真集にするためには、やはりモデルも大事だからね。普通にストリートのスナップが撮れるということは、それだけ写真集に使える作品が増えるかもしれないだろう?」


 にこにこと飯田編集長は人の良さそうな笑顔を浮かべたままだった。いや、これはきっと飯田編集長にとってはとても優しい言動なのだと思う。

 桃花のような駆けだしに仕事を与えた上で、さらに相手にも納得してもらえる。そういう計画なのだろうことはわかる。

 だが、桃花にとっては血の気が引きそうなほど重大事態なのだ。

 思わず指先に力がこもりそうになるのを必死に我慢して、飯田編集長の次の言葉を桃花は待った。


「だからどうか、その人にも気に入られるような写真をぜひ撮ってきてほしいんだ」


 その言葉を聞いて、桃花は自分がどれだけ責任重大なことを押し付けられているのか、考えてしまった。


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