「なあ、みぱぱ。行くか?」
「行くしか無いんでしょう」
「まあな」
みぱぱの心は鉛色でした。
これほど行きたくない出張はありませんでした。
客先の立ち会い検査。ポンプメーカーでの立ち会い検査。自分の会社での検査するのならば十分な準備と検査を行った上でお客を呼んで確認してもらいます。
しかし今回はポンプメーカーで行います。それもアメリカのポンプメーカー。日本であれば日本語で打ち合わせ、工場に泊まり込んで準備も出来ますが、メールで打ち合わせ。英語で。その上、時差の関係で夜中にメールを打つみぱぱ。
お客は誰でも知っている日本の大手企業。そのうえ、かなり大型で高価な装置。
みぱぱ、びびりまくりです。
立ち会い試験前日にアメリカに入って、直接ポンプメーカーの工場に行きます。
みぱぱの気持ちと同じように五大湖近くの天気は曇り空でした。
「や~みぱぱ、よく来たな。社長は元気かい?」
「こんにちは。元気にしていますよ。今回は無理を言ってすみません、ダニエル社長。早速ですが、ポンプの状況を見せて貰っても良いですか?」
スーツ姿のみぱぱに対して、ジーパンに作業服のダニエル社長。みぱぱより二回りほど身長も体重も重そうなダニエル社長が、にっこりと出迎えてくれました。
アメリカ1回目は代理店経由ですが、このポンプ屋さんは直接取引をしています。
そのため、全ての交渉はみぱぱがしなければなりません。
ポンプは事前の打ち合わせ通り、テストが出来る状況になっています。データー関係も取れるようにセンサーも取り付けてあります。
「じゃあ、運転して貰っても良いですか?」
「わかった。ポチッとな」
ポンプは順調に動き、データー的にも問題ありません。
あとは明日の検査員が難癖を付けるような気難しい人でないことを祈るばかりです。検査員はお客が依頼したアメリカでの代理人です。どんな人が来るか分かりません。
みぱぱの予想ではサングラスにスーツをピシッと決めた、テレビに出てくる弁護士のような検査員です。
そして重箱の隅を突っつくような指摘をして、理路整然と追いつめてくる検査員。それをしどろもどろで対応するみぱぱ。
想像しただけで胃が痛くなります。
そんなみぱぱの気持ちを知ってか知らずかダニエル社長はみぱぱを食事に誘います。
「じゃあ、せっかくアメリカに来たんだから食事に行こう」
「お願いします」
明日の立ち会いが終わるまで気が抜けません。
ダニエルさんを初め、数人が暖かく迎えてくれた食事ですが、明日の立ち会い検査のことを考えて、全く料理の味がしません。何を食べたかすら覚えていません。かろうじてビールを飲んだことくらいしか記憶にありませんでした。
翌日の午前中から立ち会い検査です。遅刻する訳には行けません。みぱぱはさっさと寝ました。
翌日、緊張しているスーツ姿のみぱぱ、昨日と同じようにジーパンに作業姿でリラックスしているダニエル社長は検査員を待ちます。
検査員がやってきました。
でっぷりと太ったおじさん。ダニエル社長と同じようにジーパン姿にTシャツ姿。それもスパイダーマンがプリントされた。
え!? その辺のおじさんが散歩に来ただけじゃないよな。みぱぱは検査員の姿に驚きます。
「こんにちは、ジョニー・デップです」
「え!」
どう見てもジョニー・ディップではありません。どちらかと言えばジョニー・デッブです。
「ハハハ、いっつアメリカンじょーく! ジョニーです」
検査員のジョニーさんは明るく笑いました。
ダニエル社長も笑っています。
みぱぱだけ真顔です。
その後、ダニエル社長主体で検査は進み、大きなトラブルもなく検査は終わりました。
お昼過ぎにはジョニーさんを無事に送り出して、みぱぱはやっと緊張が解けました。
「終わったな。みぱぱ」
「さんきゅー、ダニエル社長。無事に終わって良かったです。ダニエル社長達のおかげです。本当にありがとうございました」
「いやいや、無事に終わって良かったな。明日、日本に帰るんだろう。今日はゆっくりできるだろう」
「はい。ジョニーさんも気さくで良かったです」
最終的な打ち合わせを行ってお仕事終了です。
食事の前にダニエル社長はみぱぱをある場所に連れて行ってくれました。
大きな駐車場に大きな平屋の倉庫のようなところ。
中に入ると二メートル以上はある熊が出迎えてくれました。
「おお! くまモンだ~~!!」
「くまモン? こいつはそんな可愛い奴じゃないぜ。アメリカ熊だ。デカいだろう!」
熊の剥製が二本足で立って、お客を威嚇しています。
さすがアメリカ!
日本で言うところのホームセンターのような所、背の高い棚にいろいろな物が置いてあります。
こういう所にくるとテンションが上がります。
広い店内を見て回ると、キャンプ用品や食料品も置いています。お土産にお菓子なんかも買いそろえます。
店の真ん中あたりには大きな鹿の剥製もあります。
「おー! せんとくんだ!」
「みぱぱ、くまモンは良いが、これをせんとくんと言うのは、アメリカに喧嘩を売っているのか? アメリカにはバンビがいるんだぜ」
「え、でもそれを言ったらくまはプーさんがいるじゃないですか」
「みぱぱ、間違えちゃいけない。あいつはイギリスだ。まあ、イギリスのクマ野郎を世界的人気キャラクターにしたのはアメリカだがな。ハハハ」
ダニエル社長はそう言ってニヤリと笑いました。
そして一番奥へ行くとみぱぱはまたまた声を上げます。
「え~、こんな所に置いてるの?」
「珍しいか。日本には置いてないだろう」
アメリカと言えば銃。
ハンドガンはガラスケースに入れられて、ライフルはガラスケースの向こうに立てかけています。
鍵やチェーンをしていますが、まるで高価なモデルガンのように置いてあります。
弾丸は普通に棚に置いてあります。これってお土産に買って帰ったら捕まるかな? みぱぱは思わず不穏な事を考えます。
「すごいですね」
「日本は銃が持てないって聞いているが、日本刀は同じように売ってるんだろう?」
「ええ、そうですね。ただし買えるのは成人男性だけで、大小の二本のみ持てます」
「本当か、今度来るときはお土産に買ってきてくれ」
「すみません。本物の日本刀は日本の軍事における最大戦力にして最高機密なので、国外持ち出しは出来ないのです」
「そうか、残念だな」
「ははは、全部、ジャパニーズジョークですけどね」
「ハハハ、知ってるよ」
行くときとは違い、晴れやかな気分で帰国をしたみぱぱでした。
「上手くいったようだな」
「そうですが、なんで知っているんですか?」
報告会が始まってすぐ、上司が言いました。
「だって、みぱぱが帰ってくる前に、ダニエルさんから電話があったよ」
「ああ、そうなんですか。他に何か言ってましたか?」
「……みぱぱ、かなり緊張してたみたいだな。検査の前後で人が変わったみたいだったって言っていたぞ」
はい、それは自覚しています。
それほど緊張していた出張でした。