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雨の猫になく
三原みぱぱ
文芸・その他ショートショート
2024年07月29日
公開日
3,261文字
連載中
雨の日に猫を拾った私

第1話

 今でも、時々あの日の夢を見る。

 あれは私が小学三年生の夏休みが明けたころだった。

 雨が激しい下校道は川のようだった。

 ピンクの可愛い長靴をはいていた私は雨カッパに傘と言う完全防備にもかかわらず、家路を急いでいたのは、遠く山の方に真っ黒な雨雲と雷が見えていたからだった。

 小さな神社の脇を抜けると私とママが住む、木造のアパートが見えてくる。

 にゃー

 たたきつける雨音に紛れて、小さな小さな鳴き声が私の後ろ髪を掴んだ。

 私は歩みを止めて耳を澄ますと、神社の木の陰に声の主を見つけたのだった。

 小さな私の両手に収まるほどの子猫が、泥にまみれて体を丸くして震えていた。

 周りには母猫も兄弟猫も見当たらず、はぐれたのか、捨てられたのか、たった一匹で木の下で雨宿りをしているようであるが、このあまりにもひどい雨に、おおきな木の下でも雨宿りにならず、びしょぬれで震えていた。

 私の住むアパートは動物が飼うことができないけれど、いくら何でもこの雨の中、小さな子猫をそのままにすることもできず、家に連れ帰ることにした。

『一晩。雨が上がるまで。ほんの少し、雨宿りを』

 ママには、そう言ってお願いしよう。

 明日、雨が上がって青空が空いっぱいに広がれば、子猫も母猫を探しに行けるはずだ。

 私は傘を差すのを諦めて、両手を子猫ごと雨カッパの中に隠した。手のひらに乗った子猫はほんのり暖かく、そして冷たかった。

 アパートの階段を上がり、二階の奥のドアを開けようとして気が付いた。一度、子猫を下ろさないと鍵もドアも開けられないと。

 私は誰かに見られていないかと、きょろきょろとして、子猫を洗濯機の上に置いた時、一階に車が止まり、激しく車のドアを閉める音がしたかと思うと、乱暴に階段を上る音が聞こえた。慌てて子猫を雨カッパの中に隠した時、煙草をくわえた男性の顔が廊下から、にょきっと現れたかと思うと、どんどんと大きくなり、私をちらりと見て一番手前の自分の部屋に入って行った。

 私はしばらく、階段を上るどんどんと言う音が鳴りやまず、びくびくとしていると、それが自分の心臓の音だと気がついたとき、やっと雨音が戻って来た。

 もう一度、周りを確認して子猫を古い洗濯機の上に置くと、部屋の中へ入ることができた。

 ママが置いてくれていた古新聞の上に子猫を下ろすと、一度廊下に出て雨カッパをぬぎ、風で飛ばないように廊下に干して部屋に戻ると、子猫はおとなしく古新聞の上にいて、顔だけをきょろきょろとしてあたりをうかがっているようだった。

 すぐにランドセルと手提げバックを置くと、ぬれた靴下を脱ぎ捨てて、不安げな子猫を抱き、お風呂に入った。

 シャワーを出してお湯が出るのを待っている間、子猫は出口のガラスをカリカリと掻いて逃げだそうとしていたので、音の出るシャワーを止めて、湯垢の付いている洗面器にお湯を溜めて優しく洗ってあげると、透明なぬるま湯はあっという間に真っ黒になった。

「あら、あなた。こんなに白かったのね」

 思わず私がつぶやいたように泥を落とした子猫は全体的に白く、お尻の所に特徴的な一円玉くらいの小さな黒毛があった。

 汚れたお湯を捨ててもう一度お湯を溜めると、子猫はもう逃げ出そうとはせずに心配そうにお湯に手をつけて熱さを確認すると、私をフイッと見上げたので、そっと掬い上げると洗面器の中に入れてあげると、雨の冷たさがお湯に溶け込み、子猫は目を細めて一声嬉しそうに鳴いた。

 少しほつれてはいるが、よく乾いたタオルで子猫を包み込みふかふかの毛並みが表れ始めた頃、電話が狭い部屋に鳴り響いた。

 番号を見るとママからだった。一回で切れたら、これから帰るの合図。三回以上鳴ったら用事があるから取っての合図。

 三回目のコールで私は電話を取ると、ママの声が一気に流れ出てきた。

「雨がひどくて、今日は帰れそうにないの。冷凍食品を食べて、絶対に部屋の外に出ちゃダメよ。もう膝上まで水が上がってきているからね。ちゃんと戸締まりをして、火は絶対使わないように。それじゃあ、何かあったら電話してね。愛しているわよ」

 それだけ言って電話が切れたので、カーテンを開けると、つい先日までのびっくりするような暑さを流した雨が冷たい風を運んできた。薄暗くなった地面はママが言ったように、どこからか田んぼでどこが道路か分からないくらい茶色い水が、まるで海のように広がっていた。あのまま子猫を放っていたら、この中で溺れていたかと考えるとぞっとして、窓を締めると、急にお腹が空いてきた。

 私は冷蔵庫の牛乳をコップに注ぐと、電子レンジで温めてカレー皿に移し替えると熱すぎないか指を浸して確かめたあと、子猫の前に置いてみた。子猫がクンクンと臭いを嗅いだ後、ぺろぺろちゃぴちゃと飲み始めたのを確認して、冷凍室を開けてみると冷凍のお好み焼きがあったのでレンジで温めると、タッパに入っていた今朝炊いたご飯をお茶碗に移してそれも温めて食べ始めた。そうすると、子猫は私が食べているお好み焼きが気になるのか、クンクンと近づいて来たので、少しあげてみるとパクリと食べたので、四分の一だけ分けて、一緒にご飯を食べた。

 子猫はお腹がいっぱいになったのか大きく伸びをするとあくびをして小さく丸くなったので、私は宿題をすることにした。明日は土曜日なのでそんなに急ぐ必要は無いのだけれど、子猫が寝ちゃったし、遠くで雷が鳴っていて気を紛らわす為に宿題をしてしまおうと思っただけだった。

 どのくらい時間が経ったか分からないけれど、なにか臭いがして子猫を見ると、下痢をして震えていた。

 慌ててティッシュでうんちを拭き、子猫を抱き上げると明らかに力がなくなっていた。

 なんで? どうして? どうしたら良いの?

 私はただ子猫にどうしたのって話しかけて身体をさする事しかできず、すごく心細く不安になった。私はママに電話にしようと思い立った時、一際大きな雷が響き渡り、部屋の電気が切れて真っ暗になったので、窓から外を見ると真っ暗だった。辺り一帯が停電になったようだったのを知って、泣き出しそうになった。

 にゃー

 そんな私の気持ちに気がついたのか、子猫がないた。

 泣いたら子猫が死んじゃうと感覚的に感じた私は、涙を飲み込んで子猫をなで始めた。

 下痢をしたと言うことは、お腹が痛いのだろうと、ママが私にしてくれたように優しくお腹をさすり始めると子猫は少し元気になったような気がしたので、私は子猫の小さな手を握りながら、お腹をさすり続ける。

 真っ暗闇の中、外は打ち付けるような激しい雨音と鼓膜を震わせる雷鳴が鳴り響き、いつもなら怖くてママに手を握って貰っているのだが、今は子猫の事が気になってそれどころではなかった。

 早く朝になって、ママが帰ってくれば子猫のこともどうにかしてくれるだろうと思い、長い長い闇夜をじっと待っていた。

 ほんのりとキンモクセイの甘い香りを乗せたそよ風が吹く神社境内に、元気になった子猫が走り回ると、拝殿の床下から子猫そっくりの母親猫が現れる。母猫は子猫のお尻を嗅ぎ始めて、自分の子供と確認したようだった。

 母親はまるで子猫についてこいと言わんばかりに小さく鳴くと、ゆっくりと拝殿の方へ歩きはじめた。

 子猫は私の足下に来るとひとつ鳴いて、母猫と共に行ってしまった。

 ありがとう。またね。

 どのくらい経ったのか分からないけれど、いつの間にか眠っていたようでカーテンの外から朝日が差し込んで来た。

 きっとすぐママが帰ってきてくれるはずだと思い、子猫の様子を見ると子猫はじっとうずくまったままだったので、またお腹をさすってあげて気が付いた。

 冷たい。

 昨日の稲光でも出なかった涙があふれ出した。昨日の土砂降りのように。

 ごめんね。何も出来なくて。


 もう十年以上前の事を昨日のように思い出すのは、生まれたばかりの私の赤ちゃんのお尻に一円玉くらいの黒いアザがあったからなのかも知れない。

 私は病院のベッドの上で、ぎゅっと握りしめてくる小さな手を優しく握り返して決意したのだった。

 あの時、離してしまった小さな手をもう二度と離さないように。

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