恐る恐るバスルームから出てみると、テーブルの上には果物とサンドイッチと大きめのティーポットが用意されてあった。
「
「お帰り、僕のさくちゃん」
椅子までエスコートしてくれて、俺が座ったのを確認して、額にキスをしてくれた。一気に、顔の温度が上がったのが分かる。
「あ、明さんてさ、前々から思ってたけど… 以外とキザだよね」
「
明さんはベストも脱いでネクタイを外し、ボタンも二つ程開けて、リラックスした感じだった。
「さっきの合コンで、全然食べてなかったでしょ? 僕もお腹空いてるから、一緒に食べよう」
取り分けてくれたサンドイッチを目の前に置かれて、盛大に腹の虫が鳴いた。
「お茶?」
「この寒いのに、あれだけ露出していたんだから、確り温めた方がいいよ」
「慣れない格好させられて、寒さなんか微塵も感じる暇なかった」
次に、紅茶が置かれた。レモングラスのほのかな香りが鼻先をかすめて、ちょっとだけホッとした。
「まだ、怒ってる?」
どうぞ。て進めてくれるけれど、何となく手を出しにくい。明さんは俺の横に座って、淹れたてのレモングラスを一口すすった。
「合コンに来たことは、怒ってないよ。僕は航大に、さくちゃんは大島さんに計られたわけだしね」
ああ、そうか、そう言うことか。全部あの二人の仕込みか。いや、少し考えれば、分かることだよな。
「ミオが言っていた黒いカードのスポンサーって、三上さんか。
「たまたま、だろうね。でも、あんな可愛いさくちゃんを、見せたくなかったな」
可愛い、可愛いって…
「いつもの俺じゃ、可愛くないみたいじゃん」
言ってからハッとした。俺、何口走ってんの?
「さくちゃん…」
「あ、なしなし、今の何でもない。食べよう…」
慌てて否定してサンドイッチに手を伸ばしたら、明さんに確りと握られた。
「僕は、自分が思っていたより、欲張りだったみたいなんだ。さくちゃんを好きになって気がついたよ。いや、さくちゃんだからかな?」
心臓がバクバク煩いし、その上動きが早くて胸痛いし、顔どころか体中が熱い。クラクラしている俺の手に真っ赤なイチゴを乗せて、明さんは自分用のお茶を入れ始めた。
ホテルのイチゴなのに、味、全然わからん。
「僕が東京に出てきた一番の理由は、彼女に振られたから。高校からの付き合いで、お互いの両親にも介済みで、結婚も視野に入っていたんだけどね。
浮気してたんだ、彼女。僕の職場の同僚と、新人の時からずっと」
「げっ… 最悪」
レモングラスのほのかな香りに誘われて、ティーカップを手にとって少しずつ飲み始めた。
「熱いから、気をつけてね。
彼女はおとなしくて控えめで、男性の三歩後ろを歩くような人だった。
すっぴんは見たことないし、いつも爪の先まで手入れされていたよ。
とても控えめにね。アクセサリーも洋服も控えめだけど質の良いものを身につけてた。性格も発言も笑い方も…」
「控えめだったんだ、男以外は」
あ、
そんな俺の言葉に、明さんが控えめに笑った。それが自虐的に見えて、ちょっと、申し訳なかった。
紅茶が美味しい。シャワーで温まった体が、今度は体の芯が暖かくなってきた。
「僕より、同僚の方がいい男だっただけだよ」
「それなら、ちゃんと別れてから付き合えばいいんじゃね? それが、普通だろ?」
「そうだね。さくちゃんみたいに、浮気は遊びだって割り切れていたら、故郷から逃げ出さなかったんだけれどね」
違うよ、明さん。割り切っていたんじゃなくて、それだけの気持ちしかなかったんだ。
「それだけ、元彼女さんのこと好きだったんだろ… ヤケるなぁ」
「だけどね、今回はどうしても逃げ出したくはなかったんだよ」
… なんか、雰囲気が怪しくなってきた?
「で、でもさ、明さんは田舎でもタクシーの運転手さん?」
この雰囲気を壊すべく、せっかくのサンドイッチが固くなっちゃったら勿体ないから、ありがたく口に運び始めた。さっきのイチゴと打って変わって、すんごく美味しい。最後にもう一回、イチゴ食べよう。
「違うよ、保育園の先生」
ちょっとだけため息をついて、明さんもサンドイッチを口にした。
「あ、似合う! 明さん体大きいから、子ども達の山だね。
登って来たでしょ?」
想像出来る。
「仕事は、楽しかったよ」
凄く良い顔してる。やり甲斐のある仕事だったんだろうな。
「もう、やらないの? 思い出してそんな良い顔してんのに、やらないのは勿体なくない?」
「そうだね。… 東京に出て暫くは、新しい仕事のことしか考えられなかったんだけれど、さくちゃんの仕事する姿や仕事に対する姿勢を見て… もう一度頑張りたくなったんだ、保育士」