お… お願い?
「そういえば、俺にお願いって?」
そうだっ、そう!
「嫌われるのが怖いのは、さくちゃんだけじゃないよ」
明さんの重さと体温が肩口から一気に放れて、すんごくホッとした。
その変わり、スムーズに俺の両手から皿と箸をテーブルに移して、両手を優しく握ってくれた。
「こっち、見て」
今までの明さんの行動でしっかり固まった俺は、ぎこちなく顔を上げた。
そこには、今まで見たことのない明さんの顔があった。とっても真剣で、どこか泣きそうな顔。
「僕に、君を『
「… え?」
それって…
「ごめ、明さん、俺、今、いろいろビックリしちゃってて、頭回らない」
勘違いじゃなくていいのか?
「ごめんね。最近会えなかったから、さくちゃん成分が不足してて、暴走しているんだ」
「俺馬鹿だから、回りくどいの、分からない」
勘違いじゃなかったら… なんて思ったら、今までにないほど心臓がドキドキして、手が震えてた。
「君のことが好きだよ」
どうしよう。嬉しい。嬉しくて、鼻血でそう…
「あ… あの…」
明さんを見ていられなくて下を向いたら、右手で顎を掴まれて上げられた。合わせられた視線の奥から、明さんへの気持ちを覗かれてる感じがする。
どうしよう、どうすればいい?
「『咲良』って呼んでもいいかな?」
限界だった。精神と肉体、共に疲労困憊。風呂でふやけて、美味しい酒と美味しい料理でそこそこ腹が満たされ、一番会いたい人の体温と、背中をゾクゾクさせて腰から力を奪う魅力の声で… もう、駄目だった。
「さく・・・」
俺の名前を呼びながら、明さんの大きくて暑い唇が迫ってきた。
「駄目~!!」
瞬間、勢いよく、玄関のドアが閉じた音と聞き覚えのある声がした。
「… また、
明さんに、食べられるかと思った時、一史の叫び声で一気に現実に引き戻された。
「それは、ボクだけの特権… って何、その格好! 何、その顔!」
ドタドタと入ってきた一史と目があった瞬間、明さんの背中が視界いっぱいに広がった。
「ボクと居る時は、そんな女の子らしい格好もしてくれなかったし、そんな女の子の顔もしてくれなかったじゃないか! なに、その顔!!!!」
「僕だからだよ。僕だから着てくれたし、君が見たことのない顔も見せてくれているんだよ」
落ち着いた口調で言いながら、明さんは立ち上がるついでに、足元の万年毛布を片手で拾って、俺の膝にかけてくれた。
顔?俺、そんな変な顔になってるのか?
「工藤さんは後から来た人じゃないですか! ずるいですよ!」
明さんが立ち上がって、横から一史の顔が見えた。見慣れた、今にも泣き出しそうな顔。
「この前、大島さんにも言われていたよね? 君はこの子に関する全ての権利を自分から放棄したんでしょう? 先だとか後だとかは重要じゃないよ。肝心なのは、君だからか、僕だからか、だよ。」
一史だから… 明さんだから… あの迫ってきた唇が脳裏にチラつく。
「工藤さんが現れなかったら、きっと咲良は僕とやり直して…」
「ない。それは、ない」
一史の一言にキッパリハッキリ言いながら、明さんの横から顔を出した。
「お前は、明さんじゃないだろ? 俺とは終わり。終わったの」
「… 一緒に、ボクの実家を継いでくれる約束は?」
一史の顔が、ますます情けなくなった。
「約束してない。ってか、俺も実家を継ぎたいって言ってたよな?」
「でも、それは… 女の子はお嫁に行くものだろう?」
「
それより、どうやって入った? 鍵、開いてたか?」
チラッと明さんを見上げると、軽く首を振った。鍵をかけた覚えはあるらしい。
「ああ、鍵ね。付き合っている時に、いざという時を考えて、咲良の鍵をちょっと借りて合鍵作っておいたんだ。ボクって、頭いい…」
「犯罪だろうが!」
半べその顔に同情して、優しく説得していたのが馬鹿だった。ソファから飛び出して容赦なく右の拳を、みぞおちに叩き込んだ。唸って体をくの字にした一史のズボンの後ろポケットから鍵の束を取り出したら、一本だけ青いチェックの鍵があった。
「咲良ぁ~…」
「ごめん、明さん、コイツ叩き出してもらえる?」
情けなく人の名前を呼ぶ一史の処理を頼んだら、玄関のドアが開いた。
「ったく。もっと上手くやりなさいよ、このダメ男!」
ズカズカと入ってきたミオは一史の頭を一回叩いて、
「あ、続けて続けて」
ミオは空いた方の手で、犬でも追い払うように手を振って、勢いよくドアを締めて行った。
「… なんだ、これ?」
展開に頭がついていけず、呆然としている俺の手から、明さんは一史の鍵の束を取った。
「『特別』って、分かりやすいね。まだ、さくちゃんは笹瀬君の特別なんだね」
鍵の束から外した青いチェックの鍵を、俺に渡してくれた。
「僕は、さくちゃんの特別になりたい」
明さんは、まっすぐに俺を見た。一史の居た事は無かったかのように、その動きと言葉はとても自然だった。
「じゃぁ… 俺のこと、明さんの特別にしてくれる?」
恥ずかしくて、明さんを真っ直ぐに見れなくて、恥ずかしさを少しでも隠したくてフードを被って、俯いて明さんの小指を握った。
今の俺には、このアピールが精一杯。
「うん。とっくに特別だよ」
優しく腰を抱かれて、耳元で囁かれたその声が、とても嬉しそうに聞こえた。
そっと、頬に明さんの手が触れた。その手に優しく誘導されて上を向くと、明さんの瞳が優しく俺を見つめていて…
また玄関のドアが勢いよく開いた。
「よし! 勝った!!」
仁王立ちでガッツポーズしているミオの足元で、ノビたように横になった一史が泣いていた。
「クリスマスまでに付き合えるかどうか! 今回の掛け、ギリギリでハラハラしたけれど、私と咲の勝ちよ。
あ~、タイミング悪かったわね。御免、お邪魔だったね。でも、ちゃんと証拠写真取るよ。ほら、もっとくっついて! もっともっと!! 恋人らしく」
スマートホンを構えたミオに言われて、一気に顔が熱くなるのが分かった。
「じゃぁ、恋人らしく」
そう言って、明さんは後ろから俺を抱きしめて、頬をくっつけた。その腕が力強いのに優しくて、あわせた頬が熱くて…
初めてのツーショットは、猫耳フードを被って盛大に鼻血が出たものになった。それをスマートホンの待ち受けに出来るほど、まだ俺は乙女にはなれなかった。