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第14話 親父娘か乙女か(夜の珈琲店)

 きっと、僕の態度と雰囲気がいつもとだいぶ違っていたのだろう。居酒屋に向かうタクシーの中でも、歩いている時も、さくちゃんは僕に声をかけてこなかった。僕も、声を掛けなかった。口を開いたら、さくちゃんを責めてしまいそうで、気持ちを落ち着かせるためにも黙っていた。


「呑めそう?」


 駅前でタクシーから降りて、ようやく僕から口を開いた。うつむき、小さな体をさらに小さく強張らせ、さくちゃんは頭を左右に振った。

ボディバックの肩紐を掴む手が微かに震えて、力が入ったのが分かった。

そんなさくちゃんを見て… 「僕は何しているんだ」と自己嫌悪。


「… ごめん、怖かったね。怒っているわけじゃないんだ。ただ… 笹瀬君の話にイラッとしてしまって。さくちゃんに怒っているわけじゃないんだ」


 そう、ただのヤキモチだ。ヤキモチで、病み上がりのさくちゃんにこんな負担を掛けて、何をやっているんだ僕は。


「・・・嫌われたかと、思った」


 俯いたままで、今にも泣きそうな、とっても小さな声が返って来た。さくちゃんのそんな声は、初めて聞いた。


「違うよ… さくちゃんから、聞きたいことがあって、でも、いつもみたいに聞けそうになくって… ごめんね」


 僕の声も、情けなかった。いや、声どころか、今の僕は何もかもが情けない。


「お酒より、珈琲がいいな」


 下を向いて、声も小さいままだったけれど、さくちゃんが僕の手を取って歩き出してくれた。子供のように小さい手と温もりが、しっかりと僕の手を握ってくれている。それだけで、今までのイライラした気持ちが、スッと溶けた感じがした。

 さくちゃんと入ったのは、駅ビルの三階にある有名な珈琲のチェーン店だった。穏やかな間接照明の店内は柔らかな珈琲の香りと、ゆったりとしたBGMで包まれていて、一日の終りを寛ぎで迎える人がチラホラいた。

お会計の時、いつもは各自で支払いをしていたけれど、「お詫びに奢らせて」と言うと、少し戸惑いながらもようやく顔を上げてくれた。「ご馳走様です」の声がいつもよりまだ弱弱しかったけれど、ニッコリ笑ってくれたからホッとした。


「ラッキー、空いてた。ここ、お気に入りの席なんだ」


 お店の雰囲気も手伝ってか、さくちゃんの声はとても控えめだ。僕はホット・アメリカン。さくちゃんはホット・カフェラテを買って、席についた。

 膝の高さの一人分の丸いテーブルと、背もたれが大きい藤の椅子が一脚。

そのテーブルセットが、大きなはめ殺しの窓に向かって4セット、一列に並んでいた。さくちゃんのお気に入りはその列の一番奥で、僕はその隣に座った。窓の外は、駅前のビル群やバス乗り場の光がクリスマスツリーに飾るガラス玉のように輝いていた。


「よく来るの?」


「時間がある時は。でも、この時間は初めてかな」


 さくちゃんは大きな背もたれに体を投げ出して、大きく息を吐いた。


「… 嫌われたかと思ったんだ」


 カフェラテのカップを両手で包み、ジッとカップの中を見つめながら呟いた。


「違うよ、ただ…」


 聞いていいのか、躊躇している。さくちゃんの気持ちに踏み込むのが分かったから。僕が、さくちゃんの心に踏み込んでいいのか、傷つけてしまうんじゃないかと、躊躇していた。


「怖いんだ。俺、弱いから、本当の自分を知られてあきらさんに呆れられたり、嫌われるのがすごく怖い」


 そう言って、さくちゃんは一口すすった。


「呆れるかもしれないけれど、嫌いにはならないと思うよ。それに、そんなに自分を隠すほど、猫かぶってるの? 結構、さくちゃんの素を見ていると思うんだけれど」


「そうだね、猫被ってないや。でも、呆れるかもしれないことは、否定しないんだ」


 ようやく、こっちを見てくれた。カップ越しに、ちょっとだけだけど。チラッと見て、カップの中に視線を戻して、ちょっと笑った。肩の力が少し抜けたのが分かった。


「そんなことか。ってね」


 そう返すと、今度は小さく声を出して笑った。


「明さん、正直に言うね」


 申し訳なさそうに眉尻を下げて、上目使いに僕を見ながら、さくちゃんは囁き始めた。


「俺、恥ずかしいけど… その、初めてなんだ。パチンコや麻雀してる時間あるなら一緒に居たい。自分以外の女の人と飲みに行かないでほしい。… 合コンなんてなんで行くのさ? 嫌わないでほしい… なんて思うの、明さんが初めてで、本当に初めてで…。そんな資格、ないのにさ」


 それは、店内のBGMに負けそうなほどの囁きだった。最後の自虐的な笑顔は、泣き顔に見えた。


「僕に、そう、思ってくれたの?」


 聞くと、ぱっと視線をカップの中に戻してしまった。けれど、僕は嬉しかった。さくちゃんにそう思ってもらえたのが、とても嬉しかった。


「嫌だったら、答えなくていいからね」


 小さく頷いたのを見て、僕は気持ちを決めた。


「なんで、笹瀬君と付き合ったの?」


「… アイツ、田舎から出て来て住み込みで働いてるんだ。田舎まで、飛行機の距離。高校卒業してすぐだから、専門学校も、働きながら通ってた。

学校終わったら店に出て、学校休みの日も店に出て… 一年間だけど、ほとんど休みなし。学校で勉強して、店では経験積んで… 尊敬してた。社会人としては先輩で、営業時間終わっても店の練習会がしょっちゅうあって… 現場に立ってるから色々教えてくれたし」


「お給料、管理してたって?」


「見習いの給料なんて、たかが知れてるんだ。でも、商売道具は買わなきゃだし、スマホ代や保険料、年金、遊ぶ金… 給料なんか、すぐに無くなっちゃうからさ。実際、俺が管理するまで、先輩に借りたり、道具屋への返金が滞ってたりしてたんだよ。だから、強制的に月2万預かって、通帳に入れてやってたんだ。もちろん、別れる時に全額渡したよ。ま、俺もパチンコなんか行ってたりしたから、人の事言えないけど。あ、勿論、パチンコは小遣いの範囲でね。たまに、親父が軍資金くれる時もあったけど」


「合コンとかナンパ、怒らなかったの?」


「性格もあるだろうけど、遊びたい年頃だから。それに、そういう遊びは、こんな男とたいして変わらない俺なんかより、女らしい人との方がいいんじゃね? そこらへん、『遊び』って割り切ってたから。って、怒る気もしなかったんだけどでも… 明さんには、合コン行ってほしくない、って思った」


 語尾が、カフェラテに溶けて消えそうなぐらい小さくなった。


「分かった。もう、行かないよ」


「… それは嬉しいけど、俺に明さんを束縛する資格はないよ?」


 そっと、さくちゃんが僕を見上げた。いつもは力強い瞳が、眉も下がり今にも泣きそうな色に染まっていた。


「僕が行きたくないだけだよ。あと、最後にもう一つ。笹瀬君がさくちゃんのことを、『さくら』って呼んでいたけど?」


 いつもは強いさくちゃんに、こんな表情をさせていると思うと… ゾクゾクして、抱きしめたいと思った。


「名前が嫌なんだ。漢字はそんなんでもないんだけど、響きが女の子っぽくって、俺には似合わないから」


 そうか、さくちゃんは性格上、性別がコンプレックスになっているのか。


「本当は、『さくら』ちゃん、なんだね。字は?」


「花がさくの『咲』に、良し悪しの『良』。で… さくら」


「似合ってる。… ねぇ、お願いがあるんだ」


「お願い?」


 そのお願い事を口にするのに、緊張した。ものすごく緊張して、さくちゃんのスマートホンのバイブ音に思いっきり驚いた。


「ごめん、明さん」


 さくちゃんはスマートホンの画面を見ると、慌てて電話に出た。


「今、店。… わかった、すぐ行く」


 ものすごく、簡素な電話だった。けれど内容はしっかり伝わったようで、さくちゃんは通話を切ると、顔色を無くしてボディバックを持って立ち上がった。


「ごめんなさい、実家から呼び出しで。これから急いで実家に帰らなきゃいけなくて…」


「忘れてるだろうけど、病み上がりだよ。送っていく」


 『お願い』が言えなくて残念だったけれど、ちょっとホッともして、残った珈琲を一気に飲み干した。

 店を出る時は、確りとさくちゃんと手を繋いで、肩を並べて歩いた。きっと、『お願い』を聞いてもらえたら、この子のこの手を、放せなくなるどころじゃないだろうと思った。

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