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ボーイ・ミーツ・ガール・アンダー・ダンジョン

 ダンジョン。突然、空間同士のつながりがめちゃくちゃになる、ニホンでは有り触れた自然災害だ。


 名前の由来には諸説あって、2000年代のサブカルチャーに登場する、化け物が徘徊する閉じられた迷路空間を指す言葉が語源……とネットには書かれているけれど、詳しい人に言わせるとそれはデマらしい。本当は古代ギリシャの神話が語源なんだとか。


 そんな話は僕ら一般人にはどうでも良くて、僕らが幼稚園児の頃から周りの大人達に口酸っぱく言われるのは「ダンジョンは危険だ」「入ったら二度と戻れない」「ダンジョンには言いて戻ってこなかった子供がいっぱいいる」なんていう脅し文句で、これらの言葉はだいたい正しい。


 とはいえ、幼い子どもたちは、大人たちの言葉の裏にある、切実な現実と危険な実態を想像することはできない。小さい頃に度胸試しとしてダンジョンに入ったことのある奴は少なくない。


 多くの場合――八割以上の子供たちは、帰らないことに気づいた大人や友達の通報で、治安局のダンジョンシーカーに連れ戻されることになる。彼らは半泣きのまま、大人たちにこってり絞られ、それから二度とダンジョンに潜ることはなくなる。運良く一人で戻ってこれたやつも、何度かダンジョンに潜るうち、どこかのタイミングでそうなって、そういう「子供っぽい危険な遊び」からは遠ざかるようになる。


 で、残りの二割はどうなるのか。まず一割は、ダンジョン内の危険な生物に襲われたり、ダンジョン内を根城にする反社会勢力なんかの食い物にされて、最悪な死に方をしたり、あるいは行方不明になったりする。


 それで、残りの一割。これは更に珍しくて、僕みたいにたまたま「マナ耐性」があった子供が、ダンジョンに潜りながら悪い大人とつるんで金儲けをするパターン。顔すら覚えていない両親が死んだ後、僕は妹を養うためにダンジョンに潜り始めた。


 ダンジョン内でマナの影響を受けた貴金属は、高値で売れる。とうぜん、それだけ強いマナの影響を受けるものは少なくて、より危険なダンジョンの奥底に向かわなければいけないことになる。


 僕がいつもこっそり潜っているダンジョンは、「トウキョウ0号」と呼ばれるダンジョンで、数百年前に突如トウキョウの中心に現れて以降、一度も収束したことのない巨大なダンジョンだ。大きすぎて監視の目が行き届いていなくて、毎年何人もの行方不明者を出し続けている。


 ダンジョンは外から見れば、蜃気楼がかかった普通の街にしか見えない。周りに張り巡らされた鉄条網と警告の看板がなければ、気づかずに迷い込んでしまうのも頷ける。


 けれど、その内側に入ったら最後だ。空間が見た目とは全く違う繋がり方をしていて、一度入ったらもう二度と出ることはできないと言って良い。ダンジョンの探索を専門にする『冒険者』たちや、治安局の『ダンジョンシーカー』たちは「パンくず」と言われる専用の端末を使って、自分たちの退路を確保している。


 とうぜん、それらを買えるのは政府に許可を受けた専門の業者だけ。じゃあ僕らみたいなハイエナがどうやっているかというと、闇業者から横流し品を買ったり……あるいは、僕みたいに「特殊な事情」がある人間もいるというわけだ。


 なぜ歩けるのかわからない壁や屋根の上を歩いて、僕はの上を慣れた足取りで進む。ダンジョンは出口はわからないけど、奥だけははっきりと分かる。三六〇度の空間の中に真っ白に光る穴があって、そちらに向かえば必ず奥へ進むことができる。どの角度から見ても真円のそれを、僕らは「真っ白穴ブラック・ラック」と呼んでいる。


 かつて、倉庫であったであろう場所。ここが今日の目的地だ。


 商品輸送の拠点だったのだろうか、沢山の家電製品が眠っていて、中には強いマナ侵食を受けた掘り出し物もある。いつもと変わらず、僕はそこから金目の物を運び出そうとしていて……僕は気が抜けていた。


 言い訳になるけれど、気が抜けるのも当然なのだ。この倉庫はダンジョン深度百層よりさらに深くて、専門の『冒険者』とか、治安局の『ダンジョンシーカー』が潜航してる階層よりも三倍くらい奥にある。たとえ治安局のエリートだったとしても、これくらい深い深度に耐えられるマナ耐性の持ち主は中々居ないし、居たとしても、それだけの実力者は平時からこんな深層をなんかするわけがないのだ。


 それが、昨日は違った。


「待ちなさい! ……あなた、人間なの?」


 鈴を転がしたような、よく通る声だった。僕がその声に振り向くと、特殊部隊みたいな装備を体中に巻いて(実際特殊部隊だったわけだけど)、それとは対象的なラフなパーカーを着た少女が立っていた。そう、件の美少女、アトカ・インディゴフィールドだ。けれど、このときの僕は彼女の正体に気づいていなかった。まあ、美人だなとは思ったけれど。


 お互い、こんなところに生きた人間がいるなんて思わなかったから、しばらく鳩が豆鉄砲を食らった見たいな顔をして見つめ合っていた。


「……あなた、エンブレムは?」


 ダンジョン潜航を許可された『冒険者』は、政府からもらった許可エンブレムを目立つところに身につけるのが決まっている。僕は商品漁りのために下ろしていた鞄を指さした。当然、エンブレムは偽物だ。けれど遠目にはわからないだろう。


 少女はその鞄を一瞥してから、怪訝そうに眉をひそめた。当然だ。こんなに深く潜るなら、それこそプロは最大の注意を払う。一人でこんな深くまで潜る『冒険者』は居ない。少女に怪しまれていることに気づいた僕は、ジャケットの内側の「最終手段ガバメント」に意識を向けた。ダンジョンを徘徊する怪物たちに抵抗するため、潜る前にかならず新しい弾丸を装填している。安全装置さえ外せば、いつでも撃てるはずだ。


 少女は腰の鞄から手帳を取り出し、突き出した。治安局の手帳だ。


「私は治安局です。念の為、身分証の確認を」

「待ってくださいよ、僕がモグリだっていうんですか!」


 僕は焦るあまり、普段だったらしないような反応をしてしまった。こんなことを言っては、自分がモグリだと認めたようなものだ。慌てて、論点をずらすことを試みる。


「待ってくださいよ、僕はその手帳が本物かどうかもわからない。僕は個人事業だから一人で潜ってるんです。でも、治安局ってツーマンセルが基本ですよね? なんで一人で? 偽物じゃないという保証は?」


 まくし立てたけど、状況が良くなったようには思えなかった。でも、これは本当の疑問でもある。


「それは……私は特殊な事情で、個人行動を許されているんです」


 僕の直感が、その言葉に裏があることを感じさせた。普段回らない僕の脳は高速で回転して、彼女が「上に無許可で」潜っている可能性に思い当たった。


「分かりました。僕も事情聴取を受けますよ。でもその代わり、あなたの治安局のIDを教えて下さい。上に戻ったら本物かどうか確認できるでしょう」


 僕の言葉に、アトカの表情がわかりやすく変わった。


「それは……いや……その」


 たじろいだとき、少女の表情は急に、治安官の顔から年相応の少女の顔になる。そこで僕ははじめて、彼女の顔に見覚えがあることに気づいた。


「待って……。アトカ。アトカ・インディゴフィールド?」

「なぜ私の名前を!?」


 僕は彼女を知っていた。いや、学校の生徒は大体彼女を知っている。だって彼女は美人で、小学生で治安局の特務部隊にスカウトされた『ダンジョンシーカー』だというのは、もっぱら有名な噂話だからだ。そう、彼女は「ダンジョンに潜った子どもたち」の末路の中の、二割の中の、その更に一割の中の、さらに少ない、一番のエリート。高いマナ耐性を見込まれ、『ダンジョンシーカー』になった人間だった。


 人と関わりたがらない、すごい経歴の美少女。アトカ・インディゴフィールドに対する評価はそんなところで、彼女が僕の先輩だということは、噂話の回ってこない僕ですら知っている話だった。


 けれど、僕の気付きはアトカ先輩にも気付きを与えたらしい。


「待ってください。あなた……見覚えが。二年生ですね? そう、トール。トール・ニノマエです」

「ひ、人違いじゃありませんか?」

「いいえ、絶対に人違いじゃありません。……待って、あなた防護服もなしにこの階層に?」



 その言葉は言外に、「そんなに高いマナ適性を持った同年代が『冒険者』をしていたら、知らないわけがない」と告げていた。モグリであることはバレたと確信して良いだろう。


 アトカ先輩は少し考えた後、頷いた。


「分かりました。あなたも治安局に目をつけられたくはないでしょう」


 僕の脳裏に浮かんだのは、妹の顔だった。もしも僕の「ダンジョン漁り」がバレてお縄になったら、妹はどうなるというんだ。僕はジャケットの内側に手を伸ばす。


「それ以上は止めなさい。私も《それ相応の対処》をしなきゃいけなくなる」


 僕はその言葉を聞いて、手を上げた。僕も小さい頃からダンジョンに潜ってきた自負はあったけど……。さすがに、小学生の時から軍人仕込みの訓練を受けている相手に、勝てる気はしなかったからだ。


「あなたが察している通り、私もここに潜っていたことがバレるわけには行きません」

「何が目的ですか?」

「ここで話したら、お互いに余計な心配をしなければならなくなります。あなたのジャケットの裏側とか」


 僕は苦笑いするしかない。アトカ先輩は続ける。


「明日、学校出会いましょう。そこで、腹を割って話すべきです」


 それで、そういうことになった。

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