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第13話 ふたりで迎える朝

 …身体が重い。

 腰も頭もぼんやりと痛み、だるくなる前に身体を起こそうと身を捩る。スマホのアラームが鳴っているのを止めようとして腕を伸ばしたけれど、1ミリも身体が動かないようだった。ふと冷静になり、ぼくの身体に触れている累の体温を確かめる。自分よりも年上なのに年上とは思えないかわいい人の頭を撫でて、頬に何度もキスを落とした。アラームはいつの間にか止まっていた。

「んっ…もう朝かぁ…それにしてもかおるさん、絶倫すぎるよ…」

 掠れた声を出し、累がぼくの顔をじっと見つめていることに気が付く。それはこっちの台詞だよと言い掛けて、恋人になったばかりの彼を抱きしめた。

「ふふっ…それはいっちゃんもだよ。ぼくは今日、仕事夕方からだけど…いっちゃんは大丈夫?」

「俺は…自営業だから気にしないで。そう言えば、俺が何の仕事しているか言ってなかったっけ…」

「…知ってるよ。今はフラワーアレンジメントデザイナー、だっけ」

「っ…。そっか、知ってたんだ」

 いっちゃんは苦笑いを浮かべただけで、何も言わなかった。

 彼を初めて見かけた雑誌には、略歴が書かれていたけれどその内容に過去の詳細は書いていなかった。きっといろいろあって、元の職を…華道家としての人生を手放すことになってしまったのだろう。初詣デートの時に着物を着慣れていたのも、似合っていたのもその頃の名残りなのだと悟った。

「…なら、ぼくとお揃いだね」

「おそろい?」

「どっちも鋏を使う仕事だからさ。ぼくは髪を断つ鋏、君は花を活かす鋏」

「そうだね。でも…もう、花卉かき鋏は持てないんだ。今はほとんど園芸雑誌とか、アレンジメントの教本に寄稿する文章を書いてる。アレンジメントは今なら切り花や造花が簡単に手に入るから、普通の鋏やペンチでも切れるしね」

 いっちゃんは悲しげにそう言って、右手を天井に向けて翳した。肉刺や傷だらけの手は、職人の手だ。その手の平が愛おしくて、僕も手を伸ばした。いっちゃんの手の平に自分の左手を合わせ、指を絡めて握りしめる。

「…なら、休みを合わせてどこか出かけようよ。何処が良い?」

「へへ…今度は二人きりのデートがいいね。どこが良いかなぁ。水族館も美術館も行きたいし、家でのんびり過ごすのでもいい。おやつと飲み物準備して、映画の配信見たりとかさ。あっ、丘陵公園は…?今の時期なら、綺麗な藤棚が見れるよ。あとは水仙、チューリップ、ハクモクレンなんかも!」

 ほわ、と文字通り花が咲くような笑顔を浮かべ、楽しそうに言ういっちゃんは本当に花が好きなのだろう。

 君が望むなら何処にだって着いて行くし、何処にでも連れて行く。

 だからこの手を、もう離さないで。


×   ×   ×


 宿をチェックアウトして、ふたり横並びに繁華街の脇を歩く。

 かつての自分を隠していたかった訳では無い。言おうと思えば、いくらでも言えた。それでも結局、夢を諦めたことを知られるのが恐かった。

 あれこれ考えてしまって、今まで言い出せずにいた俺の過去。かおるさんが自身の過去を洗いざらい話してくれて、何処かホッとしている自分がいる。稀有で不器用な生き方をしてきたのは、俺だけじゃないってことに気が付けたから。

「…いっちゃん」

「なーに?」

「ぼくたち、もうメル友じゃないよね…?」

「!」

「…もしかして、もしかすると…恋人ってやつ…?」

「そう、なんじゃないかな…ぼくにとっては最愛の人、だから」

 さいあいのひと。

 自分の中で反芻すると、背中の奥のほうがムズムズしてしまう。嬉しいような恥ずかしいような、複雑だけどあたたかい気持ちになったのは間違いない。

 そう言えばあのマッチングアプリ、とうに退会したことはまだ言ってなかった気がするけれど…。今となってはあの日々が、遠い過去の出来事に思えた。

「かおるさん」

 改めて、言いたかった言葉を口にする。

「…俺と、お付き合いしてもらえますか?」

「はい。こちらこそ、喜んで…一縷いちるさん」



『メル友』終わり

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