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第7話 離脱

「…すごいの見ちゃった…」

「い、今のは…紛れもなく…」

「…うん。王様の命令に従ったまでだけど」

「薫さんすげーっ…!」

「兄貴もなんか嬉しそうだし…」

(いや、今すぐ帰りたいよ…)

 未だに薫の膝に跨っている累は身動きが取れない所為で、隠れたくても隠れられず項垂れている。既に効力を無くしたと思っていた前の命令は未だに行使されており、薫の手は累の後頭部から腰へと元の位置に戻っていた。躊躇なく唇にキスしてきたということは嫌いになってはいない…と思うのだが、如何せんポーカーフェイスの薫が何を考えているのか分からない。この合コンに参加した理由も、今まで連絡がまばらだったのが何故なのかも分からず仕舞いで、自分だけ取り残されているような状況に累は大きな声で叫びたくなる思いだった。

「もしかして、もう二人って付き合ってたりして?」

「えーっ!あたし累さん狙ってたのに…」

「いっちゃんは誰にも渡さないよ。…無論、彼にその気があるなら別、だけど」

「はは…急にそんな風に言われると困っちゃうなぁ…」

 乾いた笑いを漏らすことしかできず、手を伸ばして皿の上に残っている棒状のスナック菓子を頬張る。何を思ったのか、薫はその反対側を齧り徐々に短くしていった。まるでいつ口を離すか試されているチキンレースのように思えてしまう。一度離れた薫の整った顔立ちが、再び急接近してくる。

「ちょっ、まっ…」

 累が慌てて口を開いた瞬間、残っていた菓子は全て薫の口内に吸い込まれていく。累はその様子を呆然と見ていることしかできなかった。

「…俺の…」

「後で違うお菓子買ってあげるから」

「見掛けに寄らず大胆だなぁ~」

「薫さん、累くん目当てで来たみたい……」

「ふふっ、それはどうかな…。さて、そろそろ僕たちは離席しようか」

「えっ!かおるさ…」

えーっ!と複数の声が重なり、薫はにこやかに会釈して累を横抱きに抱えて立ち上がる。慌てて降りようとする累を余所に、薫は容赦なく個室の入口に向かった

「それじゃあ、この辺で…。明日も仕事なもんでね、僕も累くんも」

「……」

 否応なしに離脱するふたりの背中を見送ることしかできない面々の中で、唯一啓だけが「またねぇ」と声を掛ける。薫が僅かに笑み、数回後ろ手を振った。

 薫は自分の靴を履いた後、累にも靴を履かせて颯爽と出て行く。累が声を発していようが暴れようがお構いなしと言った様子だ。会費は予め累の分も含めて幹事に支払っているので、その点も抜かりない。

「かおるさ…」

 彼の名前を呼ぼうとした累は、薫の相貌にどんな感情も現れていないことに気が付き、咄嗟に口を噤んでしまった。


×   ×   ×


 店を出てすぐに薫が累をアスファルトの上に下ろし、何も言おうとしない薫に見兼ねて累が喉から絞り出すように声を掛けた。

「かおるさん…これからどうするの?」

「…うーん。それは君次第ではあるかな。帰りたいのなら部屋までエスコートするし」

「俺は…まだ帰りたくないよ。なんであなたが急に連絡しなくなったのか知りたい。何で今夜の合コンのことを知ったのか、みんなの前で…なんであんなコトをしたのかも…」

「知りたいの?」

「…うん。でも、言いたくないなら…」

 累が少しためらいがちに言い、薫から視線を逸らし俯いた。すると視線をずらした先で薫が屈んでおり、累に向けて顔を上げ笑い掛けている。

「いっちゃん、そんな顔しないでよ。洗いざらい話すから」

「っ…!」

「場所を変えようか…落ち着いて話ができる場所、どこがいい?」

 薫にはぐらかされると思っていた累は、意外にも全て話すと言った彼の言葉に従っていいものかと少しだけ不安になった。しかしお互い本名を知っていて、仕事先も分かっている為ヘンな事はしないだろうと信用することにした。

 何より、真相を知りたいのは累の方だ。

「そうだなぁ…それなら、静かな場所がいい。喫茶店とかファミレスじゃ、誰がいるか分からないし…」

 累の言葉に頷いて、薫が緩慢な動きで立ち上がり、隣に並ぶ。今まで見たことがない薫の表情を何度も見たような気がして、累は少しだけ彼の存在が遠くなったような気がした。

「なら、あの店行く…?」

「あっ」

 思い当たる節があるとしたら、あの場所しかない。

 初詣の帰りに二人が最後に寄った、猫のいる宿屋に。

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