初詣デートの帰りに…まさかこんな場所に来るとは思わなかった。今まで生きてきた中で、まったく縁がなかった場所…所謂、歓楽街という場所に。
路地裏を歩き、大きな通りに出たと思ったら、そこは歓楽街のど真ん中だった。元旦の真っ昼間と言うこともあって、人通りは閑散としているのに昼間からネオンが瞬いている。
まるで異世界に紛れ込んだかのような異質さに、一歩後ずさるとかおるさんが俺の手を握り前に出て、道を示すかのように歩き出した。
「…かおるさん、ここに来た事あるの?」
「ぼくも久しぶりなんだけどね...いっちゃんは来たことある?」
「なっ、無い…その……は、恥ずかしながら、俺は童貞ってやつで…」
「それならぼくも一緒だよ」
「…えっ、なら、なんで」
「ふふ…あのアプリで少し、ね」
少し意味深なことを言ったかと思いきや、目的地は一ヶ所しかないかのように向かう視線の先に、俺は愕然とした…自分で言った言葉を今すぐ帳消しにしたいとここまで思ったことはない。想像とかけ離れたその場所に、かおるさんは嬉々として入ろうとしている。
控え目な看板には『ねこのいる宿 ちぐら』と書かれている。何でこんな歓楽街の端に、高級旅館のような風格を持つ建物があるのかと思いきや…そこは宿泊施設も兼ねている、ネコカフェのようだった。
「…ねこ、きらい?」
「いえっ!むしろ好きです!その、想像と…あまりにも違ったから…」
「いっちゃん何を想像してたの?えっち」
「なっ…!」
クスクスと笑いながら、尚も指先を絡めてきて肩が跳ね上がった。緩慢な動きで二人で建物の中に入る。カウンターには『お部屋をお選びください』と書かれた看板が置かれ、受付の人は居なかった。モニターのようなものが壁に埋め込まれており、幾つか灯りが消えている。一本道の廊下は大きなフェンスのようなもので塞がれ、隙間の向こうからニャーンと啼き声が聞こえた。
「ここは完全個室のネコカフェなんだ。部屋の入口にネコ用の扉があって、にゃんこたちは自由気ままに出入りできる。僕たち客は部屋を選んで、お茶を注文したりくつろぎながらにゃんこの来訪を待つって訳さ」
「へぇ…ってことは、ネコちゃんがずっと他の部屋に入り浸ってることも?」
「にゃんこが気に入ればそうなるね…でも、ここには部屋数以上のにゃんこがいるし、それぞれお気に入りのお部屋もあるから…」
かおるさんが慣れた手つきで空いている部屋のボタンを押すと、入口扉のロックが解除された音がして、すぐにその部屋へと向かう。フェンスは電子ゲートになっているようで、ゆっくり開くとすぐにフェンスの向こうに向かった。背後でゲートが素早く閉まると、足元にフワッとした感触を感じる。
「!」
「あっ、早速気に入られたみたいだね」
すりすりと身体を寄せるのは三毛猫で、俺とかおるさんが部屋に向かうとゆっくりついてきてにゃごにゃごと何か言っている。部屋の扉を開けるなり、三毛猫は扉の隙間からするりと滑り込むように室内に入ってきた。
部屋の中はテーブルとソファ、テレビに冷蔵庫とおおよそビジネスホテルのような見た目をしていて、ネコカフェとあまりにもかけ離れているのは奥に寝室があることだ。
「……」
「とりあえず座りなよ。何飲みたい?」
「こ、紅茶で…着物、汚さないかな…?」
「大丈夫、僕の私物だから」
「えっ…!なんだか…余計に申し訳ないよ…」
「いいんだよ。なんならそれ、君にあげるから」
驚きのあまり何も言えない俺を他所に、かおるさんはフロントに電話する。当たり障りのない飲み物の注文を何処か遠くで聴きながら、俺は緊張したままかおるさんの隣に座った。三毛猫は真っ先に特等席であろうかおるさんの膝の上に座り、ごろごろと喉を鳴らしている。
本当にネコカフェのようだ。
「ここ、落ち着いてにゃんこをモフれるから穴場なんだ」
「へぇ...?」
「あとね…こっそり好きな人と来て、キスしたりもできるよ」
あの柔らかい唇の感触を思い出し、ぞわりと首筋が粟立つ。もう一度、温もりを確かめたくて少し薫さんに近づいた。誤魔化すようにネコの背中を撫でると、かおるさんが俺の顔を食い入るように見ていることに気が付く。
「…累」
「うん」
「そんなにキス、したいの?」
「やっ…その、えっと……なんでも、ない」
「ふふ…諦める必要なんてないよ」
隣り合って座っているせいで、かおるさんの身体がやけに近く感じた。かおるさんに顔を引き寄せられると三毛猫が不服そうに啼き声を上げ、ぴょんと床に飛び降りる。
「…っ!」
間髪入れずに唇が重なる。あの温もりが再び訪れる。柔らかい感触を深く求めていたら、かおるさんに下唇を甘噛みされてそのまま背後に倒され、首筋に鼻先を押し付けられる。
「かわいいネコをみるとつい…匂いを嗅ぎたくならない?」
ふふ、と妖艶に笑う声はすぐに掻き消え、そのままソファで身体ごと重なった。
× × ×
「……」
ぼんやりと天井を見上げる。一体何があったのか分からないくらい、その出来後は急だった。狭いソファで重なるように眠っていたらしく、俺とかおるさんの間に挟まってあの三毛猫が眠っている。
早起きしていた所為で急に眠くなってきた、とかおるさんが俺の身体に寄り掛かり、寝始めてからそのまま2時間程経過していた。俺もついウトウトしていたからか、彼と猫の体温が心地良くて再び寝そうになる。
「薫さん、そろそろ起きて…」
「…やだぁ」
甘えているようなかおるさんの声が、俺の背筋をざわつかせる。こんな可愛らしい声、聞いたことが無かったから。
「いっちゃん」
「今度は、何を……、」
「…ぎゅっとして」
言われるがまま、自分の上に寝そべるかおるさんの腰に手を回す。
「……こう?」
「ん」
モゾモゾと動かれ、身体の奥がこそばゆくなる。一体、何をさせようとしているのか分からない。
「…このままふたりで…」
「えっ?」
「…どこか……に…」
途切れた言葉はよく分からなくて、なんとなくかおるさんの後頭部に手を伸ばして撫でてみる。
気持ちよさそうに再び寝息を立てる彼は、おおきな猫のようだと思った。