しんと静まり返った朝の表参道。冷たい空気を吸い込むと、肺の中までキンと冷えるようだった。
着付けをしてもらっている間にどうやら雪がちらついていたようで、美容院を出ると辺り一面、真っ白に染まっていた。少しだけ積もった雪は空気を含んで柔らかく、雪駄で踏むとそのふんわりとした柔らかさを足の裏に感じる。
「いっちゃん…じゃなくて、累くん」
「あ、…呼びやすい方でいいよ。俺は今まで通りかおるさんって呼ぶから」
「そう」
いつもと変わらない筈なのに、何故だか緊張してしまう。2人とも着ているものが普段と違うからなのだろう。そう自分に言い聞かせて、隣を歩くかおるさんの姿をちらりと見た。
白い着物に浅縹色の羽織と袴、足元は黒の編み上げブーツととても洒落た格好だ。それこそスタイルも顔も髪型も整っていて、白に近い灰色に染められた髪が歩く度に動いている。黒地に小さい椿の模様が入っただけの着物を着た、俺の横にいるのが勿体ないくらいに。
「あ、あのさ」
「うん」
「かおるさんは…俺とメル友でいて、楽しい…?」
唐突だけど、今まで燻っていた言葉を呟く。こんな綺麗な人なのに、見た目も職業も平凡な俺と友達でいるなんて何だか申し訳なくなってしまう。それこそ初めて会った時、お互いに自己紹介してなんで恋人がいないのかと不思議に思ったくらいだ。そんな彼の友達でいていいのかと、時折急激に不安になる。多分…かおるさんの方から離れられてしまったら、後で俺が辛くなるから。
「ほら、俺なんかよりもっと…面白い奴いるかも知れないし」
自分で言いながらずきずきと胸のあたりが痛くなる。楽しい初詣にしたかった。けれど、拭いきれない不安を同時に払拭したかったのは事実で。
「…ぼくはいっちゃんが良いから」
「そう、だから…えっ?今、なんて」
言い掛けた言葉は、俺の腕をぐいと引っ張る手によって阻止された。
それと同時に、後頭部を両手で抑えられて俺の目とかおるさんの目が合う。いつも綺麗でカッコいいかおるさんの顔が、少しだけ恐い顔をしている。
「…ぼくが自分で選んだひとだから。誰かに代わりなんてさせないし、後悔もしない」
「…っ、…」
「堂々と隣を歩いてくれればいい。いっちゃんが逃げたくなるまでは」
「そんな、俺は…逃げないよ」
カラカラになる口の中を舐め、ようやくそれだけ絞り出す。
参道脇に咲いているユキツバキの花びらが、音もなく一枚落ちるのが見えた。
× × ×
神社へと続く道は、何処をどう歩いたのか碌に覚えていない。人気のない神社だから、少し寂しいねとか何か喋っていたのをぼんやりと覚えているくらいだ。
神社の境内にはやっぱり誰もいなくて、流石田舎の神社だなと思う。きっとみんな街中のおおきな神社に行ったのだろう。ここは出店もお守り売り場もなにもない、小さな場所だから。
ひとりずつ神社にお参りして、社務所にいるおじいさんに挨拶しおみくじを引く。おみくじは俺が中吉で、かおるさんのは大吉だった。おじいさんは「何もなくてすまないね」と申し訳なさそうに言って、奥にあるストーブで温めていた甘酒を紙コップに一杯ずつくれた。熱いうちにいただけば、身体の芯が解れていくのがわかる。
「…この甘酒、美味しい…!」
「ははっ!あまり人が来ない神社だからねぇ、自分らだけで飲む分しか作ってなかったけれど、若い人らにそう言って貰えて嬉しいよォ」
「ありがとう、おじいちゃん。今年は沢山遊びに来て良いかな?」
かおるさんの言葉にきょとんとしたおじいさんは、いつでもおいでよ、と言って顔をくしゃくしゃにして笑った。
「騒がしいところより、静かな場所が好きなんだ」
「そうかい、またいつでもおいで。何もない神社だけどさァ」
かおるさんが笑顔でお礼を言うと、おじいさんは照れているのか笑って僕たちを見送ってくれた。二人とも紙コップの中の甘酒を飲み干して、帰路につくことにする。
歩き出してからも、かおるさんに言われた言葉がずっと頭の中でぐるぐる回り、どう答えたらいいのか悩んでいた。
気が付けば神社からも美容院からも離れた場所まで歩いて来ていた。俺も前から好きでした、と言えたらどれだけ気が楽になるだろう。その前に彼の言う『自分が選んだ人』と言うのが何に該当するのか、自分で確認しなきゃいけないのが怖かった。ただのメル友でしかない俺を、そう言ってくれたのは素直に嬉しい。それでも俺がかおるさんに対する『好き』が百として、かおるさんは十とかだったら辛すぎる。好きは好きでも人として好きなのと、友達として好きなのと...交際相手として好きなのは訳が違うから。
「…いっちゃん、何考えてるの?」
「かおるさんは俺とキスしたいと思う?」
自分でも何を言っているのだろうと思った。高校生みたいな子供じみたことを言って困らせたくないのに、折角時間を作って初詣に行ったのに、散々な結果になりそうで泣けてくる。自分はどうしたいのかも、かおるさんと恋人になりたいのかも分からない。ただ、このまま会えなくなるのは絶対に嫌だと言うことだけは明確に分かっていた。
問い掛けてきたまま固まっているかおるさんの表情が読めない。
「したい。って言ったら、きっといっちゃんは怖がるよ」
「…分かんない…でも、イヤじゃないと思う。俺もかおるさんが好きだから」
俺の中にある『好き』は…きっと恋愛対象としての好き、なのだろうと自覚したばかりだ。
初めは本当にメル友だった。マッチングアプリで恋人を探そうなんてちっとも思わなかったし、何より俺は今まで男性を好きになったことがない。
それなのに初めてご飯を一緒に食べに行こう、と誘われて待ち合わせ場所に行った時、自分の目を疑った。こんなに綺麗な…カッコいい人が俺のメル友なのかと。思い返してみれば、きっと一目惚れだったのだろう。
「…いっちゃんに秘密にしていることが幾つもあるのに、それでもぼくを好いてくれるの?」
「秘密のひとつやふたつ、誰にだってあるでしょ?それに俺だって、かおるさんにまだ言ってないこと沢山あるし」
とうにマッチングアプリは退会していること。スマホの待ち受けをかおるさんの寝顔にしていること。頭の中でかおるさん相手にいかがわしいことばかり考えていること。…昔からの夢を、諦めたこと。
誰にも喋れない秘密ばかりだ。そもそも知らないことが多いのは当然だった。本名さえ、先程知ったばかりなのだから。
「それなら、お互い秘密をひとつずつ打ち明けるのは?」
「秘密…?」
「うん。ぼくの秘密はね…。いっちゃんじゃないとダメなんだ」
「…!」
「前にうちの美容院来て、別の美容師が担当したことがあるでしょう」
「あっ…でも、それはかなり前…」
「あの時に出会い系アプリの話をしていたのをたまたま聞いて…多分ぼくのいるとこだとわかった」
「それで俺を見つけたの…?」
「うん。もし違ったら、その時はその時だと思っていたから…同僚に誘われて始めたけど、それまで碌にアカウント動いて無かったんだ」
誰もいない路地裏に入ると、かおるさんは足を止めて俺の手を引き寄せた。包み込まれるように抱きしめられると、心臓が痛くなりそうなくらい早い鼓動が聞こえる。
「あとね」
「う、うん」
「……ビターチョコが好き」
「そえは、俺も…。甘いのは少し、苦手で…」
「それでも…キスはひたすら甘いのがいい、でしょ?」
「ふぁ…んっ…!」
急に接近するかおるさんの唇は、猛烈に甘かった。柔らかいものが深いとこまで入り込み、頭の中から痺れてくるくらいには気持ちいい。息が出来なくて離れようとしたら、かおるさんに一度後頭部を両手で押さえられた後に離れた。
「っ…」
「累」
息ができなくて朱色に染まったかおるさんの頬に、ぞくりと背筋が粟立った。いっそこのまま、かおるさんのしたいようにされてみたいとまで思ってしまう。
「…この後は、どうしたい?」
「んん…ハッピーエンドなら、なんだっていい」
かおるさんは一瞬目を丸くして俺を見た後、笑って俺の頭を撫でた。
「仰せのままに」